まずは熊楠という名前に仰天。これはなんだ? 熊さんなら落語にも登場する。楠は? クスノキ? 何をした人だろう。
名前だけはよく知っていた。本の広告だったり、だれかが書いた文章に登場したり。しかし実際にどのような人物か。博覧強記の博物学者といわれても・・。
和歌山に生まれ、幼いころから抜群の記憶力を有した。友人の家にあった「和漢三才図絵」を数ページずつ丸暗記し、帰宅しては筆録した。コピー機のなかった時代、閲覧できた文献を手当たりしだいに筆写した。粘菌類に興味をもち、紀伊半島南部のじめっとしたところへ標本採集にかよった。植物にも動物にも興味をもった。学校の勉強は好きではなかったが、興味があることはとことん追求した。
19歳で親を説得し、アメリカへ渡る。ミシガン大学へ入るも、大学での勉強を好まず退学し、フロリダの湿地帯で標本採集に明け暮れる。イギリスへ渡れば大英図書館に入り浸り、数々の文献を筆写する。結局19歳から33歳までアメリカとイギリスで暮らす。造り酒屋だった実家からの仕送りが途絶えてようやく帰国。イギリスの科科学雑誌「ネイチャー」や「ノーツ・アンド・クエリーズ」になんども論文を投稿し、掲載されている。結婚して紀伊田辺に住み、自然保護の運動に尽力した。
名前に戻る。熊は熊野の熊、楠は紀伊半島に多くみられる巨木クスノキのこと。熊も楠も子どもの体が頑強になることを願って親がつけた本名だった。ほかに和歌山市南部にある藤白神社の藤を名前にすることを当時の南方家は好んだ。熊楠のきょうだいには「藤吉」「くま」「常楠」「藤枝」「楠次郎」がいるし、熊楠自身は息子を「熊弥」と名づけている。
酒好きで喧嘩ばやかった。晩年、酒はやめたがたばこは吸い続けた。どの写真を見てもたばこをくわえている。
あす、南方熊楠が家族生活を営んだ紀伊田辺の旧居跡を訪れる。その毒気にあたりたい、そのエネルギーを吸収したい。