T.N.T.-SHOW

メカデザイナー山本薫のBlogです~2006・11・30 お仕事募集中 sp2q6z79@polka.ocn.ne.jp

コミティア 111に参加しました

2015-02-01 21:06:25 | 日記・エッセイ・コラム
 本日はコミティア111が開催され、サークル参加をしました。
今回は、壁際から数えて2列目でスペースの位置も良く人通りも上々でしたが、結局
販売数は1でした。彼は私にスケッチブックを依頼して一冊を購入したのです。
その他、手にとって下さった方は10名あまり。コミックのネット販売の勧誘員一名
といった具合でした。
 前日の深夜3時までかかってコピー誌を作ったのですが、これも結局はほとんど無駄
だったことになります。コピー誌は前年の11月のコピー誌が不評だったので4ページを
描き足し、より分かりやすくしたものですが、実際にかけることができた日数が4日ほど
とあって完璧な手直しとはいかなかったのです。

 しかし、今回冷静に周囲を見回して思ったのは、まず手にとってもらうにはカラー表紙
と目に留まる今風なキャラクターと言う、コミケにおける傾向がここにも浸透していると
いう点でした。もちろん、手にとってもらっても内容が期待外れでは買ってもらえませんし
昨今では値段が高ければ敬遠される傾向も出てきています。
 コミティアが創作者のイベントと言うのは以前のことであり、規模が大きくなれば購買層
におもねる傾向が出てくる宿命があるのかもしれません。
 と言っても、安易にエログロに走るばかりと言うわけではなく、絵のレベルが全体的に
非常に高くなっているのがこのイベントの特徴と言えます。その代わり、以前このイベント
の特徴であった下手でも意気のいい様々な傾向のコミックは淘汰されつつあるのですが。
以前はイベント全体を見て回れば「こんなものがあったのか」とか「馬鹿なことを真剣に
やっているなあ」という収穫があったのですが、参加数が増えレベルの向上が進むにつれ
均質化が進んでいるのかもしれません。
 規模は大きくなっているし、絵はうまいけど全体に似たようなものばかりという印象が
今後も進むかもしれません。その背景にあるのは、やはり自分の本を買ってほしいという
当たり前な欲求からだと思います。

 そういう傾向の中でネット販売と言うのは一つの手かもしれない、と去年辺りから考えて
いました。製本やイベントへの参加費・交通費が圧縮されるので、販売が容易である上に
売れないと判断すればリスク回避も容易だからです。
 その分イベントにおける人の交流はほとんど皆無ですし、ネット上という危険も覚悟しな
ければなりません。
 ただ、私のようにウォッチ界隈の標的にされ常に無責任な悪評に備える必要がある場合、
そして他の信頼できる支持者の支援が皆無な場合、やってみる意義はあると思います。

 もう一点、私には安心して製作できる時間が短く目に見えて描きこみや仕上げの低下
を招いている点が致命的と言えます。製作時間を数ヶ月単位で長く取るとウォッチ界隈
から情報がもれて拡散する危険が非常に高くなるので、安全面から短期決戦を敢行しな
ければならない事情があります。
 企画・ネームの段階までは様々な場所を巡って執筆することも可能ですが、原稿を
描くのはどうしても自室になります。この段階でなぜか情報が漏れる傾向があります。
どう考えてもそういうことはありえないのですが、そういう傾向がある以上、対抗手段
を取らねばならず、仕上げ時間の圧縮と言う事態に陥ってしまうのです。
 仕上げの仕事はアシスタント時代に5~6年の経験があり、できないわけではあり
ません。むしろ得意分野なのですが、時間が取れなくてはどうしようもありません。
広い仕事机で自在に腕を振るえないというのも非常に不便で、質の低下につながって
います。

 その上ここ二回のイベントの反響が皆無なので、果たしてどこへ向かっているのか、
自分で判断しなければならないと言う関門もあります。
 この一年の同人誌製作に関しても相対的なその評価は混沌としたものです。

 同人活動に関してはウォッチ界隈のことも含めて製作面のことに関しても包括的に
考え直してみる必要があると考えています。


追伸 今週の前半に流れたウォッチ界隈の情報は「居場所を奪う」と言う物だったらしい。
   その元になったのも若いころの私の行動をウォッチした情報が元になっています。
  若いころは誰でも社会に出て自分の道や居場所を探すもので、私もそうした途上に
  ありました。その方法は新しい文化を創出して一道を成そうとするものでした。
   今では当たり前になった創造に伴う破壊を自分の中で行うことによって、自分なりの
  作風を作ろうとしたのです。しかし、おそらくその様子は逐一チェックされており、
  旧世代からは自分たちのテリトリーを侵す脅威とみなされていたのでしょう。
   時は80年代後半から90年代。現在の萌えや愛や、合理的観点から見た戦後日本
  の近代史と言ったものが再構成されつつありました。それらに関しては何かの機会に
  書きましょう。
   ただ、そういった意味も知らず、現在の私の場所を奪う嫌がらせをしても無意味
  なので止めていただきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする