今日は体調悪く、コンサート行脚を中止。
アンサンブルについて考えてみたい
(主に合唱)。
合唱の世界において、アカペラの隆盛とともに、
アンサンブルについて意識が置かれるようになってきた。
皆さんにとって、アンサンブルとは何か。
おそらく多くの人は、「聴いて合わせること」を
アンサンブルだと考えているのではないか。
それもアンサンブルの一つだが、
それだけで音楽が生き生きとするだろうか。
僕は、アンサンブルとは
「相互作用」
と考えている。
言い換えると、「触発しあうこと」とも言える。
いったん合唱から離れる。
貴方が演奏会へ行ったとする。
クラシックだとしよう。
椅子に座った貴方。
演奏者が登場する。
あなたは何をするか。
拍手である。
この場合の拍手とは、
1、演奏者を気持ちよく迎え入れること
2、今日のコンサートに対する期待を示すこと
を意味するだろう。
1,2において貴方が取り得る手段は、
この場合主に拍手だけだろう
(声援や手を振る、立つなどあるが、
クラシックにおいて最初にそれはまずない)。
その時、貴方はどうするか。
1、俺は客として来ているのだから、
ちゃんとした演奏をしろよ、くらいの勢いで
椅子にふんぞり返ってまばらな拍手をする。
↑こういう人もたまにいる。
2、ごくごく慣例的に、普通に拍手をする。
↑こういう人が一番多いだろう。
上記二つについて、よく考えて欲しい。
一見もっともらしいが、果たしてどうなのか。
これらを聴いた演奏者は。
「今日の客は引き気味だな」
「ノリが悪いな」
と、マイナスイメージを持つだろう。
つまり、貴方は、上記の様に拍手することによって、
演奏者にマイナスイメージを与えたわけだ。
ここで、下記の様に拍手するとしよう。
3、演奏者に対して、精一杯の期待を込めて
大きく沢山拍手する。
演奏者は、
「おっ、今日の客はノリがいい」
「拍手が多くて嬉しい、よし、頑張ろう」
などと、プラスイメージを持つだろう。
勿論、全ての人がそう拍手すればいいが、
現実そんなことはないだろう。
しかし、演奏者を迎える時、
貴方に与えれられた手段は拍手のみ。
であれば、貴方はそれでしか、伝える手段はない。
もし貴方が、何かを伝えたい、変えたいと思えば、
拍手を大きく沢山するしか方法がないのだ。
そうすることによって、もしかしたら、
演奏者だけでなく、隣に座っている聴衆も、
貴方の拍手を聴いて、もっと拍手しようと思うかもしれない。
演奏者は、沢山の期待のこもったその拍手を受け、
いつも以上の演奏をするかもしれない。
それに感じ入った聴衆は、また拍手で返す。
これがアンサンブルだと思う。
勿論、これは単純化したものだが。
合唱に戻す。
練習中、歌い手の貴方が出来ること。
1、歌うこと
2、言葉で話すこと
だろう。
貴方は、歌うことによって、何かを伝える。
隣の人に、他のパートの人に、指揮者に。
それを聴いた隣の人、
「あっ、こいつはこう歌いたいのか」
「ああ、ここの子音の発音上手いな」
「ここでブレスするのか」
など、感じるだろう。そして、
「よし、ここはそれに乗ってやれ」
「でもここはこっちの方が良くないか?」
と歌う隣。その歌を聴いた貴方、
「おっ、隣の歌が変わった」
「ああ、こうしたいのか、こいつは」
貴方は思う。
この場合において、
貴方は歌によって隣の人を触発し、
隣の人は貴方の歌によって触発された。
そしてまた貴方を歌で触発した。
これが、僕の考える「相互作用」である。
こうやって、貴方の歌によって、
隣に、そしてその隣の歌で隣の隣が、
という風に連鎖していく。
貴方が歌で発信したことによって、変わったのだ。
勿論、変わらないこともあるかもしれない。
その時は、歌のアプローチを変えてみたり、
第2の手段、言葉で、話して意図を伝えられる。
アンサンブルとは、貴方が取り得る手段を用いて、
他人を触発する作業である、と言えよう。
貴方が変わることによって、他人が変わるかもしれない。
変わらないかもしれない。しかし、それは、
貴方が変わってみなければ分からないことだ。
それを知るために、まず、
貴方自身が変わる必要があるのだ。
これがアンサンブルの始まりだ。
歌い手に限定したが、
指揮者や聴衆に話を広げれば、
もっと沢山の矢印が生じる。
そう、全てはアンサンブル、相互作用なのだ。
よく、指揮者が悪い、とか、
こいつダメだ、とか、他人のせいにする人がいる。
それは一見もっともらしく聞こえるが、
自分が為すべき事から逃げているとも言える。
観客には、そんなこと全く関係ないのだから。
貴方は今何をすべきか。どうしたらよいか。
それを考えることが、アンサンブルの始まりだ。
貴方が動いてみなければ、何も始まらないのだ。
指揮者の指導を待ったり、人に頼ったりしがちかもしれない。
でも、貴方からだって、例え少しでも、
何か変えられるかもしれない。
そういう人たちと、僕は音楽したい。
でも全員がそうじゃないかもしれない。
ならば、自分が何かを伝えようとすることで、
変えていくしかない。
一人一人が前向きに、積極的に、建設的に。
理想論と言う人、大いに結構。
でも、こうすることでしか、
