世界遺産に指定されている京都の歴史建築群だが、建設当時のままでいまに残っている建物は数えるほどしかない。
古い順にあげれば醍醐寺の五重塔(952)、大原三千院の本堂すなわち往生極楽院(1143)、太秦、広隆寺の講堂(1165)、それに北野天満宮内の千本釈迦堂(1227)ぐらいだ。
三千院内にある往生極楽院は去年の暮れに訪れたばかりだ。私にとっては三度目になるが、そぼ降る雪のなかにたたずむ木造建築のその姿には思わず手をあわせさせる趣があった。上がり框の階段をていねいに竹箒で掃き清める坊さんの姿には頭が下がった。いくら雪をはいてもすぐにまた降り積もる。それでも参拝する客の安全のために掃き清めることをやめない。
広隆寺は弥勒菩薩像ばかりがもてはやされるが、講堂の建物に価値があることは岩波新書「京都〈千年の古都〉の歴史」を読んではじめて知った。醍醐寺は京都の南東のはずれ、稲荷山の麓にあるようで、おそらく私はこれまで行っていない。北野天満宮は京都北部の行きやすいところにあるが、訪れた記憶がない。
何百という神社仏閣がありながら、むかしのままで残っている建物がなぜこれほど少ないのか。火災、震災、戦乱で壊されてしまったからだ。
火災は、火が出ると消しようがなかった。寺院だけでなく町屋もずいぶん燃えては建ち、燃えては建ちをくり返している。建築術が未熟だったせいか地震にも弱かった。五重塔、九重塔など百塔の町の景観を呈した時代があったらしいが、地震でもろくも崩れ去った。戦国時代には寺社も被害を受けた。血気盛んな僧侶も多かったようだ。
今年も暮れに京都の町を歩く。
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