新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

「マリリンが死んだ」

2020年04月12日 | 日記

 1962年8月4日土曜日、ハリウッドは暑苦しい夜を迎えていた。どうにか寝ついた私立探偵フレッド・オタシュの枕元で、けたたましく電話が鳴った。
「フレッド。ピーター・ローフォードだ。大問題が起こった。すぐ行く」。
「どうした?」
「いまはいえない。数分でそちらへつく」。
 電話の相手は俳優ピーター・ローフォードだった。ローフォードとフレッドは仕事上、古くからのつき合いだった。初対面はオタシュがロス警察にいたころだった。ローフォードはMGMの看板俳優だった。そのころローフォードは売春宿に出入りし、ハリウッド俳優が関係する数々の事件で暗躍していた。
 オタシュは警察を辞めたあと私立探偵に転じ、映画俳優に多くのクライアントをもった。なかにはフランク・シナトラ、マリリン・モンローがいた。セレブたちのゴシップ記事を満載する雑誌「コンフィデンシャル」もクライアントになっていた。
 ピーター・ローフォードはジョン・F・ケネディーの妹パトリシアと結婚していた。ケネディーはこのころマサチューセッツ州選出の上院議員だった。スターのセックススキャンダルやらドラッグ使用を暴露することをウリにしているコンフィデンシャルに、ローフォードの売春宿通いを暴かれると、自らの結婚を破局に導くどころか義兄ケネディーの顔にも泥を塗ることになる。オタシュの裏工作でローフォードの暴露記事が世に出ないですんでいた。さらにパトリシアの不倫疑惑を感じとったローフォードが、自宅の電話に盗聴器を仕掛ける依頼をオタシュにしたこともあった。
 オタシュは金で動く男だった。ケネディーが大統領選に立候補したときには、各派の依頼でローフォード家に盗聴器を仕掛けたこともあった。
 1962年時点、ローフォードはケネディーの義弟であり、かつホワイトハウス・スポークスマンの1人だった。政治の中枢にいるのだから身の回りすべてが敵のようなものだった。当然のことながらローフォード家にも盗聴器が仕掛けられていた。
 大統領も弟ロバート・ケネディー司法長官もともにマリリン・モンローと性的関係をもっていることは、ハリウッドの情報通の間で知れわたっていた。カトリック出身の2人がハリウッドの性の女神と関係をもっていることが明るみに出ると、ケネディー政権が吹っ飛んでしまう。それを歓迎する人も多かった。
 8月5日早朝、オタシュ家に現れたローフォードは、酔ったようなラリッたような「フライパンのなかのミミズ」のようだった。
「マリリンが死んだ」。
 これが第一声だった。ロバート・ケネディーとの関係が切れて、マリリンはホワイトハウスや司法省に電話をかけまくっていた。司法省はサンフランシスコにいるロバートに「手がつけられないので、ロスへ向かったほうがよい」と忠告したところだった。
 ローフォードはオタシュに伝えた。警察の捜査で、マリリンとケネディー兄弟との関係がばれると、たいへんなことになる。いま現場を見てきて、やばそうなものを片づけてきた。見落としがあるかもしれない。あとは頼む、フレッド。
「おれが? おれは顔を知られていて、現場から半径4マイル以内に足を踏み入れようものなら・・。そんな役、ごめんだな」。
 オタシュは結局、数か月まえマリリンの家に盗聴器をつけた助手を派遣し、ローフォードがやり残した仕事を成し遂げた。
 こうして「ピーター・ローフォード/秘密を握る男」の伝記が始まる。