新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

噂は本当だった

2015年10月31日 | 日記

 1990年代の前半、イラクのサッカー代表チームについて不穏な噂が流れていた。「国際試合に負けて帰国すると懲罰が待っている」というものだった。まさかスポーツの世界にそのような見せしめ的懲罰などというものがあるだろうか。だが独裁者が支配する国ならそのようなこともあり得るか、と半信半疑だった。このたび当時の独裁者サダム・フセインの主治医が書いた回想録を読み、その噂がほんとうだったことを知った。
 当時、イラクのスポーツ界で実権を握っていたのは独裁者サダム・フセインの長男ウダイだった。このウダイが残虐嗜好の、どうしようもない人物だった。もっともよく使われた懲罰方法は選手の足の裏を棒で殴るというものだった。1994年には国際試合に負けて帰国した代表チームの選手全員が軍事懲罰房つきの施設へ入れられた。
「裸の独裁者サダム-主治医回想録」(NHK出版)にくわしい。
 私がこの本を読み始めたのは、1990年の8月2日に突如として始まったイラクのクエート侵攻の背景を知りたかったからだった。いまどき古代のアレクサンドロス(アレキサンダー)大王気どりの行為をしようと画策する独裁者がいるだろうか、とずっと気になっていた。もしこのような行為をいまの世界で成功すると思って始めたのなら、その為政者はよほど時代遅れの感覚の持ち主だということになる。実際、イラクの地上軍がクエートとの国境を越えて侵攻していくもようを私たちはテレビで空から眺めていたのだから。サダムの主治医が書いたところでは、サダムの指令の下で政権の要職にあった従兄弟と下の息子の二人が指揮を執り、大統領所有のふたつの精鋭部隊をクエートへ向かわせた。サダムと親戚関係にない国防大臣と参謀総長は何も知らされていなかった。近親で国の中枢を固めた体制のようすがうかがえる。しかもイラクは地上部隊を送り込んだだけで、空からの攻撃手段をほとんど持ち合わせていなかった。イラン・イラク戦争で疲弊しきった国内体制を立て直すための試みだったようだが、国際情勢をまったく考慮していなかった。案の定、そのあとすぐにアメリカ、イギリスにたたかれ、一時は侵攻して略奪のかぎりをつくしたクエート占領から最終的には手を引いた。
 独裁国家のなかでなにが起きているかはリアルタイムでは分からないものだが、こうして時を経るにつれ、背筋が凍りつくようなことが起きていたことが分かってくる。日本の隣のあの国でも似たようなことが起きていないだろうか。