「自分の思い」で勝手に、「過去」を決めてはいけません。(^^;ゞ
「私はこういう者なのです」と、決めてはいけません。
「私には、勇気がありません」と、勝手に決めてはいけないのです。(*^_^*)
過去には勇気がなかったかも知れませんが、神さまとつながった今は、勇気があるかも知れません。神さまに全部任せたら、過去の「自分の思い」など、ありっこないのです。「神さまの想い」だけがあるのです。それで良いのです。(*^_^*)
それを、「過去にこうだったから、こうなった」とか、神さまと自分を離して、二つに分けているので、いつまで経っても、神さまとひとつになれないのです。
「自分の想い」を神さまに任かせてしまって、神さまに預けてしまえば、必要なときには、チョチョと使ってくれるのです。そうすれば、「すう~と」生きていけるのです。(*^_^*)
自分の想いをすべて、神さまに任せて、「世界人類が平和でありますように!
私の天命が完とうされますように!」と任せて、自分が無くなったのに、また「自分の想い癖」を把かまえてしまう人が、99,999%なのです。(*^_^*)
「私は、こういう性格だ」は、もうないのです。日々新生なのです。「過去」は、ないのです。「消えてゆく姿」になっているのです。
何があるのかといいますと、「神さまのいのちが、ここに生きて、神さまのよいように、そして肉体の人間にもよいように、神さまが動かしてくださる」ことだけなのです。(*^_^*)
それを、「自分が、自分が」と思うのです。「自分で考えないで、何ができる!」と思っても、くだらないことしかできないのです。
「世界人類」のことは、自分が考えても出来ない。
肉体の人間は、神さまの前では何もできない。「神さまのみ心のまま」にやるより仕方がない。「神さまのみ心のまま」にするより仕方がないように、出来ているのです。(*^_^*)
『肉体の人間は、なにごともなし得ない』のです。なし得るのは、何かといいますと、神とひとつになった心です。そうすれば、「無限のちから」が出て来ます。(*^_^*)
過去にどんなに良い事をしようが、悪い事をしようが、それは「消えてゆく姿」なのです。
それでどうしたら、「神さまのみ心のまま」になれるのかというと、「世界人類が平和でありますように、…・」と祈れば、日常生活がそのまま、「神のみ心のままに」になっているのです。
神さまと人間が離れていては、「世界平和」は出来ないのです。それで、「世界平和の祈り」の中に、良い想いも、悪い想いも入れてしまいなさいということになるのです。
「消えてゆく姿」というのは、「空(くう)」になる練習なのです。「空」になった所から、神さまの光が入ってきて、自分が立派になるのです。(*^_^*)
【特選五井先生ご法話集テープ005『宇宙と人間』】
「私はこういう者なのです」と、決めてはいけません。
「私には、勇気がありません」と、勝手に決めてはいけないのです。(*^_^*)
過去には勇気がなかったかも知れませんが、神さまとつながった今は、勇気があるかも知れません。神さまに全部任せたら、過去の「自分の思い」など、ありっこないのです。「神さまの想い」だけがあるのです。それで良いのです。(*^_^*)
それを、「過去にこうだったから、こうなった」とか、神さまと自分を離して、二つに分けているので、いつまで経っても、神さまとひとつになれないのです。
「自分の想い」を神さまに任かせてしまって、神さまに預けてしまえば、必要なときには、チョチョと使ってくれるのです。そうすれば、「すう~と」生きていけるのです。(*^_^*)
自分の想いをすべて、神さまに任せて、「世界人類が平和でありますように!
私の天命が完とうされますように!」と任せて、自分が無くなったのに、また「自分の想い癖」を把かまえてしまう人が、99,999%なのです。(*^_^*)
「私は、こういう性格だ」は、もうないのです。日々新生なのです。「過去」は、ないのです。「消えてゆく姿」になっているのです。
何があるのかといいますと、「神さまのいのちが、ここに生きて、神さまのよいように、そして肉体の人間にもよいように、神さまが動かしてくださる」ことだけなのです。(*^_^*)
それを、「自分が、自分が」と思うのです。「自分で考えないで、何ができる!」と思っても、くだらないことしかできないのです。
「世界人類」のことは、自分が考えても出来ない。
肉体の人間は、神さまの前では何もできない。「神さまのみ心のまま」にやるより仕方がない。「神さまのみ心のまま」にするより仕方がないように、出来ているのです。(*^_^*)
『肉体の人間は、なにごともなし得ない』のです。なし得るのは、何かといいますと、神とひとつになった心です。そうすれば、「無限のちから」が出て来ます。(*^_^*)
過去にどんなに良い事をしようが、悪い事をしようが、それは「消えてゆく姿」なのです。
それでどうしたら、「神さまのみ心のまま」になれるのかというと、「世界人類が平和でありますように、…・」と祈れば、日常生活がそのまま、「神のみ心のままに」になっているのです。
神さまと人間が離れていては、「世界平和」は出来ないのです。それで、「世界平和の祈り」の中に、良い想いも、悪い想いも入れてしまいなさいということになるのです。
「消えてゆく姿」というのは、「空(くう)」になる練習なのです。「空」になった所から、神さまの光が入ってきて、自分が立派になるのです。(*^_^*)
【特選五井先生ご法話集テープ005『宇宙と人間』】