佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

昔話

2021年01月16日 00時35分48秒 | 受験・学校
 明日は昔で言うところのセンター試験ですね。
いろいろ大変な時期ですが
がんばってほしいですね。
 
 思い出は何回も書いていますが
英語で失敗したことと
国語で井上陽水の問題が出て
一人テンション上がっていたことですかね。
とりあえずあんまり勉強しなかったなって思います。
教育系ですが音楽だったので
本当に最低限しか勉強しなかったなと。
 
 二次試験で新潟市内に来たことは
よく覚えています。
当時は宿を予約すると言ったら
普通に旅行会社に頼んだりしてましたから
高田の本町にあったJTBで試験用のパックみたいなのを申し込んで
新潟駅前のステーションホテル(古いけどまだある)に
泊まりましたね。試験の日程上二泊したはず。
大学までは多分越後線で行った気が。
 
 試験会場でのこともよく覚えていますが
やや同級生の個人情報に関わるので(笑)
ここには書きません。
 
 最近は親御さんが同行したりすると
聞いていますがそうなのかな。。。
我々の時もいたのかもしれませんが
正直当時選択肢として皆無だったので
今ひとつ理解出来ないところはありつつ。。。

 あの当時は何の欲もなく
多分教員になるのかなと漠然と思いながら
受験していた気がしますが
こんな人生になるなんてね〜😅
 
 若い方には
とにかく後悔のないよう
選択できることは自分で選択して決めて
進んでほしいですね

センター試験の思ひ出

2009年01月17日 22時49分16秒 | 受験・学校
 
 今日明日とセンター試験とのことですね。
受験生の皆さんおつかれさまです。
 
 
 思い出というほどのものはありませんが、
今から10数年前に受験しましたね。
覚えていることですが、、、
初日、英語から始まった気がしました。
ただ、この年、英語の平均点が非常に低かったんですね。
つまり難しかったのです。
かく言うtek310も非常に苦戦して、
終わった瞬間放心状態に陥りました。
 
「あ。。。終わった。。。」
 
 僕はいろいろなことを覚悟しました。
そのあとのその日の試験はあまり覚えていないんですね。
あとで母親に言われたのですが、
その日家に帰ってから、
しばらく声をかけられない状態だったとのこと(苦笑)。
英語に関しては、予想していた得点(かなり低く見ていた)より
自己採点がそこまで悪くなかったので助かった、、、という感じでした。
 
 
 あと、国語ですね。
問題に「井上陽水論」が出たんですね。
しかも引用されていた歌詞は
デビューアルバムの「断絶」より1曲目『あこがれ』。
思うに、この曲を聴いたことのある受験者、
多分1%にも満たなかったでしょう。
だって1972年の作品ですからね。僕も生まれていません。
でも、高校生の時から井上陽水ファンだったtek310は、
お金がなくて購入は出来なかったのですが、
レンタルでこのアルバムと「氷の世界」は
借りて持っていたんですね。
僕は心の中で、「キターーーーーーっ!!」と叫びました(笑)。
全部聴いたことあるし。
でも思ったほど得点には反映されず。。。(苦笑)
 
 
 これくらいですね、覚えているの。
今思うことといえば、
自分の進んだ道はいわゆる受験勉強があまり必要ない分野だったので、
正直ガツガツ勉強したという思い出はありません。
僕はこのずっと先、路線転向して某予備校へ行ってはじめて、
世の中には一日8時間以上勉強する人が実在することを知りました(笑)。
いやー、知らないって怖いなって思いました。
みんな口ばっかりですね、
「いやー、ダメだ」「勉強してねー」って嘘ばっかり(苦笑)。
だから、普通に受験していたら、何学部に行ったのかとか、
ちょっと考えてみることがありましたね。
でも多分法学部とかかなと。妥当なところでしょうかね。
今のように語学に目ざめていたら
人文系に行ったかもしれませんが、
ドイツ語にハマったのは大学入ってドイツ歌曲を勉強してからですからね。
今となってはもっと勉強しておくべきだったなと。
 
 
 全ての人に春が訪れる訳ではありませんが、
間違いなく言えることは、
社会で生き抜く力というのは、受験勉強で養う力とは別の力です。
全ての道がそこで決まってしまうということはないと思います。
って誰に語っているんでしょうかね(笑)。
 


部活動考(その2)~中学生の頃の2度の転機~

2007年07月10日 23時45分00秒 | 受験・学校

 

 数日前のつづきです。

 

 

 コンクールにも出場し、

私は周りから見れば恵まれた吹奏楽部員でした。

しかし、、、

 

 

 中学生の私は、コンプレックスの塊でした。

今に始まったことじゃないのです(爆)。

この頃は、どちらかというと「外見」的なことに

卑屈になっていました。

そこになぜ部活動が絡んでくるかというと。。。

 

 

