『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【190】日々の祈り(消えてゆく姿の効果)

2005-05-06 21:53:42 | 「白光」の教え
「世界平和の祈りを祈っていれば、自分が幸せになるのだな」と思って、祈れば良いのです。そうすれば、愛の光が、その言葉を通して拡がってゆくのです。

「はじめから、悟っていたのだな」と思えることが、「悟り」なのです。
「世界平和の祈り」の中に、「悟り」があるのです。「世界平和の祈り」一念で良いのだと思えたときが、「悟り」なのです。

全託をしたのに、そのなかでまた、余計なことを考える必要はないのです。
だれでも、「祈り」の中に入れるです。考えるよりも、やってみたら分かるのです。

もっとも簡単に、祈りのなかに入る方法は、
『自分はいま、いのちがあって、ここに生かされているんだな、ありがたいな。あの人もこの人も、いのちがあって生かされている。みんな、もとのいのちはひとつなのだな。神さま、ありがとうございます。世界人類が平和でありますように。日本が平和でありますように。私たちの天命が完とうされますように。
守護霊様ありがとうございます。守護神様ありがとうございます。』とやればよいのです。(*^_^*)

祈るときには、神さまが現われているのです。

【189】病気はあるのか、ないのか?(法則の神と、救済の神)

2005-05-06 21:49:22 | 「白光」の教え
完全円満になれないのは、「業」があるからなのです。
「法則の神」とは、実相の神なのです。現実とは、不完全が完全になるために、自分の業が現われて、消えてゆくことなのです。

ですから、「神のみ心のままに」と思えれば、病気があってもそれが苦にならないというのが「観の転換」なのです。(*^_^*)

そうなれば、「病気」はあっても、ないのです。
病気というカルマの中に、「法則の神」と「救済の神」が現われているのです。

病気はあっても、「これで、私の『病気のカルマ』が消えてゆくのだな。ありがたいな。ありがとうございます。」と思えば、心が楽になり、救世の大光明の光の中に入れるのです。「感謝の思い」が、「救いの光」を与えてくれるのです。

 【特選五井先生ご法話集テープ001『人間―この複雑なもの』】