テトキチワールド

 松山在住のテトキチの食べたり、旅したりの記録。ときどき、シャム社長のおともをします。

ちょっとはずした山形の旅⑩~街角の芸術‐山形編

2013-06-06 08:12:28 | 国内旅行ー北海道・東北
 山形市の最上義光歴史館の前にあった女性像です。題名・作者名はわかりませんでした。均整のとれた肉体美が表現されています。



 顔立ちもキリッとしています。



 こちらも最上義光歴史館前の女性像で、題・作者不詳。指先の奇妙な形は、何を表現しているのでしょうか。



 半袖で胸だけ被う奇妙な服のみを着ています。謎めいた作品です。こんな服を身に着けた像を、他でも見たような気もするのですが。



 こちらは山形県立美術館前の「燭」です。佐藤助雄氏の作品です。佐藤氏は山形市出身で、東京の世田谷区に記念館まである立派な方のようです。



 今度、世田谷に行く機会があったら、記念館を訪ねてみたいところです。



 米沢の住の江橋を飾っていた桜井祐一氏の作品が、山形県立美術館前にもありました。「やすらい」です。こちらは、少し中年の域に入ってきている女性でしょうか。腹のたるみの表現がなんとも言えません。



 歴史館・美術館がある公園から山形駅に向かって延びる公園通りには、春夏秋冬を表現した彫刻が設置されています。



 このやや抽象化された表現の像は、コルサニーニ・シーノ「夏[L’ESTATE]」です。この腰から背中にかけての反り返りが、「縄文の女神」を思い出させておかしいです。



 このうずくまった女性は、「秋[L’AUTUNNO]」です。別府博文氏の作品。別府氏を調べてみると、なんと愛媛県今治市のご出身とのこと。



 こちらは服部公右衛門氏作「春[LA PRIMAVERA]」です。この江戸時代の名主さんみたいな名前の彫刻家は山形市出身とのこと。跳ね上がった髪の毛が、春を思わせます。



 最後に上野良隆氏の「冬[L’INVERNO]」です。



 顔のそばにいるのは、左がフクロウ系の鳥、右はくちばしのとがった鳥です。



 奇妙にねじれた足や胴体の表現がなんとも言えません。印象に残る作品です。



 こちらは県民会館の前にあった母子像。題・作者不詳です。



 市民会館前にあった佐藤助雄氏の作品です。真ん中の女性が麦の穂らしきものを持っており、題名は「みのりの調」です。3人の女性像というのは、西欧の絵でよく描かれますが、こちらの女性の顔は東洋的です。



 後姿も美しいです。





     

ちょっとはずした山形の旅⑨~街角の芸術‐米沢編

2013-06-06 08:09:40 | 国内旅行ー北海道・東北
 米沢市の上杉神社にあった「母子像」です。下半身がどっしりしたお母さんです。母親が足を上げているのは、珍しい恰好かな。三坂耿一郎氏の作品です。地元マスコミが設置したものです。



 米沢の住の江橋には、4体の女性像が妍を競っています。ずべて桜井祐一氏の作品です。桜井氏は、米沢市出身の彫刻家で、平櫛田中氏の弟子とのことです。



 こちらは「腰かけた裸婦」です。そのままの題名ですね。住の江橋は、五月雨を集めてはやし最上川にかかっています。 



 「もの想うひと」です。



 そういわれると憂い顔にみえます。



 4体中1体だけ着衣の「若い女」です。上着を両手で引っ張っているのは、何をしようとしているところなのでしょう。着替えの最中か。



 こちらの仁王立ちの女性は、「五月の女」です。



 プラハのカレル橋のように、橋を飾る彫刻を増やして、裸体像で埋めつくしてほしいものです。カレル橋は聖人像だけど。



 上杉博物館のロビーにも「5月の女」がいました。


ちょっとはずした山形の旅⑧~芋煮のまぼろしの味を求めて

2013-06-05 07:54:54 | 国内旅行ー北海道・東北
 米沢というと、米沢牛というブランド牛の産地です。その米沢牛隆盛の基礎をつくった恩人・ダラス氏の顕彰碑が上杉公園にありました。碑文をよく読んでみると、良質の種牛を海外から移入したとか、画期的な飼育方法を伝えたとかではなくて、単に米沢の牛のおいしさを横浜の外国人たちに教えたということ(だけ)のようです。これで、大々的な顕彰碑をつくるのだから、米沢の人たちは人がいいなあ。



 そんなわけで米沢市内には、精肉店、ステーキ店、焼肉店などが建ちならんでいます。店先に牛の置物がある店が何軒もありました。こんなところで食べ歩きをしたら、お金がかかりそうです。



