腕の痛みが悪化してしまったので絵を描くのが困難になってしまいました。病院で診察
してもらいましたが腕の痛みに関してはまだ何とも言えないという困った診断でした。
仕方がないのでキーボードで打てる記事の作成などすることにしました。例のサイコパ
ス関連の話になりますが、あれからまた数冊の本を読んだので、それらを基に書いてみた
いと思います。
────────────────────────────────────
サイコパスはある外部からの刺激には全く反応せず、そのために別の刺激を追うことが
知られています。ある刺激とは人間的なつながりから生まれる愛情とか連帯感と言った物
や、他人が受ける刺激を見て自分も感覚的に追体験するといった部分です。生理的表現に
してみれば、脈拍が上がる・発汗する・血の気が引くとか茫然自失する状態になる等の、
我々には身に覚えのある反応が自身の身体に現れます。
私達は実際に他人が刺激を被る場面に遭遇した時にもそうした感覚を覚えますが、他に
も身近なエンターテインメントにおいてそうした刺激の疑似的な体験ができます。映画や
漫画・アニメなどで登場人物に感情移入し、一緒になって怒りを感じたり悲しんだりして
それがリフレッシュにつながっているのです。しかしサイコパスにはそうした感覚がない
ので、世にあふれるメディアにはほとんど意味がないと言えます。
これはサイコパスにとって大変なマイナス要素と言えます。いわゆるオタク的世界観は
サイコパスにとって入り込めない領域と言って良いでしょう。
ではサイコパスはそういう感覚なしにどうやって刺激を得ているのでしょうか。
簡単に言ってしまえば、自分で体験できる部分が主軸となって人生が構成されるリア充
的生き方となるのです。しかしこれはオタクと対比してこういう言い方になるのであって、
一般人でもオタク的生き方とは無縁な人もいます。サイコパスはリア充的生き方から更に
様々な刺激要素が差し引かれて、きわめて貧弱な文化生活を送ると考えられます。
性的快感は最も得やすい刺激であるので、自然とその方向へ力を向ける事になります。
また、他人を支配したり優越を感じたりする事も数少ない快楽であると言います。しかし
そうした感覚が得にくい状況に陥ると、自分の感覚を麻痺させて逃避する方向へと向かう
と言います。サイコパスの多くが最終的にアルコール・薬物依存症になるとう統計があり、
このことは彼らがスーパーマンではないという査証になっています。
この他人を支配したり操作するという快感は、達成後の安心感も手伝ってかサイコパス
の行動の主要な部分となっています。そして、この行動は人間よりも下等な霊長類や哺乳
類にも見られるものであり、原初から受け継がれた本能的な部分が大きいと考えられます。
代表的な例として、サルのマウント行動が挙げられます。サルの群れのボス猿や位の高
い個体は、自分より目下の個体の背後に覆いかぶさって上下関係を確認する行動をします。
それは上下関係が揺らぐような状態になると頻繁に行われるようになりますが、結局は
実力行使による上下の逆転劇に勝る威力はありません。マウント行動は単に精神の安定の
為に行われるのであって、上下関係そのものとは関係ないのです。ただし、下の物が上の
物にマウントすることはほぼ無いので、上下関係のバロメーターとはなります。
サイコパスもまたこのようなマウント行動によって刺激を得ていると考えられます。
それを頻繁に行うのは健全な人間のように疑似的なメディアから刺激を得る事が出来ない
からであり、言い換えれば数少ないサイコパスの娯楽の一つと言えます。
マウント行動は支配欲求の現れであり、支配した後に形成される支配体制から生じる実
利や責任とは直接の関係がありません。それはそれで別なものなのです。ですから支配体
制を確立してもサイコパスにそれを実質的に運営する責任感は必要ないと言えます。
そこで、支配ゲームの果てに会社組織のようなものが形成された場合、地道にルーチン
ワークができる者を役職に就け、組織運営を任せると言う事になります。昔はよくワンマ
ン社長に振り回される平社員という構図があったのですが、それなどは良くこの形を表し
ていると言えます。
それはそれで、社会的に有意義であるので問題はないかもしれません。昨今世間を騒が
せているブラック企業の出自など、こうした成り立ちが多いのではないかと考えられます。
