新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

「新モラエス案内」

2015年12月14日 | 日記
  

 友人が本を書いた。深沢暁「新モラエス案内――もうひとりのラフカディオ・ハーン」(アルファベータブックス)。
 ヴェンセズラウ・デ・モラエスは明治中期にポルトガル海軍の軍人としてマカオを拠点に東アジアのあちこちを調べていた。猥雑で不潔な中国から長崎、瀬戸内沿岸へと船を進めたとき、その豊かな自然のなかでゆったりと暮らす人びとの姿を目にし、感動する。そして神戸・大阪ポルトガル領事として神戸に住み着く。くるわ芸者だったおヨネを生活のパートナーとして迎えるが、体が弱かったおヨネはまもなく早世する。おヨネを故郷、徳島の地へ葬り、その姪にあたるコハルとともに徳島での生活をはじめる。しかしコハルもまたまもなく世を去り、二人の女性への追慕(サウダーデ)とともに残り16年の生涯を終え、74歳でこの世を去る。神戸、徳島での生活と二人の女性への愛をつづった文章を頻繁にポルトガルへ書き送っている。
 著者、深沢は学生時代からモラエスに心を奪われ、それを生涯の研究テーマに選んだ。45年の歳月を費やして進めてきたライフワークをようやく形にしたといったところだろう。一般向けに書かれ、とてもやさしく、わかりやすいモラエス紹介になっている。
 モラエスの魅力にとりつかれた人は多い。
 その一生をモラエス紹介に費やしたといえるのは花野富蔵だ。「おヨネとコハル」「徳島の盆踊り」は私も若いころに花野訳で読んだ。徳島生まれの花野は、旧制中学の時代にモラエスのことを聞きつけ、わざわざ会いに行き、さらにモラエスから直接にポルトガル語を習ったこともあるという。その後の人生をその紹介に捧げるほどモラエスに大きな魅力を感じたのだろう。
 佃実夫もまた徳島出身で、幼いころにモラエスに会っている。幼すぎてはじめて見る異邦人に泣き出してしまったと書いている。それでもそのときの印象が長く心に留まり、モラエスについての研究書を世に出すことになった。
 瀬戸内寂聴さんもまた幼いころに晩年のモラエスを見かけ、のちになっていくつかの文章に書き残している。小学校1年生のとき、母の実家の近所に住んでいたモラエスを見かけ、好奇心からそっと跡をつけ、モラエスがふりかえると恐ろしくなって一目散に逃げ帰った(青い目の西洋乞食)。
 おなじように日本と日本人のよさ、美しさを外国へ紹介する仕事をしていながら、ラフカディオ・ハーンはあまねく知られているのに対し、モラエスはほとんど知られていない。その原因はひとえに言語にある。ハーンは英語で文章を書き、モラエスはポルトガル語でしか書かなかった。
 深沢はラフカディオ・ハーンと比較しながらモラエスを紹介している。一読をおすすめする。
 写真はリスボンにある、モラエスが若いころ暮らしていた集合住宅の玄関。ドアの上に日本語の文字が見える。