 山形に行くことになり、たのしみだったのは、実は山形の郷土料理・芋煮です。本来、秋のものだから、大幅に時期をはずしているのですが。学生時代、米沢で合宿したことがあります。宿泊は小野川温泉で、街はずれで活動したので米沢の市街地は知らないに等しいのですが。その時、夕飯にでた芋煮のおいしさが、いまだに忘れられません。



 ということで、ステーキでも焼肉でもなく、芋煮を目指しました。米沢の人たちにとって芋煮は、おそらくは料理屋で食べるものではなく、家族や仲間で川原にて鍋を囲むものなんでしょうが。川原でひとり食べるわけにいかない私は、米沢駅前の「まるぶん」に入りました。伊予小松駅前にも「マルブン」があるけれど、駅前食堂の定番的な名称だったのだろうか。



 芋煮定食(1500円)です。芋煮のねぎが煮込まれていないで、シャキシャキ感を残しているのは、なんだか料理店っぽいです。



 さて、期待に胸ふるわせて食べてみると、うん、なんだか味が薄い。学生時代に食べたものとちがって、出汁に甘みがない。こんなんじゃな~い、という思いが心を満たしました。隣の机では、中年の夫婦らしき人たちの奥さんの方が、牛鍋を食べて「おいしーいー。たまにはゼータクしなくちゃね。ほんと、おいしー」と、奇声をあげまくっています。その声を聞けば聞くほど、納得できない気持ちが膨らみました。



 米沢で納得できなかった私は、山形でも芋煮を食べてみることに。霞城セントラルの1階に入っている「いのこ家」です。場所がら、観光客や出張客相手のお店だろうなと思ったら、予想通りでした。



 芋煮(680円)です。こちらは、小ぶりの鉄なべに入れられて登場。



 出汁をすすると、やっぱりふつうの醤油仕立て。なんの変哲もありません。「もう煮えていますから、そのままお食べください」といわれましたが、まだ半生の里芋もまじっていました。牛肉の肉質もよくはなく、米沢のお店はそれなりの肉を使っていたんだな、ということが確認できました。



 翌朝、山形にて宿泊したホテルの朝食会場に行くと、なんと芋煮が鎮座していました。それだったら、観光客相手の店になんか行かなくてもよかったな、と思ったのですが後の祭りです。



 ごっそりぶんどって、食べてみました。無料ですから、さすがにお肉は固いです。でもいもはよく煮えています。ねぎも鍋で煮られていて、大鍋で出ているせいか、なんだか一番芋煮っぽかったです。でも、やっぱり味つけは、甘みがなかったなあ。



 ということで、思っていたような芋煮を食べることができませんでした。小野川温泉で食べた芋煮の味は、記憶の中で美化されているのであろうか。でも同宿だった者は、あの時、「スキヤキの割下のような味だね」といっていたので、かなり甘みをおびた出汁であったことは間違いないと思うのだけれど。もし、次に米沢出張の機会があれば、小野川温泉に宿をとろう。季節は、秋に。そんなに都合よくいかないだろうなあ。

ちょっとはずした山形の旅⑦~天童見物と板そば

2013-06-04 07:41:49 | 国内旅行ー北海道・東北
 少し時間ができたので、天童へ2時間だけ行ってみました。将棋の駒の産地として有名なところです。



 天童の街をつらぬく道路は、松並木になっていました。松の並木道というのは、ちょっと記憶にないなあ。珍しいのではないでしょうか。



 明治の洋風建築の旧東村山郡役所です。今は、資料館になっています。



 旧東村山郡役所があるあたりの本通りに面した建物は、建物自体は新しいのに、外観を懐古調にしています。市として、そういったまちづくりでもしているのでしょうか。



 天童藩は、織田信長の次男の家系が治めたのだそうです。ということで、織田信長を祀った建勳神社が建てられていました。



 珍しことに、神社の内部に入ることができます。中には、信長の肖像画が飾ってあります。この肖像画は、ホントかウソか、来日した南蛮人が写実的に描いた信長像なのだそうです。ゆえに、信長の実際の顔貌に最も近い肖像画とも言われていると、説明書きにありました。



