『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【186】「霊(れい)・魂(こん)・魄(ぱく)」の相違について

2005-05-03 23:17:55 | 「白光」の教え
まず「宇宙神」について、簡単に説明したいと思います。

世界はもともと、「一つ」であったのですが、それが分かれて私たちが出来ました。そのもともと「一つ」であったモノが「宇宙神」なのです。
ですから、「神のみ心」とは、「宇宙神のみ心」のことなのです。

「霊(霊性)」とは、その「神のみ心」のことで、光そのもの、生命そのもの、エネルギーそのもののことです。「直霊(なおび)」とも呼ばれます。

「魂(こん)」とは、「想い」のことであり、「魄(ぱく)」とは、物質のことです。そして、私たちの中には、その霊と魂と魄が共存しています。
つまり、「宇宙神のみ心(霊性)」と、「想い」と、「物質的な側面」が、私たちの中にあるのです。

「人間は、神の分霊(わけみたま)」とは、もともと一つであった「宇宙神」がその統一を解いて分かれたものが、私たち一人一人だという意味です。

人間は単なる物質ではなく、霊と魂と魄の集合体なのです。

私たちの「霊(霊性)」はいつも輝いているのですが、想いが「かわいそうに」とか、「嫌だな」とか想うと、その想ったところで、苦しむことになるのです。

「争い」なら、「争い」というところで、苦しむことになるのです。
「病」なら、「病」と想うところで、苦しむことになるのです。

「想い」が「囚われ」を造り出し、「想い」が滞ったところで苦しむことになるのです。

「世界平和の祈り」というのは、その「魂(こん)の想い」を離れて、本心(霊性)の中に入りなさいという教えであり、行(ぎょう)なのです。

 【特選五井先生ご法話集テープ001『人間―この複雑なもの』】より