完全円満になれないのは、「業」があるからなのです。
「法則の神」とは、実相の神なのです。現実とは、不完全が完全になるために、自分の業が現われて、消えてゆくことなのです。
ですから、「神のみ心のままに」と思えれば、病気があってもそれが苦にならないというのが「観の転換」なのです。(*^_^*)
そうなれば、「病気」はあっても、ないのです。
病気というカルマの中に、「法則の神」と「救済の神」が現われているのです。
病気はあっても、「これで、私の『病気のカルマ』が消えてゆくのだな。ありがたいな。ありがとうございます。」と思えば、心が楽になり、救世の大光明の光の中に入れるのです。「感謝の思い」が、「救いの光」を与えてくれるのです。
【特選五井先生ご法話集テープ001『人間―この複雑なもの』】
「法則の神」とは、実相の神なのです。現実とは、不完全が完全になるために、自分の業が現われて、消えてゆくことなのです。
ですから、「神のみ心のままに」と思えれば、病気があってもそれが苦にならないというのが「観の転換」なのです。(*^_^*)
そうなれば、「病気」はあっても、ないのです。
病気というカルマの中に、「法則の神」と「救済の神」が現われているのです。
病気はあっても、「これで、私の『病気のカルマ』が消えてゆくのだな。ありがたいな。ありがとうございます。」と思えば、心が楽になり、救世の大光明の光の中に入れるのです。「感謝の思い」が、「救いの光」を与えてくれるのです。
【特選五井先生ご法話集テープ001『人間―この複雑なもの』】