何も変わらないのだから。
アンサンブルについて考えてみたい
(主に合唱)。
合唱の世界において、アカペラの隆盛とともに、
アンサンブルについて意識が置かれるようになってきた。
皆さんにとって、アンサンブルとは何か。
おそらく多くの人は、「聴いて合わせること」を
アンサンブルだと考えているのではないか。
それもアンサンブルの一つだが、
それだけで音楽が生き生きとするだろうか。
僕は、アンサンブルとは
「相互作用」
と考えている。
言い換えると、「触発しあうこと」とも言える。
いったん合唱から離れる。
貴方が演奏会へ行ったとする。
クラシックだとしよう。
椅子に座った貴方。
演奏者が登場する。
あなたは何をするか。
拍手である。
この場合の拍手とは、
1、演奏者を気持ちよく迎え入れること
2、今日のコンサートに対する期待を示すこと
を意味するだろう。
1,2において貴方が取り得る手段は、
この場合主に拍手だけだろう
(声援や手を振る、立つなどあるが、
クラシックにおいて最初にそれはまずない)。
その時、貴方はどうするか。
1、俺は客として来ているのだから、
ちゃんとした演奏をしろよ、くらいの勢いで
椅子にふんぞり返ってまばらな拍手をする。
↑こういう人もたまにいる。
2、ごくごく慣例的に、普通に拍手をする。
↑こういう人が一番多いだろう。
上記二つについて、よく考えて欲しい。
一見もっともらしいが、果たしてどうなのか。
これらを聴いた演奏者は。
「今日の客は引き気味だな」
「ノリが悪いな」
と、マイナスイメージを持つだろう。
つまり、貴方は、上記の様に拍手することによって、
演奏者にマイナスイメージを与えたわけだ。
ここで、下記の様に拍手するとしよう。
3、演奏者に対して、精一杯の期待を込めて
大きく沢山拍手する。
演奏者は、
「おっ、今日の客はノリがいい」
「拍手が多くて嬉しい、よし、頑張ろう」
などと、プラスイメージを持つだろう。
勿論、全ての人がそう拍手すればいいが、
現実そんなことはないだろう。
しかし、演奏者を迎える時、
貴方に与えれられた手段は拍手のみ。
であれば、貴方はそれでしか、伝える手段はない。
もし貴方が、何かを伝えたい、変えたいと思えば、
拍手を大きく沢山するしか方法がないのだ。
そうすることによって、もしかしたら、
演奏者だけでなく、隣に座っている聴衆も、
貴方の拍手を聴いて、もっと拍手しようと思うかもしれない。
演奏者は、沢山の期待のこもったその拍手を受け、
いつも以上の演奏をするかもしれない。
それに感じ入った聴衆は、また拍手で返す。
これがアンサンブルだと思う。
勿論、これは単純化したものだが。
合唱に戻す。
練習中、歌い手の貴方が出来ること。
1、歌うこと
2、言葉で話すこと
だろう。
貴方は、歌うことによって、何かを伝える。
隣の人に、他のパートの人に、指揮者に。
それを聴いた隣の人、
「あっ、こいつはこう歌いたいのか」
「ああ、ここの子音の発音上手いな」
「ここでブレスするのか」
など、感じるだろう。そして、
「よし、ここはそれに乗ってやれ」
「でもここはこっちの方が良くないか?」
と歌う隣。その歌を聴いた貴方、
「おっ、隣の歌が変わった」
「ああ、こうしたいのか、こいつは」
貴方は思う。
この場合において、
貴方は歌によって隣の人を触発し、
隣の人は貴方の歌によって触発された。
そしてまた貴方を歌で触発した。
これが、僕の考える「相互作用」である。
こうやって、貴方の歌によって、
隣に、そしてその隣の歌で隣の隣が、
という風に連鎖していく。
貴方が歌で発信したことによって、変わったのだ。
勿論、変わらないこともあるかもしれない。
その時は、歌のアプローチを変えてみたり、
第2の手段、言葉で、話して意図を伝えられる。
アンサンブルとは、貴方が取り得る手段を用いて、
他人を触発する作業である、と言えよう。
貴方が変わることによって、他人が変わるかもしれない。
変わらないかもしれない。しかし、それは、
貴方が変わってみなければ分からないことだ。
それを知るために、まず、
貴方自身が変わる必要があるのだ。
これがアンサンブルの始まりだ。
歌い手に限定したが、
指揮者や聴衆に話を広げれば、
もっと沢山の矢印が生じる。
そう、全てはアンサンブル、相互作用なのだ。
よく、指揮者が悪い、とか、
こいつダメだ、とか、他人のせいにする人がいる。
それは一見もっともらしく聞こえるが、
自分が為すべき事から逃げているとも言える。
観客には、そんなこと全く関係ないのだから。
貴方は今何をすべきか。どうしたらよいか。
それを考えることが、アンサンブルの始まりだ。
貴方が動いてみなければ、何も始まらないのだ。
指揮者の指導を待ったり、人に頼ったりしがちかもしれない。
でも、貴方からだって、例え少しでも、
何か変えられるかもしれない。
そういう人たちと、僕は音楽したい。
でも全員がそうじゃないかもしれない。
ならば、自分が何かを伝えようとすることで、
変えていくしかない。
一人一人が前向きに、積極的に、建設的に。
理想論と言う人、大いに結構。
でも、こうすることでしか、
何も変わらないのだから。