倉敷ホーリネスチャーチ

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[最も大いなるもの]メッセージ要約(9/10)

2006年09月11日 | メッセージ
9月10日の倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約「最も大いなるもの」
聖書:コリント人への第一の手紙13章1~13節
抜粋:13:13 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

<要約>
 「愛の章」と呼ばれていて、結婚式では必ずといって良いほど読まれている箇所です。誰かを愛したい、そして愛されたいと思う事は自然な感情です。しかし現実を顧みると、「私は誰かに愛されているのだろうか?」と思ってしまう事はありませんか?。
要約を記します前に、もう一度聖書の読み方をお伝えします。決して2000年前のコリント教会の出来事と思わず、今自分が集っている教会、また行ってみたい教会の事を思って以下をお読み下さい。
 聖書に戻りますが、この書簡はパウロがコリントの教会へ書いたものです。コリントの教会は、活発な活動をしておりましたが反面、いつも分裂の危機にありました。教会員が一気に増え、「私は○○さんに着いていくんだ。」「いや私は△△さんに従う。」と自分に都合の良い指導者を選ぶようになってしまいました。そして信徒の中には「死者の復活などないのだ」と肉の思いを語る者まで現れてしまうのです。パウロはこの荒れ果ててしまったコリントの教会を見捨てる事が出来ず手紙を送るのです。
 私たちは立派だからクリスチャンになったのでしょうか?違いますよね、全く逆で罪人であったためにクリスチャンとされたのです。教会へはいろんな人がやって来ます。自分の考え方と違う人も多くいるでしょう。そこでどう交わり、相手を受け入れるか。
「愛」をもって受けるしかないのです。
また、教会の中では、いろんな賜物を比較するようになります。例えば、多額の献金をしたから1番、市会議員だから2番とか・・・こんな事があってはなりません。個人個人の「チンケ」なプライドがそうさせ、「愛」のカケラもなく、これこそ罪以外のなにものでもありません。いつも隣にいてくださっている主イエスが喜んでおられるでしょうか?
またパウロは裕福な者と、そうでない者が同じ教会へ集う事で「ねたみ」が弱い心に起こる事も記しています。裕福な者は「誇らず」、またそうでない者は「ねたまず」、自分と主との関係に立ち戻らねばなりません。
自分を誇らずねたまず、愛をもって交わる事ができる方はなんと幸いな方でしょうね。
 「最も大いなるもの」・・・もうお解りのとおり、「愛」です。同じ教会に集う方々に対し、「愛」をもって誇る事無く、またねたむ事無く接していますでしょうか?
肉の思いに負けそうになった時、『いつも主は私の隣におられる』事を確信し、愛をもって接する事ができますますように。
『愛の花びらはちらない!』のです・・・。

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