佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

ドーナツ店の策略にはまる

2005年11月16日 23時35分56秒 | 食・レシピ
 閑話休題。


 堅い話が続いたので。


 某ドーナツショップの策略にはまってます。


 某っていっても分かると思いますが。

 実を言うと、そんなに美味しいとは
思わなかったんですね。
マフィンは結構好きだったんだけど。

 でも、買ってしまうんだな。しかも、
結果的に定期的に。

 策略1~~100円均一~~

 定期的に100円均一とか、
するんだな、これが。
マフィンとパイは120円とか。
安っ!て思って買ってしまう。
そう、出来立てだと
どれも結構美味しいことにも気づく。

 策略2~~割引券~~

 100円均一の広告と同時に、
均一期間が終わった後に使える
30%引きの割引券が付いてくる。
これによって、次の割引期間までの
購入意欲を煽られるんだな。
結果的に、「定期的に」買っていることになる。

 策略3~~グッズ~~

 300円ごとに1枚、
6枚たまるとグッズと交換。
グッズの種類は毎回変わる。
実を言うと当たり外れもあって、
良いグッズばかりではない。
でも、5枚たまると、

「あと1枚ーーーっ」

って思うんだな、これが。
バスマットとかお皿は
結構いいなと思った。

 ここまでくると
一つの疑問に行き着く。


「お前、どれだけドーナツ食べてるんだ!」


 そうです。僕は一人暮らし。
ちょこちょこ買ってもカードは貯まらない。
考えました。沢山食べる方法。


「昼飯代わりに食べる」


 そうです。おやつでは沢山食べられないので、
昼飯代わりに食べてます。4つ5つはいけます。
パン感覚ですね。
ケーキ食べ放題に行く前に昼食抜くぞ!みたいな。
みなさんの心の声。


「体に悪っ!」


 分かってます。ほっといてください。
毎日じゃないし(開き直り)。

 
 こうして僕は
ドーナツ店の策略にはまるのでした。



合唱における理念~何でも最初はパクリから~

2005年11月16日 00時24分05秒 | 合唱
 余談から。
今日の結婚式で驚いたこと。
1、團伊玖磨の「祝典行進曲」が演奏されてたこと。
ちょー懐かしい!昔吹いた。
2、筑紫哲也ニュース23での扱い。
2時間特番後とはいえ、さすが筑紫哲也。

 本題へ。コンクール近いので合唱ネタで押します。


 皆さんの合唱団の理念は何ですか?


 団が始まる時、動き出す時、
僕は団の理念と言うか、コンセプトが、
とても大事だと思っている。
これがないと、合唱団がさまよい歩くからだ。

 論文ではないので、語句の使い方には寛大に。

 後付けでもいいと思う。 
何かあれば。
もっと簡単に言うと、団が進んでいく
「旗印」みたいなもの。
これがあれば、とりあえず団は進んでいく。
ただ、例えば、コンクールに出るとか、
それだけだと音楽的な旗印がない。
もったいない。
そう、これでもさまよう。音楽的に。


 僕は最近理想論ばかり語っている。
現実を見ろ、と言う人もいるだろう。
でも、迷った時に立ち戻るのは、
自分の理想なのだ。
それこそ自分が進む力になる。

 どういう合唱団を目指すのか。
それは大事なこと。
なぜなら、それが共有されていると
されていないとでは、
音楽的な充実度が変わってくる。
共有されていること、すなわち、
団員の立っているベースが同じということ。
それだけでスタートラインが違う。


 どうやったら理想を夢見れるのか。


 ずばり、いい実践を知ることだ。


 僕が先ごろ作って一部の人に渡した、
新潟県合唱界の空想(妄想)物語。
人まね、パクリだらけだ
(誤解のない様に言うが、
あれは空想であって理想ではない)。

 合唱団で言えば、
福島コダーイ合唱団の実践、
コーロ・カロスの劇音楽の実践。
昔のChoral Spaceのようなコンクール実践、
指揮者協会の教会暦シリーズや、
知られざるシリーズ、
音楽樹のTokyo Cantat、
リアルグループやトライトーンなどのVoアンサンブル、
エストニアの合唱祭、
そして他ジャンル(サッカー)からの拝借。
新潟発信で、もちろんそのままでなく、
オリジナリティーも交えて実践したいのだ。

 そう、良いものを見なければ、
理想は語れない。
現実に苦しんでいる先生にこそ、
理想を夢みてほしい。
だからいろいろ勉強して欲しいのだ、先生には。
(いつかその為の手助けもしたい)。
そして、子供たちにたくさん
夢を語ってほしい。

