新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

アンリ・ルソー「夢」

2022年03月09日 | 日記

 原田マハさんのストーリー展開があまりに鮮やかで、つい書いておきたくなった。ほんの断片にすぎないが、ここに記すことをご容赦願う。
 貧乏画家アンリ・ルソーは生活費を切り詰めてカンヴァスと絵の具を購入していた。妻に先立たれてからはひとり暮らし、みすぼらしいアパートの5階に住み、ひたすら絵を描いていた。栄養不足のため体が弱り、同じアパートの下層階に住むジョゼフと妻ヤドヴィガがときどきみずからの貧しい生活を切り詰めながら食料を届けていた。ジョゼフはなんとなくではあるがルソーの画才に惹かれるものを感じていた。
 アンデパンダン展に出品された絵から、いち早くルソーの画才を見抜き、自宅に招いて宴を催したのは当時、新進気鋭のモダン・アーティストだったパブロ・ピカソだった。ルソーとは父と子ほども年齢差がある若いピカソだったが、従来の価値観を打ち破った絵を描くことを追求していた。
 ルソーが貧しくてカンヴァスも買えない窮地に陥っていることを知ったピカソは、自分が描いた大きな(200センチ×300センチ)絵をもってルソーのアパートを訪れ、「これに絵を描け。力をふりしぼって描きたいものを描くんだ。それがモダン・アートだ」といった。新しいカンヴァスが買えない場合、いちど描いた絵のうえに絵の具を塗り重ねることは当時としてはめずらしくなかったようだ。こうしてピカソの絵のうえにルソーはみずからの絵の具を重ねていった。ピカソとはまったく異なる絵ができあがった。世紀の名作「夢」の誕生だった。モデルはルソーがひそかに恋い慕っていた階下の住人ヤドヴィガだった。夫ジョゼフがルソーを想い、妻をモデルに差し出したのだった。渾身の力をふりしぼって「夢」を描いたあと、ルソーは静かに息をひきとった。こうしてまたとない世紀の名作、ピカソの絵のうえに描かれたルソーの「夢」ができあがった。
 わが家の書棚に美術出版社が発行した「世界の巨匠シリーズ」18巻が鎮座しているが、ピカソもルソーも入っていない。このシリーズが発刊された1970年代、二人の巨匠はまだあまりにモダンすぎたのだろう。


原田マハ

2022年03月08日 | 日記

 ガラガラの新幹線ひかり号自由席で読書にふけった。快適で豊かな時間だった。
 原田マハ「楽園のカンヴァス」を読了した。私が読んだ原田マハ作品はこれが2作目になる。1作目、美術作品をモチーフにした小説がめずらしいので興味を惹かれ、2作目の長編へと移行した。すばらしいミステリーだ。
 アンリ・ルソーの絵画「夢」をおもなテーマにし、それとそっくりだが実在しない絵画「夢をみた」を登場させる。ルソーを見いだした若き日のパブロ・ピカソが登場し、ルソーがピカソ作品にかぶせて「夢をみた」または「夢」を描いたのではないか、すなわちどちらかがピカソとルソーの二重作品ではないか、という突拍子もないテーマで読者を惹きつけて離さない。
 主人公はマンハッタン現代美術館に勤めるうだつの上がらないアシスタント・キュレーター、ティム・ブラウン。上司トム・ブラウンとは一文字違いで、「ティム・ブラウン様」と宛名書きされてはいるが上司トムに来たに違いない手紙を自分あてのものにしてバーゼルでのアンリ・ルソー作品の真贋判定への招待に応じる。もうひとり、パリの大学でアンリ・ルソーを研究し、優れた論文を発表している早川織江もバーゼルへ招待される。
 その後、舞台は1906年にまで遡り、ルソー「夢」の裸婦のモデルになったヤドヴィガという貧しい家の女性が登場し、その夫ジョゼフのすすめでルソーのモデルを務めることになる。夫のジョゼフは美術作品を画家のアトリエから美術画廊などへ配達することを生業にする配達員だが、無名の画家ルソーの才能にいち早く気づき、みずからの貧しい生活を切り詰めながらルソーの画材購入の援助をしている。
 原田マハの小説には美術作品への愛が込められている。それに手の込んだプロットにも惹かれる。めずらしい推理小説に出会ったと同時に、すばらしい画家、絵画作品に巡り会わせてもらった。