歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

東京都・有楽町二丁目遺跡 「大岡越前守」木札が出土

2008年12月21日 | Weblog
 江戸南町奉行所があった東京都千代田区の有楽町二丁目遺跡で、「大岡越前守」と書かれた木札が出土していたことが、区教育委員会などの調査で分かった。
 大岡越前守は、奉行の大岡忠相(ただすけ)(1677~1751)を指しており、出土品で大岡の名が確認されるのは初めてという。
木札は当時の書記官が仕事をする地下の部屋に残っていた。
伊勢神宮の神主が大岡の側近3人のために書いたらしい。詳しい用途は不明。
 区教委は平成17年に奉行所跡を発掘。木札は縦26cm、横5cm。上段は「大岡越前守様御屋敷ニ而(テ)」で始まり、左に「市川儀平太様」「山本左右太様」「小林勘蔵様」と3人の側近の名があった。下段は「檜垣(ひがき)六神主」など伊勢神宮の神主3人の名を連ねていた。
[参考:共同通信、産経新聞]
「大岡越前守」の木札が出土 東京・南町奉行所跡(共同通信) - goo ニュース

参考:前出・江戸初期の南町奉行所は呉服橋のそばにあった

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 江戸遺跡研究会会報N0.108(2007.12.27発行)/(江戸遺跡研究会)を見ると、「有楽町二丁目遺跡」の発掘調査は2005年度に2回に渡り(延べ100日間)実施され、この時に今回の木札は出土され、既に「大岡越前守屋敷ニ而し ~」の部分は判読されている。
 南町奉行所の場所は、現在の有楽町マリオンと東京交通会館の間に位置し、有楽町イトシアとして2007年(平成19年)10月12日に開業された。したがって、この遺跡を再び我々の代で見ることはできないだろう。

大岡氏
 藤原北家教実流九条忠教(1248-1332)の後裔あるいは九条 尚経(1469-1530)の子とされる(大岡)伝蔵善吉、あるいは善吉以前の者が三河国八名郡大岡村(現、新城市黒田大塚字大岡)に住み、その地名をとって大岡氏と名乗ったとする。大岡善吉の子の大岡助勝(1522-1594)が松平氏に仕え、主君広忠(1526-1549)から偏諱を受け忠勝と名乗り、以降「忠」の一字を用いることとなる。忠勝が大岡宗家初代当主となる。
次代忠政(1550-1629)は徳川家康に仕え、功績により家康の関東転封に従い、相模国高座郡堤村を知行しそこに移った。
大岡忠助(1677-1752)は4代目当主忠真(1637-1700)の養子となり5代目当主となる。

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平安京跡 正月に宮中で生薬を飲む儀式に使われた酒杯が出土

2008年12月21日 | Weblog
 京都市埋蔵文化財研究所は20日、正月に長寿を願い、お屠蘇(とそ)に続いて生薬「白散(びゃくさん)」を飲む儀式に使われたとみられる平安時代末期の酒杯が、の平安京跡(京都市下京区)で出土したことを発表した。
 白散は、キキョウやサイシンなどを調合した生薬で、温かい酒に入れ正月に飲むと、無病息災の効能があると言い伝えられている。当時の宮中の儀式では、お屠蘇の次に飲むとされる。
 酒杯は内側の縁近くに墨で白散と書かれた白色土器(口径7・5cm、高さ2・7cm)。円形の井戸跡(直径約170cm)の底から、土師器の皿などともに見つかった。
[参考:共同通信、京都新聞]
長寿願う儀式の酒杯か 京都平安京跡で出土(共同通信) - goo ニュース
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栗東市・手原遺跡 製塩土器の破片が大量出土

2008年12月21日 | Weblog
栗東市・手原遺跡 現地説明会12/20 大型掘立柱建物が出土
 20日現地説明会が行われ、手原遺跡(同市手原)から、奈良時代後半から平安時代初頭にかけての大型掘立柱建物跡が見つかっていたことがかった。古代の豪族の館跡あるいは有力な役人の居宅だった可能性が高いという。
 手原遺跡の中央には古代の東海道が東西に走っていたと推定され、北側で役所の中心部が見つかっている。
 今回の調査地は推定東海道の南側で、見つかった掘立柱建物は東西約12m、南北約5m。南を向いた庇の柱跡も発見された。約5m西側には、約5m四方の立派な倉庫があり、重量に耐えられるよう密に柱を立てていた。当時は2つの建物の数十m南側に葉山川が流れており、陸路だけでなく、琵琶湖の水運とつながっていた可能性も考えられる。
 建物周辺の溝からは、薬や調味料などを入れた須恵器壺や緑釉陶器など、一般の集落では出土しない高価な遺物が出土。平安時代中ごろの遺構からは、役人のベルトの一部である「銅製帯金具」も見つかり、奈良時代後半から平安時代中ごろにかけ、経済力を持った役人が住んでいたことを裏付けている。
[参考:産経新聞、栗東市出土文化財センター]

栗東市・手原遺跡 製塩土器の破片が大量出土
 奈良時代中期から平安時代初期の郡役所の一つとみられる同市手原1丁目の手原遺跡で、製塩土器の破片約4000点が見つかった。製塩土器は塩を取り出すために割られることが多く、復元できるのは稀だという。破片から土器(口径13-16cm)10個を復元した。20日から始まった栗東歴史民俗博物館「湖国の塩-その歴史と民俗」で展示している。
[参考:京都新聞] 


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