 そう、危機的状況にある
(と僕は思っている)合唱界に今必要なこと。


 理想を語れる人。


 そしてその為のストラテジーがある人。


 僕は、強力なワンマン指導者は
基本的には好きではないが、
今求められているのは、
学校で言う「グランドデザイン」を描ける人。
合唱界のグランドデザイン。
まず地域、そして都道府県レベル、
そして全日本レベル。
それらを適切明確に示し、
一つのムーヴメントを作れる人。

 学校じゃそんなもの形骸化している、
という人も多いだろう。
当然だ。学校は義務教育
(厳密に言うと教育を受ける権利か。、
義務があるのは親だが)。
いろんな人間がいる。
仕方ない。
生徒皆が理想に燃えたり、
皆が合唱好きになったら気持ち悪い。

 しかし、僕が望んでいるのは、
とりあえず、「今」、合唱に携わっている人の
意識を変えること。

 ワンマン嫌いだと何度も言っとくが、
それくらいの指導力を発揮できる人が
やっぱり必要なのだ。
上が変わらないと何も変わらない。
下の人間も、何処に進んでいったらいいか、
分かるようにしないと。

 川淵三郎のような人が必要なのだ、今。

 と書いてみたけど、プラス調整力やバランスもある人。
欲張りか。

 一年や二年では何も変わらないという
現実を、先生たちは見ているはずだ。
だからこそ、長期的視野に立って
船頭になる人がほしい。

 コンクール前に書くことじゃないけど、
今の既存のコンクールをぶち壊すような
思い切りが欲しい。
それくらい、今の合唱界は、
既成概念、固定観念に固まっている。
指導者たちがそうなのだから、
歌い手(特に中高生)がそうなるのは
目に見えている。

 
 いつからこんな過激なブログになったんだ(笑)。
書いてるそばからテンションが上がる(笑)。


 ちょっと際どくなったので
今日はこの辺で止める。
最後に、最近思いついたパクリを。

1、合唱百年構想

2、合唱百年物語

3、合唱団、○○ ○  (○には僕の名前が入る)

4、国境なき合唱団

 元ネタがどこか、は、また今度
(分かる人いるかな)。
これ、ふざけてるわけではないので。念のため。
大マジです。



吹奏楽考~主に合唱との比較その1~

2005年11月15日 00時13分29秒 | 合唱
 合唱は何故人気がないか。


 人気がないということを
何をもって示すか。

 中学教師kotchさんもブログに書いているが、
小・中・高等学校、大学の団員数が、
減ってきていると思う。
言われて久しい気がする。
コンクールへの出場団体、減っている。
朝日のコンクールなどは、実は元から少ないし。
新潟県に関してはそうだ。
他県でも多分そうだろう。
出演団体の母数が極めて少ないのだ。
僕はコンクール信者ではないので、
これで人気のなさを語るのは嫌なのだが、
今の合唱界が良くも悪くも(僕は大変悪いと思っているが)、
コンクールを中心に動いているので。

 それに対して吹奏楽。
どうか。

 あんなに金がかかるのに、
大抵どの学校にも部活がある。
数えたことはないが、
多分母数は絶対的に多い。
コンクールへの出場数。
そして演奏会への足を運ぶ人数。

 誤解をして欲しくないので書くが、
僕は吹奏楽部出身だ(中学)。
合唱は特設部(季節合唱団)だった。
そして、僕は吹奏楽も合唱も好きだ。
プロやアマチュアの吹奏楽の演奏会にも
よく足を運ぶ。
機会があれば、振ってみたいくらいに思っている
(経験はないけど)。

 東京に居たとき、初めて行った演奏会。
たまたま見つけた、都立片倉高校の吹奏楽部の演奏会。
謳い文句は「リードとバーンズが来る!」。
中学での経験しかない僕でも知っている。

 行った。
200m以上の行列。
未だかつてあれ以上の行列を見たことがない。
(消防法上いいのか分からないが)
1800席くらいのホールで沢山の立見が出ていた。

 新潟でのプロ吹奏楽団の演奏会。
東京佼成やシエナ。ほぼ満員。
学生も多かった。

 
 対して合唱。
まず人の演奏会に行かない、みんな。
びっくりするくらい。
今年の全国大会、新潟の人間何人聴きに行くのか。
プロの演奏会(新潟ではあまりないけど)。
空席が目立つ。まして学生が少ない。