 先に書いたとおり、

僕はソフトテニス部という”運動部”に入る予定が、

いろいろあって吹奏楽部という”文化部”に入りました。

で、当事者の方も読んでいるので

書きにくい部分でもあるのですが、、、

僕は、運動が出来なくてこの部(文化部)にいると思われるのが、

すごく嫌だったんですね。

というのも、女子はともかく、

僕の学年は僕を含め、男子が2人しかいませんでした。

もう一人は、明らかに運動部じゃない雰囲気。

で、先輩の男性方も、どちらかというと運動が好きそうじゃなく、

文化部の香りをプンプンさせていました。

 

 

 僕は正直、一緒にされたくないという思いがあって、

それは誰に対してと言うわけじゃないんですが、

被害者意識というか被害妄想というか自意識過剰というか、

男子の文化部=変わった人、運動が出来ない人、という図式を

勝手に思いこんでいました。

 

 

 で、コンクールが終わって、

秋に訪れる文化部特有のゆるーい雰囲気にも我慢がならず

(というか、周りどうこうよりお前が努力すればそれで良いと

今の自分なら思うのですが。。。)、

運動部へ移りたい、という思いが日に日に強くなりました。

 

 

 で、冬だったと思うんですが、

三者面談だか何かがありました。

母親にはそういう話を既にしていて、

まず、その場で、担任に話をしてみよう、ということで、

ひとしきり話が済んだあと、

僕は担任に話を切り出しました。

 

 

 皆さん中学生の頃を思い出してほしいのですが、

「幽霊部員」はあっても、

「転部」という選択肢はあまりなかったのではと思います。

確か、学年にも1,2例あるかないかのことを

思い切って話しました。

もちろん、行く先はソフトテニス部でした。

 

 

 しかし、ここで大きな誤算が起こりました。

 

 

 実は、うちの学年は3クラスだったのですが、

まとまって一つの教室で面談をしていたんですね。

私は1組、で、

実は2組の担任が、部活動の顧問でした。

すぐ隣にいたわけじゃないんですが、

僕が自分の担任に話していたことが、

漏れ聞こえてしまったんですね。

 

 

 向こうから、僕の話を漏れ聞いた顧問が、

ゆっくりニコニコしながら歩いてきました。

で、

「○○君~」

という感じで、僕の後ろに回り、

僕の肩を揉みながら、「一緒に頑張ろうよ~」

というような”やわらかな”慰留をはじめました。

これを読んでる顧問の先生をご存知の数少ない方は、

なんとなく想像できるのでは(笑)。

で、僕は、そういう流れを想定しておらず、

口ごもって、苦笑いを浮かべるしかありませんでした。

心の中では「しまったな~」と、

聞かれてしまったことを悔やんでいました。

顧問にしてみれば、数少ない男子の部員ですし、

辞められては、という思いはあったと思います。 

僕自身、顧問には信頼を置いていたので、

それ以上強く出ることは出来ませんでした。

 

 

 で、その場はそれで終わりました。

僕がその後、どうしたかというと、

その後を知る数少ない方々はご存知かと思います。

僕は結局、気の弱さも手伝い、

また、自分の吹奏楽部での存在理由も考え、

この話はそれ以降、うやむやになりました。

僕の方からその後、顧問や担任に話すことはなく、

向こうも触れる事はありませんでした。

で、僕は結局3年間吹奏楽部に在籍しました。

部活自体への上記の個人的な不満はなくなりましたが、

僕自身のコンプレックスは、中学生時代はずっと続きました。

運動部へのコンプレックスは、

その後、色恋なども絡み、消えることはありませんでした。

 

 

 初めて話すことですね。

僕と、親と、担任と顧問以外知らない話です。

何で書いたかと言うと、、、

パッと思い浮かぶブログネタがなかったので(笑)。

 

 

 中学生の部活動はそうやって終わったのですが、

実は、このコンプレックスの流れがあって、

高校ではある行動に出ることになります。

この辺はまたネタがないときにでも(笑)。

  


教育について一言だけ

2007年03月01日 23時58分51秒 | 受験・学校

 

 今日、書店を歩いていて、

以前から思っていたいこととともに

感じたことがあります。

 

 

 教育の場に行かなかった自分がいうのも難ですが、

教育者って、信念は持ってないといけませんが、

それを具現化するための、

「いろいろな」引き出しを持たないといけないんだろうな、

ということです。

 

 

 「いろいろな」というのがミソなんですよね。

というか、教育の「全て」がここに凝縮されていると思います。

「いろいろな」人間がいるという前提に立つこと、

これに尽きるんじゃないかと思ったりします。

 

 

 「教育は斯くあるべきだ」という話を聞くと、

正直、「いい加減にしろ」と思います。

斯くあるべきという場合は、

斯くあるべき方向に導くための手段を沢山持たないといけない、

そう思っています。

 

 

 結局、何が腹立たしくて書いているかというと、

某ヨットスクールのように、

一つの方法しか持たない人間が、

教育についてのたまっているのを見る時です。

あれは、自分が「一つの方法しか持てない無能な教育者」であることを

自白していることになるのに、

分からないのかなと思います。

 

 

 いろいろな人間がいるという前提に立てば、

同じことをしても、それで良い人とダメな人がいます。

ダメな人の場合は、別の方法を試さないといけない。

前のヨットスクールの例に立てば、

そこの一通りのやり方で全ての子供を矯正できるという。

「有り得ない」でしょう。

 

