歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

中国・田螺山遺跡 世界最古のイチョウの木器、楽器か?

2008年12月10日 | Weblog
 11月29日の報道で、6000-5000年前の地層から世界最古の茶畑とみられる遺構が見つかった中国浙江省の初期稲作集落跡・田螺山(でんらさん)遺跡で、約6800年前(新石器時代)の地層から、楽器とみられるイチョウの木器が見つかったことが10日分かった。
 調査した金沢大の中村慎一教授(考古学)らの日中共同研究グループによると、当時の農具や船の櫂、弓といった木器の材料はクワ類などが多く、イチョウで作った木器としては世界最古という。
 中村教授によると、発見されたのは円筒形の木器の一部で、長さ21・9cm。内側に環状の突起があった。叩いて音を出した楽器とみられ、木製打楽器としても最古級という。高床式建物のそばの水辺から、ほかの木器と一緒に出土した。
 イチョウ類は数億年前に世界各地で繁殖したが、中国南方の限られた地域に一種だけが生き残って現生種になっており、「生きた化石」と言われる。人間がどう利用してきたかは、原産地の中国でも不明の部分が多かった。
[参考:共同通信、産経新聞、前出]

世界最古のイチョウの木器 楽器か、中国・田螺山遺跡(共同通信) - goo ニュース
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高島市・池の沢遺跡 平安貴族の山荘庭園跡

2008年12月10日 | Weblog
 市教委は10日、滋賀県最古級の庭園遺跡「池の沢遺跡」(同市朽木村井)が、京都の貴族が行楽で使用したと考えられる鎌倉時代初期(13世紀初め)の姿をそのまま残した庭園跡であることが確認されたと発表した。
後世に改修された形跡がないことから、約800年前の作庭技術をそのまま伝えていると考えられ、これほど完全な形で残っているのは全国にも例がないという。
 同遺跡は、2006年に25年ぶりに調査を再開した。庭園跡は1万3500㎡で、今年7月から850㎡を調査した。
 庭園は比良山系最高峰の武奈ヶ岳を望む場所に設けられ、湧き水を利用した南北約80m、東西約32mの三日月型の池が中心。
中島を浮かべて橋を架け、護岸には荒磯(ありそ)風に岩を配置。なだらかな曲線を描いた州浜もある。
 池に湧き水を供給する水口には大ぶりの石を配し、高さ20mの崖から安曇(あど)川に池の水を排水する落口には石を組み合わせ、対岸の「鯖(さば)街道」からの景観も意識したと考えられ、滝のように見えるように意匠が凝らされていた。
池石積みの裏側から13世紀初めの土師皿が出土し、作庭時期が確定した。
 現地説明会は13日午前10時から。問い合わせは同市教委Tel:0740(32)4467。
[参考:産経新聞、京都新聞]
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奈良県高取町 薩摩遺跡 ため池跡を発見

2008年12月10日 | Weblog
波多里長檜前村寸木簡
 県立橿原考古学研究所が9日、薩摩遺跡(高市郡高取町薩摩)で奈良時代末-平安時代前半(8世紀末-9世紀前半)ごろの灌漑用ため池跡や、池の完成式で読み上げたとみられる人物名を記した木簡などが見つかったと発表した。
 木簡は「波多(はた)里長の檜前村寸(ひのくますぐり)本なすがこの池を造った。完成すると神が現れ喜んだ」などという内容。近くで皇朝十二銭の承和昌宝(835年鋳造)3枚が見つかっており、同研究所は「感謝のセレモニーで木簡を読み上げ、一緒に納めたのかもしれない」としている。
 木簡は表裏に文字が墨書きされ、縦21・5cm、横4・1cm。檜前村寸は有力農民で、高度な土木技術を持った渡来系一族の出身だったらしい。同研究所は、技術力を見込んだ国司の命を受け、ため池の造営に当たったと推測している。
 読売新聞の記事では2つの木簡の読みが掲載されている、それによると次のとおりである。
 ①癸應之 波多里長檜前主寸本為 □□□遅卿二柱可為□
 ②田□□前□申此池作了故神

 ため池跡は、東西40mの谷を堤でせき止める構造とみられ、南北の長さは90m以上、深さ1m。池の水を流すための木材を組み合わせた木樋の一部が見つかった。長さ約115cm、幅約50cm、厚さ約25cmで管状になっており、中がくりぬかれている。上面には取水穴を開けた蓋があり、穴に丸太を抜き差しして水量を調整したと考えられるという。 
古代のため池の発掘は大阪府の狭山池(約4万㎡、7世紀初め)など数例で極めて珍しく、古代の土地開発の一端を知る手掛かりとみている。
 現地説明会は14日午前11時~15時。説明は11時と13時の2回。近鉄市尾駅から東へ徒歩15分。
木簡は同日午前9時~午後4時30分、橿原考古学研究所付属博物館(奈良県橿原市)で展示する。
[参考:10/9共同通信、産経新聞、読売新聞、橿原考古学研究所]

古代のため池跡発見=排水設備見つかる-奈良・薩摩遺跡(時事通信) - goo ニュース
古代のため池から施工者示す木簡出土…奈良・薩摩遺跡(読売新聞) - goo ニュース

 14日、現地説明会が行われ、県内外から約400人が訪れた。[参考:12/16奈良新聞]
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松原市・河内大塚山古墳 発掘中の陵墓参考地を考古学研究者らが見学 周濠浅かった

2008年12月10日 | Weblog
 河内大塚山古墳は大阪府の百舌鳥古墳群と古市古墳群の中間にあり、平城天皇の皇子らの墓とする言い伝えなどから、大正時代に陵墓参考地になった。
 宮内庁は墳丘への「渡り堤」が周濠の水で浸食されていたため、修復工事に先立ち発掘中で、研究者側の要望に応じ調査区への立ち入りを許可した。その発掘現場を10日、考古学研究者ら15人が45分間見学した。出土品はなかったが、築造時の周濠が現在より浅かったとみられることが分かった。江戸時代に田畑の灌漑用の池として周濠を利用するため浚渫され、深くなったのではとみている。
 研究者間では、欽明天皇など6世紀後半の大王墓だったとする見方が強い。
[参考:共同通信]

河内大塚山古墳
 人工の造山だが、後円部頂上は松原市内で最も標高の高い場所という。
墳丘規模は、全長335m、前方部幅230m、後円部直径185m、前方部高さ4m、後円部高さ20m。
 規模としては全国で5番目の大きさ。横穴式石室が後円部にあるとみられる。築造時期は6世紀中葉から後半と考えられる。
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