実際問題、サイコパス関連の本を読むとその実例には他人に対して無慈悲に支配的に接
する等の例が多く出てきます。個々の事例に違いはありますが、それらの行動がマウント
行動の延長ではないかと考えられるのです。
健全な人間では、そこまで執拗に上下関係にこだわることはなく、仕事の上で止むを得
ずやっているとか、親として子供を叱る時くらいに限られています。毎日必ず人に対して
支配的な行動を取らねばならない人は相当の疲労とストレスを感じているはずです。
しかし、サイコパスにとっては数少ない娯楽の一つですから、毎日喜んで支配的な行動
をとっているのではないかと思えます。
では会社やサークル等の社会的グループを形成できなかったサイコパスのマウント行動
とはどのような形をとるのでしょうか。
多くのサイコパスは社会でグループを形成する技術も資本も無いので、個人的な狭い範
囲でマウント行動を繰り返すことによって、満足を得ているのではないかと私は考えてい
ます。
これは推測にすぎませんが、自分より弱い個人を見つけ支配下におく事によって疑似的
なマウント行動を毎日行い得る環境を作るのではないかと考えられます。
言葉巧みに結婚生活に引き込み、家族となると家庭内暴力を行う人物に変貌すると言う
話はよく聞きます。また、全く他人であってもストーカー行為によって身近に近付き、少
しずつ嫌がらせ行為をエスカレートさせるという例も珍しくありません。
世間一般では、これらは痴情のもつれと言う事になっていますが、サイコパスには人間
的な感情も愛情もありません。それらは単なるマウント行動の長期的実現の為というのが
私の推測です。
そういう状況に陥ったらどうすべきなのか?という問題は常にあります。逃げ出しても
追いかけてくるのではないかという不安もあるでしょう。しかし基本的に言ってサイコパ
スに傷つくという感覚はありません。あるとすれば刺激がなくなった事による過失感です。
サイコパスを相手として気遣う必要はありません。代わりになる刺激をあてがって逃げ
るというのが最善の方法として考えられます。
してもらいましたが腕の痛みに関してはまだ何とも言えないという困った診断でした。
仕方がないのでキーボードで打てる記事の作成などすることにしました。例のサイコパ
ス関連の話になりますが、あれからまた数冊の本を読んだので、それらを基に書いてみた
いと思います。
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サイコパスはある外部からの刺激には全く反応せず、そのために別の刺激を追うことが
知られています。ある刺激とは人間的なつながりから生まれる愛情とか連帯感と言った物
や、他人が受ける刺激を見て自分も感覚的に追体験するといった部分です。生理的表現に
してみれば、脈拍が上がる・発汗する・血の気が引くとか茫然自失する状態になる等の、
我々には身に覚えのある反応が自身の身体に現れます。
私達は実際に他人が刺激を被る場面に遭遇した時にもそうした感覚を覚えますが、他に
も身近なエンターテインメントにおいてそうした刺激の疑似的な体験ができます。映画や
漫画・アニメなどで登場人物に感情移入し、一緒になって怒りを感じたり悲しんだりして
それがリフレッシュにつながっているのです。しかしサイコパスにはそうした感覚がない
ので、世にあふれるメディアにはほとんど意味がないと言えます。
これはサイコパスにとって大変なマイナス要素と言えます。いわゆるオタク的世界観は
サイコパスにとって入り込めない領域と言って良いでしょう。
ではサイコパスはそういう感覚なしにどうやって刺激を得ているのでしょうか。
簡単に言ってしまえば、自分で体験できる部分が主軸となって人生が構成されるリア充
的生き方となるのです。しかしこれはオタクと対比してこういう言い方になるのであって、
一般人でもオタク的生き方とは無縁な人もいます。サイコパスはリア充的生き方から更に
様々な刺激要素が差し引かれて、きわめて貧弱な文化生活を送ると考えられます。
性的快感は最も得やすい刺激であるので、自然とその方向へ力を向ける事になります。
また、他人を支配したり優越を感じたりする事も数少ない快楽であると言います。しかし
そうした感覚が得にくい状況に陥ると、自分の感覚を麻痺させて逃避する方向へと向かう