 これ、論文ではないのでデータに基づいて
話していない。印象論だ。ただ、
長きに渡って見て来ているので、
あながち間違いではないだろう。

 
 僕は、教員をあきらめたので、
学校現場のことは人から聞くしかない。
が、一体どの程度の人が、
危機感を持っているのだろうか。
現場の人間は。

 なんで現場に関係ない僕が、
声を大にして言わなければならないのか。
僕は半ば苛立ちすら感じているのに。
それぐらい危機感を持っているのに。


 あえてきつい言葉で書いてみましたが、
本音です、僕の。


 そもそも僕の考えだと、
学校ですべきことは、
授業を通じての合唱。そこでの底辺の拡大。
部活は地域に任せるべきだと思っている
(つまり「部活」ではなく、アメリカのクラブみたいなものか)。
だから、今の現場の先生に
一概に責任があるとは思っていない。
学校の先生には、授業に集中して欲しいと思っているし。
むしろ、合唱バカを作って欲しくないと思っている。
いろいろな音楽を平等に教えて欲しいと思っている。


 今日はあまり踏み込んでは書かない。
文句ばっかり書いているが、
僕の今の立場は、
外部の人間だからこそ出来ることを
何とかしたい、という立場。
これを読んで、怒る人、いるだろう。
ただ、僕も現実と格闘している先生も知っている。
何も知らないわけではない。
まず関係者に発奮して欲しいのだ。
だから直接的に書いてみた。
また書くと思います。
どうしたらよいか、など。
コンクールへ向けて、敢えて逆らった投稿ですが。


