山陰旅行も最終日。このなんの装飾もない建物は山口県立美術館です。香月泰男のシベリアシリーズのコレクションをもっているので、行ってみました。館内はがらんとしていました。切符を買おうとしたら、「常設展は通常300円ですが、教育文化週間(とかなんとかいったと思います)なので、無料で観覧できます」とのこと。なんか得した感じ。常設展示場は、愛媛県立美術館よりも狭く、3部屋だけです。1部屋がシベリアシリーズ、もう1部屋が重文を含む雪舟関連の展示でした。最後の1部屋は抽象彫刻で、「トルソ」という名の得体のしれない木彫りが何体もおいてありました。
山口市の商店街は、通路に服をおいて販売していいのかと思ったら、ジーンズのデザインコンクールが開催中でした。商店街も、いろいろ知恵を絞っているようです。
さて、松山行きのフェリーがでている柳井めざして出発です。その柳井方面へ向かう列車の反対方向に、津和野行きの蒸気機関車が入線してきました。客車はお客さんでいっぱいでした。
柳井駅から伝建地区に至る道路は、商店とオフィスビルが混じるなんの変哲もない道です。しかし、電線が地中化されて、歩道も整備されていました。
この道路につけられた名前が「麗都路通り」。はあ~、なんのこっちゃ。「レトロ通り」だけでもおかしいのに、暴走族かぼったくりスナックみたいな当て字にてのご命名です。これがおしゃれだと勘違いしているのが、田舎の人の感覚なんですよねえ。
町並み資料館です。
2階は、流行歌手の松島詩子さんの記念館になっていました。テトキチは全く知らない人ですが、なんでも紅白歌合戦に第1回から連続10回以上出場したとありましたから、そうとう活躍された方なのでしょう。レコード大賞の特別賞も受賞しています。レコード大賞の受賞の楯を見たのは、初めてです。
こちらが伝建地区に指定されている白壁の街並みです。
このような石組みの排水路が現役で残っているのは、珍しいとのことでした。
再び「麗都路通り」を歩いて駅までもどりました。途中、このようなヘンテコリンな郵便ポストを発見。「麗都路」な街並みにあうように特別に製作したそうです。このポストを使用しても、投函先に郵便物は届けられます、とわざわざ断り書きが書かれていました。ちなみに「麗都路通り」は、前に述べたとおり、単なるさびれた駅前通りで、街並みにあうもあわないもないような街路です。
駅前の郵便ポストは、全国各地で氾濫するマヌケな置物つき。柳井では、柳井の伝統的なおみやげものの金魚ちょうちんが乗っていました。
このあと、柳井港から三津浜港行きのフェリーに乗り、帰ってきました。毎日、けっこう歩き回ってくたびれましたが、たまには国内旅行もいいものですね。「鉄っちゃん」のように、連日、鉄道に乗ったのもひさしぶりでした。
山口市の商店街は、通路に服をおいて販売していいのかと思ったら、ジーンズのデザインコンクールが開催中でした。商店街も、いろいろ知恵を絞っているようです。
さて、松山行きのフェリーがでている柳井めざして出発です。その柳井方面へ向かう列車の反対方向に、津和野行きの蒸気機関車が入線してきました。客車はお客さんでいっぱいでした。
柳井駅から伝建地区に至る道路は、商店とオフィスビルが混じるなんの変哲もない道です。しかし、電線が地中化されて、歩道も整備されていました。
この道路につけられた名前が「麗都路通り」。はあ~、なんのこっちゃ。「レトロ通り」だけでもおかしいのに、暴走族かぼったくりスナックみたいな当て字にてのご命名です。これがおしゃれだと勘違いしているのが、田舎の人の感覚なんですよねえ。
町並み資料館です。
2階は、流行歌手の松島詩子さんの記念館になっていました。テトキチは全く知らない人ですが、なんでも紅白歌合戦に第1回から連続10回以上出場したとありましたから、そうとう活躍された方なのでしょう。レコード大賞の特別賞も受賞しています。レコード大賞の受賞の楯を見たのは、初めてです。
こちらが伝建地区に指定されている白壁の街並みです。
このような石組みの排水路が現役で残っているのは、珍しいとのことでした。
再び「麗都路通り」を歩いて駅までもどりました。途中、このようなヘンテコリンな郵便ポストを発見。「麗都路」な街並みにあうように特別に製作したそうです。このポストを使用しても、投函先に郵便物は届けられます、とわざわざ断り書きが書かれていました。ちなみに「麗都路通り」は、前に述べたとおり、単なるさびれた駅前通りで、街並みにあうもあわないもないような街路です。
駅前の郵便ポストは、全国各地で氾濫するマヌケな置物つき。柳井では、柳井の伝統的なおみやげものの金魚ちょうちんが乗っていました。
このあと、柳井港から三津浜港行きのフェリーに乗り、帰ってきました。毎日、けっこう歩き回ってくたびれましたが、たまには国内旅行もいいものですね。「鉄っちゃん」のように、連日、鉄道に乗ったのもひさしぶりでした。