 

 人間は、肉体的、精神的に、

個体差があります。

とりわけ精神面においては、

体力の様に、見た目や数値に表れない分、

非常に誤解されやすいです。

「頑張るな」という最近の行き過ぎた風潮はどうかと思いますが、

「頑張れば何とかなる」というのは明らかな間違いです。

頑張ることにも、個体差があるのです。

勘違いして欲しくないのは、

ここを決して「逃げ道」にしてはいけないのですが、

個体差を認めることは、極めて重要なことだということです。

 

 

 先も書いたとおり、

通り一遍の教育論で、一つの方向性で、

全ての子供を何とかできると思ったら、

それは間違いなく大いなる驕りだと思います。

右も左も関係なく、

それだけが、本当に腹が立つんですよね。

「教育再生会議」のメンバーに対して、

僕自身が偏見を持つのも、

今まで書いたこととどこかしら矛盾するので、

それは控えないとと思うのですが、

百歩譲って、在るべき姿とやらに向かわせる場合に、

在るべき姿の前には、

その人数だけの個体数があることを認識して欲しい、

そう思います。

 

 

 長くなりました。。。ごめんなさい。。。

 


センター試験考~明日からとのことです~

2007年01月19日 22時09分43秒 | 受験・学校

 

 センター試験が明日からとのニュースを聞いて、

急遽書いてみようと思い、筆を取っています。

 

 

 もう、13年も前のことですね。

僕は、音楽の方向へ進む予定だったことと、

そこまでの模試の様子と、

行こうと思っていた学校に知っている先輩方がいたことなどで、

正直、そんなにガンガン勉強はしませんでした。

しかし、センター試験は必要だったので、

僕は5教科5科目を受験しました。

今は、教科のカテゴリー自体がちょっと違うようですが、

僕は、国語、英語、数学Ⅰ、生物、日本史を受験。

 

 

 で、最初が英語でした。

これがですね、、、非常に難しかった。

確か、僕らの年は、ものすごく平均点が低くて、

200点満点で100点を切っていました。

うちの高校の平均も確か105点くらい。

 

 

 僕は、試験中、超焦っていました。

終わってから、僕はへこみまくっていました。

恐らく、100点を切っているだろうという見込みでした。

 

 

 その日は、家に帰って、ものすごく落ち込んでいたようです。

後で親に聞かされました。

実際、「もうだめだ」と僕は思っていました。

 

 

 結果的に、自己採点をしたら、

思ったほど点は低くありませんでした。

助かった。。。と心から思いました。

平均点が低かったので、余計に助かった気がします。

貯金できました。

 

 

 で、以前、「井上陽水考」で書きましたが、

国語の読解の内容が、井上陽水論だったのですね。

そこで取り上げられていた曲が、「あこがれ」という曲。

これはですね、多分、僕が生まれる前の曲です。

でも、知っていました。

井上陽水のデビューアルバム「断絶」の1曲目です。

なにせ膨大な曲数なので、把握していた曲は一部でしたが、

陽水さんに興味を持っていた頃で、

アルバム「断絶」と「氷の世界」はレンタルして聴いていました。

 

 

 だから、これを見て、「おっしゃー!」と、

一人テンションが上がっていました。

この曲知ってる受験生は、俺くらいじゃないかと(笑)。

でもですね、詩が載っていたので、

別に知っていなくても答えられる問題でした(爆)。

 

 

 後のことは、あんまり覚えていませんね。

数学と生物は、後期の試験の関係で、

嫌々受験していました。確か学校の平均点前後でした。

というか、超文系男だったので、ホント苦手でしたね。

日本史は好きだったので、手ごたえはありました。

 

 

 その年によって、教科によって、

難易度が変わりますからね、こればっかりは何とも言えない。

でも、これはかなり後で思ったんですよね。

東京時代、やむを得ず試験勉強をしないといけなかった時です。

本当に勉強してさえあれば、いい点は取れると。

「ヤマが外れた」とかはただの言い訳だと。

 

 

 受かりたければ、勉強すべきです。

勉強が嫌いなら、別の道を目指すべきです。

受験に意味がないと思えば、別の道を探るべきです。

厳しい言葉ですが、勉強する人は勉強しています。

これは、どの分野でもそうだと思います。

貴方の一言で、制度が変わるなら、物申せばいい。

しかし、それはありえません。

であれば、勉強してから考えたらどうか、ということですね。

一番よくないのは、文句だけ言って何もしないことです。

 

 

 ん、、、誰に言ってるんだ(笑)。

別に誰にも言っていませんが、

後になって分かることって、たくさんありますよね。

そう思っていること自体が、僕が歳をとった証拠です、多分。

今の経験や考え方を持って、勉強していたらとか、

後悔する事は、皆たくさんあるのではないでしょうかね。

こういうことを口酸っぱく言うようになるということは、

やっぱり歳だという事でしょう(爆)。

 

 

 受験生の皆さん、頑張ってください。

そして支える先生方も。

明日が良い天気になることを祈りつつ。