わりと近くに住んでいますが、仕事があっていくことがある広島や岡山と違い、山陰方面は全然いくことがありません。ということで、飛び石連休を利用して、山陰地方に足を踏み入れてみようと思いました。そのまえに、岡山の高梁で途中下車。ここにも「松山城」があるので、よってみました。高梁駅から松山城へ行く途中には、武家屋敷などが残っている一角があり、電線も地中埋設され、すっきりした景観になっています。
備中松山城に行くには、江戸時代は高梁藩の政庁がおかれていたという高梁高校のあたりから上り坂になり、その後「遊歩道」というの名の山道をひたすらのぼっていくことになります。のぼって3分の1ぐらいいったところに、大石内蔵助が赤穂藩の名代としてやってきたときに、休んだという石がありました。なんか、忠臣蔵づいていますね。
いきなり、今回の小旅行最大の難所がやってきた感じです。松山の松山城と違い、かなり高い場所にあります。道も急です。
のぼること40分ほど、やっと松山城にたどりつきました。駅からだと50分ほどでしょうか。
2層2階のこじんまりしたお城です。
300円支払って、なかに入りました。そこには、お城につきものの鎧兜や刀剣類のコレクションが、まったくありません。がらんとしていて、もうしわけ程度に虫がくって腐った木(修復の際、撤去されたもの)が展示されています。そんなもの、金払って見たくないわい。
疲れが倍化するような展示を見た後は、ぴょんぴょんと下山。すると、下界には妙なものが。郵便ポストの上には、各地でこぞってへんてこりんなものを置いていますが、道路標識の上にも飾りがつくようになったようです。
特急やくもで、本来の目的地・山陰地方に突入。米子駅の0(霊)番線へ。
キャッホー! 幸運にもネコ娘号のご入線。
なかにもネコ娘が。この列車にのって、境港をめざします。
現地到着は夜9時をまわっていて、人通りも絶え、いい感じでした。
備中松山城に行くには、江戸時代は高梁藩の政庁がおかれていたという高梁高校のあたりから上り坂になり、その後「遊歩道」というの名の山道をひたすらのぼっていくことになります。のぼって3分の1ぐらいいったところに、大石内蔵助が赤穂藩の名代としてやってきたときに、休んだという石がありました。なんか、忠臣蔵づいていますね。
いきなり、今回の小旅行最大の難所がやってきた感じです。松山の松山城と違い、かなり高い場所にあります。道も急です。
のぼること40分ほど、やっと松山城にたどりつきました。駅からだと50分ほどでしょうか。
2層2階のこじんまりしたお城です。
300円支払って、なかに入りました。そこには、お城につきものの鎧兜や刀剣類のコレクションが、まったくありません。がらんとしていて、もうしわけ程度に虫がくって腐った木(修復の際、撤去されたもの)が展示されています。そんなもの、金払って見たくないわい。
疲れが倍化するような展示を見た後は、ぴょんぴょんと下山。すると、下界には妙なものが。郵便ポストの上には、各地でこぞってへんてこりんなものを置いていますが、道路標識の上にも飾りがつくようになったようです。
特急やくもで、本来の目的地・山陰地方に突入。米子駅の0(霊)番線へ。
キャッホー! 幸運にもネコ娘号のご入線。
なかにもネコ娘が。この列車にのって、境港をめざします。
現地到着は夜9時をまわっていて、人通りも絶え、いい感じでした。