 建勳神社から丘を登りました。



 途中、建勳神社の旧社殿があった位置に碑が立っていました。元の社殿は、今の場所よりももっと登った、丘の中腹にあったようです。



 丘の頂上付近には、将棋供養塔があります。



 供養塔の下に、天童市の春の行事である人間将棋の会場があります。なんだかインドのファーティプル・シクリを思い出しました。 



 建物に曲線が使われて、妙に近代的なのが天童駅です。



 この駒の形をした入口が、将棋博物館です。天童駅に併設されています。せっかくなので300円支払って入ってみました。内部は、将棋の駒の歴史や作成方法、書体などについての展示があります。そもそも天童で将棋の駒がつくられるようになったのは、この地にやってきた織田藩の家臣たちが、内職として駒づくりをしたことからなのだそうです。



 さて、天童から山形へ帰ってきて、昼食は駅前のお蕎麦屋さんへ。山形も蕎麦どころの1つということなので。



 「ゆうぜん」というお店です。



 冷たい蕎麦。



 暖かい蕎麦もあります。



 それで注文したのは、山形らしく板そば(950円)です。木枠の入れ物に入ってきます。



 細めで、比較的白っぽい色の蕎麦です。蕎麦らしいコシがあります。そして、量がかなりあります。つけ出汁は、濃口の関東系です。



 蕎麦ではお腹がすくかと思いましたが、これで十分すぎるほどでした。

ちょっとはずした山形の旅⑥~山形駅周辺と冷し肉そば

2013-06-03 08:21:45 | 国内旅行ー北海道・東北
 右側の白い建物が山形駅です。そして、駅に隣接する地上24階の高層建築が霞城セントラルです。山形駅西口方面は、再開発地区になっています。まだ、広い空き地が残っていて、サッカー専用スタジアムを建てよう、なんてポスターも見かけました。さて、高架化と再開発計画がある松山駅周辺はどうなるでしょうか。こちらも駅西側の区画整理計画があり、しめて600億円はかかる大型公共事業のようですが、ムダな公共事業に見えてしまうのは、私だけでしょうか(私だけかも。また「アイ・ラヴ・松山」の面々から反発されたりして)。



 霞城セントラルには24階に無料の展望フロアがあります。そこから眺めた山形駅東口です。



 山形駅近くを救急車が通り過ぎていきました。救急車の行先には、このような光景が展開していました。パトカーが3台以上先着していました。いったい何があったのでしょう。単に老人が倒れたとかではなさそうな雰囲気でした。近寄って、野次馬になりたいという欲求を抑えるのに苦労しました。



 丸に引両の最上家の家紋が見えるのは、最上義光歴史館です。入ってみましたが、展示品が多いわけではなく、肝心なものは複製品で、なんのこっちゃという感じでした。入場無料ですから、文句を言っちゃいけませんが。



 最上義光歴史館に隣接する山形県立美術館。山形だから山の形の建物なんでしょうか。だとしたら、かなり安易な発想。それはともかく、ここには日本有数の印象派コレクションである吉野石膏の収集品が寄託されています。ということで、入ってみることに。本来の常設展料金は、いくらかわかりません。今回は、あまり見たくもない日展山形支部の展覧会と抱き合わせで800円でした(常設展のみという切符はなし)。かつて、ガンプラ全盛期に、ヘンなお城のプラモデルと抱き合わせでないと売ってもらえなかった忌々しい記憶がよみがえりました。吉野石膏の印象派からエコール・ド・パリにかけて収集品はよかったのですが。



 山形駅前にあった「亞呉屋」。まったく事前情報をもたなかったのですが、入ってみることに。



 幟に「山形名物 冷たい肉そば」というのがあったのが、入店した理由。冷し肉そばというのは、本来、山形県の河北町の名物とのこと。そこに行っている暇はないので、ここに入ってみることにしました。



 店内の品書きを見ると、店名にもなっている「あご」の出汁を使ったラーメンが呼び物のようです。「あご」はトビウオのことですね。



 あご出汁のラーメンを試してみたい気にもなったのですが、初志貫徹して冷し肉そば(680円)を注文しました。肉そばの肉は、鶏系の肉なんですが、妙に筋張っていて硬かったです。おいしいというものではなかったかな。スープは、日本そばの出汁のように、濃口の醤油で魚介系のスープなんですが、和風出汁よりもかなり脂分があって、ラーメン系の味も感じさせます。



 麺は中太で、日本そばよりも、かなりもちもちっとした弾力がありました。河北町の本家冷し肉そばを食べていないのでなんともいえないのですが、本家と比べたら、かなり違ったものになっていたのかもしれません。不味いというわけではないのですが、ちょっとはずした感じ。



 帰ってから「食べログ」をみると、あまり評価の高くないお店でした。ところが、ここの支店とおぼしき仙台店は比較的高評価なので、何がどうなっているのか、東北地方は不思議です。