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栗東市・手原遺跡 製塩土器の破片が大量出土

2008年12月21日 | Weblog
栗東市・手原遺跡 現地説明会12/20 大型掘立柱建物が出土
 20日現地説明会が行われ、手原遺跡(同市手原)から、奈良時代後半から平安時代初頭にかけての大型掘立柱建物跡が見つかっていたことがかった。古代の豪族の館跡あるいは有力な役人の居宅だった可能性が高いという。
 手原遺跡の中央には古代の東海道が東西に走っていたと推定され、北側で役所の中心部が見つかっている。
 今回の調査地は推定東海道の南側で、見つかった掘立柱建物は東西約12m、南北約5m。南を向いた庇の柱跡も発見された。約5m西側には、約5m四方の立派な倉庫があり、重量に耐えられるよう密に柱を立てていた。当時は2つの建物の数十m南側に葉山川が流れており、陸路だけでなく、琵琶湖の水運とつながっていた可能性も考えられる。
 建物周辺の溝からは、薬や調味料などを入れた須恵器壺や緑釉陶器など、一般の集落では出土しない高価な遺物が出土。平安時代中ごろの遺構からは、役人のベルトの一部である「銅製帯金具」も見つかり、奈良時代後半から平安時代中ごろにかけ、経済力を持った役人が住んでいたことを裏付けている。
[参考:産経新聞、栗東市出土文化財センター]

栗東市・手原遺跡 製塩土器の破片が大量出土
 奈良時代中期から平安時代初期の郡役所の一つとみられる同市手原1丁目の手原遺跡で、製塩土器の破片約4000点が見つかった。製塩土器は塩を取り出すために割られることが多く、復元できるのは稀だという。破片から土器(口径13-16cm)10個を復元した。20日から始まった栗東歴史民俗博物館「湖国の塩-その歴史と民俗」で展示している。
[参考:京都新聞] 



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