倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

仕えるために生きる

2006年04月02日 | メッセージ
4月2日の倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約「仕えるために生きる」
聖書:マルコによる福音書10章32~45節
抜粋:10:45 人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。

<要約>
 「教会へは毎週行かなくてはなりませんか?」との質問をホームページの掲示板に頂きました。教会での礼拝は、神の国に直結しています。そしてその礼拝を全能の神はご存じです。「行かなくてはならない」から「行きたくてしかたがない」と思う事ができれば何と幸いな事でしょうね。
 さて聖書の箇所を見て行きますが、ここには、主イエスキリストがエルサレムで苦しみを受けられる事を語られています。主が語られた後、ヤコブとヨハネが「栄光をお受けになるとき、ひとりをあなたの右に、ひとりを左にすわるようにしてください」。と願いを話しています。そして主は「わたしが受けるバプテスマを受けることができるか」と質問され、二人は「できます」と答えていますが、主イエスキリストが十字架にかかられた時、逃げ出してしまったのです。
 他の弟子達はこの二人の願いを聞いてどう思ったでしょう?抜け駆けをする二人に怒りを感じた事でしょう。弟子が集まった中で、ヤコブとヨハネはなぜ公明にお願いしたのでしょう?
弟子の中で主に近かった二人。自分達は「特別に選ばれた者」「弟子の代表者」「偉い者」とおごり高ぶっていたのです。
 主は弟子達に語られます。偉くなりたいと思う者は仕える人となり、頭(代表)になりたいと思う者は僕となりなさいと・・・
私達も時々勘違い、的はずれ、すなわち「罪」を犯してしまいます。日曜日には必ず教会で礼拝し、献金も捧げ、祈祷会も出席している。そんな時こそ的はずれを起こしてしまいます。すべての行動や思いは主から来るもので、自ら努力したからでは決してないのです。
 主は私達に仕えてくださいました。死から解放してくださいました。私達の罪をおゆるしくださいました。主のなさった事を忘れてはなりません。
 いじめや苦しみ、病気や裏切りに満ちた世の中ですが、その時に主が私達にしてくださった一つひとつを覚える事ができるなら、何と幸いな事でしょう。主はそんな人々のためにも十字架にかかられたのです。互いにゆるし愛し合い、仕える事ができますように。

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