アンサンブル考

2005年11月13日 23時30分51秒 | 合唱
 今日は体調悪く、コンサート行脚を中止。

 アンサンブルについて考えてみたい
(主に合唱)。

 合唱の世界において、アカペラの隆盛とともに、
アンサンブルについて意識が置かれるようになってきた。


 皆さんにとって、アンサンブルとは何か。


 おそらく多くの人は、「聴いて合わせること」を
アンサンブルだと考えているのではないか。

 それもアンサンブルの一つだが、
それだけで音楽が生き生きとするだろうか。

 僕は、アンサンブルとは


 「相互作用」

 
と考えている。

 言い換えると、「触発しあうこと」とも言える。

 
 いったん合唱から離れる。

 貴方が演奏会へ行ったとする。
クラシックだとしよう。

 椅子に座った貴方。
演奏者が登場する。
あなたは何をするか。

 拍手である。

 この場合の拍手とは、
1、演奏者を気持ちよく迎え入れること
2、今日のコンサートに対する期待を示すこと
を意味するだろう。

 1,2において貴方が取り得る手段は、
この場合主に拍手だけだろう
(声援や手を振る、立つなどあるが、
クラシックにおいて最初にそれはまずない)。

 その時、貴方はどうするか。

1、俺は客として来ているのだから、
ちゃんとした演奏をしろよ、くらいの勢いで
椅子にふんぞり返ってまばらな拍手をする。

 ↑こういう人もたまにいる。

2、ごくごく慣例的に、普通に拍手をする。

 ↑こういう人が一番多いだろう。

 
 上記二つについて、よく考えて欲しい。
一見もっともらしいが、果たしてどうなのか。
これらを聴いた演奏者は。

「今日の客は引き気味だな」
「ノリが悪いな」

 と、マイナスイメージを持つだろう。

 つまり、貴方は、上記の様に拍手することによって、
演奏者にマイナスイメージを与えたわけだ。

 
 ここで、下記の様に拍手するとしよう。

3、演奏者に対して、精一杯の期待を込めて
大きく沢山拍手する。

 演奏者は、

「おっ、今日の客はノリがいい」
「拍手が多くて嬉しい、よし、頑張ろう」

 などと、プラスイメージを持つだろう。

 勿論、全ての人がそう拍手すればいいが、
現実そんなことはないだろう。

 しかし、演奏者を迎える時、
貴方に与えれられた手段は拍手のみ。
であれば、貴方はそれでしか、伝える手段はない。


 もし貴方が、何かを伝えたい、変えたいと思えば、
拍手を大きく沢山するしか方法がないのだ。

 
 そうすることによって、もしかしたら、
演奏者だけでなく、隣に座っている聴衆も、
貴方の拍手を聴いて、もっと拍手しようと思うかもしれない。


 演奏者は、沢山の期待のこもったその拍手を受け、
いつも以上の演奏をするかもしれない。
それに感じ入った聴衆は、また拍手で返す。


 これがアンサンブルだと思う。

 勿論、これは単純化したものだが。


 合唱に戻す。

 練習中、歌い手の貴方が出来ること。

1、歌うこと
2、言葉で話すこと

だろう。

 貴方は、歌うことによって、何かを伝える。
隣の人に、他のパートの人に、指揮者に。

 それを聴いた隣の人、

「あっ、こいつはこう歌いたいのか」
「ああ、ここの子音の発音上手いな」
「ここでブレスするのか」

 など、感じるだろう。そして、

「よし、ここはそれに乗ってやれ」
「でもここはこっちの方が良くないか?」

 と歌う隣。その歌を聴いた貴方、

「おっ、隣の歌が変わった」
「ああ、こうしたいのか、こいつは」

 貴方は思う。

 この場合において、
貴方は歌によって隣の人を触発し、
隣の人は貴方の歌によって触発された。
そしてまた貴方を歌で触発した。

  
 これが、僕の考える「相互作用」である。


 こうやって、貴方の歌によって、
隣に、そしてその隣の歌で隣の隣が、
という風に連鎖していく。
貴方が歌で発信したことによって、変わったのだ。

 勿論、変わらないこともあるかもしれない。
その時は、歌のアプローチを変えてみたり、
第2の手段、言葉で、話して意図を伝えられる。


 アンサンブルとは、貴方が取り得る手段を用いて、
他人を触発する作業である、と言えよう。


 貴方が変わることによって、他人が変わるかもしれない。
変わらないかもしれない。しかし、それは、
貴方が変わってみなければ分からないことだ。
それを知るために、まず、
貴方自身が変わる必要があるのだ。
これがアンサンブルの始まりだ。

 歌い手に限定したが、
指揮者や聴衆に話を広げれば、
もっと沢山の矢印が生じる。
そう、全てはアンサンブル、相互作用なのだ。

 よく、指揮者が悪い、とか、
こいつダメだ、とか、他人のせいにする人がいる。
それは一見もっともらしく聞こえるが、
自分が為すべき事から逃げているとも言える。
観客には、そんなこと全く関係ないのだから。

 貴方は今何をすべきか。どうしたらよいか。

 それを考えることが、アンサンブルの始まりだ。
貴方が動いてみなければ、何も始まらないのだ。
指揮者の指導を待ったり、人に頼ったりしがちかもしれない。
でも、貴方からだって、例え少しでも、
何か変えられるかもしれない。

 そういう人たちと、僕は音楽したい。
でも全員がそうじゃないかもしれない。
ならば、自分が何かを伝えようとすることで、
変えていくしかない。

 一人一人が前向きに、積極的に、建設的に。
理想論と言う人、大いに結構。
でも、こうすることでしか、
何も変わらないのだから。


北住順子ソプラノリサイタル

2005年11月13日 01時32分54秒 | クラシック
 北住順子さんのソプラノリサイタルへ行く。


 国立音楽大学卒業後、
新潟を中心にオペラ・リサイタル・コンサートで
活躍されている方。
オペラの舞台やコンサートで、
個人的にはお世話になったことがある。

 会場は音楽文化会館。
沢山観客が入っている。

 プログラムは第1部がドイツ歌曲、
第2部が日本の童謡・唱歌、フランス歌曲、オペラアリアと、
意欲的なもの。
ドイツ歌曲のイメージはないが、
なおレパートリーを広げようという意気を感じる。

 北住さんの魅力といえば、何と言っても
その輝かしい声と技術の確かさだろう。
そういう意味で、第1部においては、
とりわけヴォルフ、トゥルンク、シュトラウスで
持ち味を十分発揮していたと思う。
不規則な音の動きや、コミカルさやアイロニー、
そしてきらびやかな旋律を、
見事に歌いきっていた。

 第2部に入ると、声により一層伸びやかさが。
特にオペラアリアで、水を得た魚のように、
その歌声を披露していた。
日本の作品やフランス歌曲も
違和感なく聴ける。改めて
歌い手としての幅の広さを示した形か。
大きな拍手に包まれ、アンコールを3曲演奏。
素晴らしいリサイタルは幕を閉じた。
 
 今日のリサイタルは、常に研鑽を積み、
歌手としての実力を磨き続けてきたが故に
成功したと言えるのではないだろうか。
これからは、ぜひ定期的に開催してほしいものだ。 

 最後に、ピアノ田中幸治、沼田由布子、
ハープ山宮るり子が素晴らしい演奏で
コンサートを彩ったことを付記しておく。