老師の撞かれる6時の梵鐘の音は静けさの中、
般若心経の読経と合わせ良く響く。
鐘楼から戻られた師は「検単」の後、禅堂の全照明を消されて
神秘的な時間。
老師の坐中のお話しが始まった。
一度緊張を解きなさいとの指示、
こんな時、何の意識もしていないのに体を保持してくれる不思議、それが「呼吸」です。
私と言う生き物を支えている、それに甘えているのが人です。
五官の働きにより生きていると思っているでしょう、
そこに政治・文化・日常生活の思いが入りこの世を構成しているのです。
こんな時、「坐ると言う事は何をしているのでしよう」。
「坐禅する勧めは、何のすすめか」。
意識していない呼吸、これを造るのです。
無意識にしている環境、それを天と地、陰と陽、プラスマとイナス、
相対する環境のなかに居る生き物は、何もしないと生きるというぎりぎりの姿です。
生き方をはっきり「生きていると意識させる」、
その過程が座る中に呼吸として存在する。
そうした事を、実証・実行してくださり生き方を示された方、
3000年前の導師、それが「お釈迦様」です、
我々は、今座って「作法通りったの身の構え」
そして「作法どおり呼吸」を造っていることは、限りなく遠い昔から
お釈迦様に伝ながっているのです。
身体を整え呼吸を整え天地陰陽の世界を完成させている、
この作法を習う人達とつながっているのです、
ここに座っている我々と過去からのこの道を楽しんだ
多くの人々まで通じ合う世界、
これを感じるまで坐るのです。
そのためには、半跏趺坐、ひざを坐蒲の両端に置き
お尻との3点で安定させる、その上に背筋をぴんと立て腹部を前に出す、
へそ下3寸の丹田に気を集中させる。
そこへ空気を一杯に入れる、丹田の前に結んだ両手を法界定印に結び
その上に気持ちを置くのです。
口を閉じ鼻のみ呼吸を出し入れする、
こうした動作は、天地陰陽すなわ天と地の交流、
この時間、私はあなたを、あなたは私を分け隔て、
上下関係等すべて無くなる時間、
静かな安らぎの世界になるはず、すべての感情が無くなる時間でもあります。
人と心理が一つになる時間とも言います、
これが今「坐禅をしている」と言う事です。
そこらにあるの天地笑気、悩みが有って悩みが無い世界、
すべての天地が一枚となった平等の世界、
それが平和の世界の姿でもあります。
そんな事を「お釈迦様が生きて示してくださった」。
それを後世に伝える役目を持たれた、
そのおかげで、味わいながら坐禅をしているのです。
これが「禅の世界」でもあります。
しばし無言の後、小鐘1つ、「合掌」と終わった。
今日は老師のお話しは長く、小鐘3つのスタート合図も無く始まった
ことになりました。
時間は1炷40分を大きくに超える時間となり
気が付くと外はすかっかり明け、暗黒から明ける過程の神秘を味わう
ことも忘れての坐禅の時間。
今朝は、外の事を忘れる位ルールにのっとり座ったのでしょう。
なかなか 私などには、機会の無い時間です。
自分自身をひとりで見つめる時間を 作ってみたいと思いました。
雑念の多いこと、多い事😅
よく続くものです。
こんなに続けていても信者になっていません、自分の心をストレスなどを除く無意識の世界。わずか40分座るのですが、それなりに緊張しています。座後の緊張の解けた時間がいいものです、またこの時期知らぬ間に外が明けているのも素晴らしい時間の流れを感じられます。
もう少し専門用語をなくすといいのですが、
わからない内容もあることでしょう。