と言います。サイコパスの多くが最終的にアルコール・薬物依存症になるとう統計があり、
このことは彼らがスーパーマンではないという査証になっています。
この他人を支配したり操作するという快感は、達成後の安心感も手伝ってかサイコパス
の行動の主要な部分となっています。そして、この行動は人間よりも下等な霊長類や哺乳
類にも見られるものであり、原初から受け継がれた本能的な部分が大きいと考えられます。
代表的な例として、サルのマウント行動が挙げられます。サルの群れのボス猿や位の高
い個体は、自分より目下の個体の背後に覆いかぶさって上下関係を確認する行動をします。
それは上下関係が揺らぐような状態になると頻繁に行われるようになりますが、結局は
実力行使による上下の逆転劇に勝る威力はありません。マウント行動は単に精神の安定の
為に行われるのであって、上下関係そのものとは関係ないのです。ただし、下の物が上の
物にマウントすることはほぼ無いので、上下関係のバロメーターとはなります。
サイコパスもまたこのようなマウント行動によって刺激を得ていると考えられます。
それを頻繁に行うのは健全な人間のように疑似的なメディアから刺激を得る事が出来ない
からであり、言い換えれば数少ないサイコパスの娯楽の一つと言えます。
マウント行動は支配欲求の現れであり、支配した後に形成される支配体制から生じる実
利や責任とは直接の関係がありません。それはそれで別なものなのです。ですから支配体
制を確立してもサイコパスにそれを実質的に運営する責任感は必要ないと言えます。
そこで、支配ゲームの果てに会社組織のようなものが形成された場合、地道にルーチン
ワークができる者を役職に就け、組織運営を任せると言う事になります。昔はよくワンマ
ン社長に振り回される平社員という構図があったのですが、それなどは良くこの形を表し
ていると言えます。
それはそれで、社会的に有意義であるので問題はないかもしれません。昨今世間を騒が
せているブラック企業の出自など、こうした成り立ちが多いのではないかと考えられます。
実際問題、サイコパス関連の本を読むとその実例には他人に対して無慈悲に支配的に接
する等の例が多く出てきます。個々の事例に違いはありますが、それらの行動がマウント
行動の延長ではないかと考えられるのです。
健全な人間では、そこまで執拗に上下関係にこだわることはなく、仕事の上で止むを得
ずやっているとか、親として子供を叱る時くらいに限られています。毎日必ず人に対して
支配的な行動を取らねばならない人は相当の疲労とストレスを感じているはずです。
しかし、サイコパスにとっては数少ない娯楽の一つですから、毎日喜んで支配的な行動
をとっているのではないかと思えます。
では会社やサークル等の社会的グループを形成できなかったサイコパスのマウント行動
とはどのような形をとるのでしょうか。
多くのサイコパスは社会でグループを形成する技術も資本も無いので、個人的な狭い範
囲でマウント行動を繰り返すことによって、満足を得ているのではないかと私は考えてい
ます。
これは推測にすぎませんが、自分より弱い個人を見つけ支配下におく事によって疑似的
なマウント行動を毎日行い得る環境を作るのではないかと考えられます。
言葉巧みに結婚生活に引き込み、家族となると家庭内暴力を行う人物に変貌すると言う
話はよく聞きます。また、全く他人であってもストーカー行為によって身近に近付き、少
しずつ嫌がらせ行為をエスカレートさせるという例も珍しくありません。
世間一般では、これらは痴情のもつれと言う事になっていますが、サイコパスには人間
的な感情も愛情もありません。それらは単なるマウント行動の長期的実現の為というのが
私の推測です。
そういう状況に陥ったらどうすべきなのか?という問題は常にあります。逃げ出しても
追いかけてくるのではないかという不安もあるでしょう。しかし基本的に言ってサイコパ
スに傷つくという感覚はありません。あるとすれば刺激がなくなった事による過失感です。
サイコパスを相手として気遣う必要はありません。代わりになる刺激をあてがって逃げ
るというのが最善の方法として考えられます。
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