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 2つの映画 「Z」(1969年)「日本のいちばん長い日」(1967年モノクロ)

2019-08-24 22:09:23 | 日記・エッセイ・コラム


 ここ数年ほどレンタルDVDで多くの映画を鑑賞しました。最新の映画より過去に話題
を聞いて記憶にとどめておいた映画を掘り起こしたものが多く、アニメもシリーズごと
観たこともあります。
 過去に見た映画を繰り返し観る事も結構ありました。最新の映画を見るよりリスクが
低い(時間を無駄にしない)という事もあり、良く使う手法です。

 次に紹介する2つの映画は過去に何回か見て、最近また見返したものです。
「Z」(1969年)「日本のいちばん長い日」(1967年モノクロ)
 
「Z」はDVDも出ていますが高価で入手困難なのでビデオをオークションで落札して鑑賞
しました。最初に観たのは90年代の終わりごろTVで放送していたのを録画して、その後
一回見返しています。存在を知ったのが比較的新しい映画(と言ってももう20年たって
いますが。)で、監督に関して今回初めて調べてみました。それによると大体似た様な
主題で政治的な革命や人権蹂躙に関して告発している作風が多いようです。
「日本のいちばん長い日」は、TVで子供の頃見た後、90年代の初め頃レンタルビデオで
見ています。知る人ぞ知る映画ですが、知識を得た後で改めて見てみると印象が違って
いて、見た意義は大いにありました。

 以下あらすじでネタバレを含みます。

 「Z」
 地中海沿岸の架空の国家(当時のギリシャがモデルになっている)で起きた、Z氏の
謀殺事件に絡む軍部の陰謀とそれを暴く予審判事の追及が主軸になっていて、首謀者が
特定され裁判に召喚勧告される所までがクライマックスになっています。事件の全容が
明らかになったものの、物語は突然の軍部のクーデターによって証人のほとんどが死亡
するという結末を迎えます。実在の活動家グリゴリス・ランブラスキ氏の暗殺事件を元
にしており、軍事政権であったギリシャでは上映禁止になっています。
 上記のようにこの映画はフィクションですが、かなりリアリティーのある内容であり、
アカデミー外国語映画賞を始め多くの賞を受けています。

 「日本のいちばん長い日」
 1945年の日本の敗戦に絡む8月14日から翌15日正午までの政府・天皇・軍部の動きを
史実に基づいて描いた映画です。
 物語は14日深夜に及ぶ日本政府の降伏決定の前半と、それを覆そうとする将校・参謀
のクーデター未遂(宮城事件)の後半部分に分かれています。演出による誇張はあるに
せよ、これがほとんど実際に起きたことだという点に驚かされます。
 史実に関して関心のある方は検索などして調べていただくとして、本作品ではクーデ
ターの方法に関して、軍部自体は統制が取れていて一部将校が実行部隊を動員する為に
師団長の殺害と命令書のねつ造と言う成りすましによって得た半日の叛乱(15日正午に
玉音放送が行われれば敗戦の事実は日本中に知れ渡るため)に賭けたという描写がなさ
れています。 
 現実には、日本の敗戦は半月後の9月2日戦艦ミズーリ艦上の調印を持って正式に成立
するわけで、それまで各所での局所的戦闘や混乱がありますが、日本人のほとんどが15
日正午の玉音放送が終戦の瞬間であるという認識を持っているのはご存じの通りです。

 二つの映画に共通するのは、軍隊による暴力によって物語が大きく動いていると言う
点ですが、それ以外の部分はかなり異なります。
 両作品とも軍事政権下であるので、このような暴力がまかり通るかのような印象を受
けますが、それは不法行為であって法や秩序の元に糾弾されるという描写があります。
 「Z」の場合、最終的には軍部の手による国家転覆によって水泡に帰すという結末に
なっていますが、「日本のいちばん長い日」では敗戦のリミットと虚偽の露呈によって
首謀者は自害します。
 これは、二つの国家に対して外圧が働いているかいないかの違いであると思います。
地中海沿岸の架空の国家では、まかりなりにも独立が堅持されていて隣国は静観するし
かありませんが、敗戦目前の日本という時点で進退は極まっていて、連合軍の攻撃の前
でクーデターを起こしても無意味な喜劇でしかないのです。
 この数式を監督はよく理解していて、「Z」のコスタ・ガブラス監督は「告白」「戒厳
令」と続く三部作を作り国家権力による非情な弾圧を暴いて行きます。監督自身の行動
と映画自体が密接なつながりがあり、世界に対して静観していてはいけないと訴えかけ
ているのです。「日本のいちばん長い日」の岡本喜八監督は、叛乱側の将校を狂気を秘
めた演出で描き、対する政府・指導者側は思慮に富んだ人物という対比を作り、何か抗
す事ができない時間の流れに七転八倒する青年将校と自害という結末を描き切っていま
す。ラストシーンで悠然と自転する地球を見せ、これは必然であると示しているのです。

 私が最初に両作品を見た時、悪を暴く予審判事役のジャン・ルイ・トランティニアン
がかっこいいとか、青年将校が騎馬とサイドカーで叫びながらビラを撒いて皇居横の空
き地でピストル自殺するシーンが怖い(当時小学生だったので)くらいの印象しか持っ
ていませんでした。
 この齢で知識と経験を得て観てみると、この映画は社会の縮図であって現在でも有り
うる事だと考えるようになりました。その時になってZの予審判事のように悪を暴ける
のか、三船敏郎演じる陸軍大臣のように一切の責任を負って腹を切れるのか、という点
は分からないのですが。少なくとも暴力や虚偽でころりと騙されて犯罪者の側に着くと
いう愚行だけは避けたいと思っています。