新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

吉野宿略図

2014年05月22日 | 日記

 吉野宿略図のコピーを入手した。旧藤野町内、吉野地区の国道20号ぞいがほぼそのまま吉野宿だった。吉野橋から勝瀬橋入り口の信号までの直線道路で、400メートルほどしかない。道路の両側には105軒がひしめいている。
 吉野宿中央部に本陣と脇本陣があり、旅館と木賃宿をあわせて9軒の旅宿がある。際だっているのはそのまわりに遊郭が9軒、揚屋が2軒あることだ。揚屋とは遊女を呼んで遊ぶ場を提供する家屋のことだろう。
 そば屋、すし屋などの飲食店が7軒、八百屋、菓子屋など飲食物販売店が12軒ある。旅人は馬を使うので馬方や馬鞍作、天馬宿など馬関係の仕事に就く家が6軒にのぼる。天馬宿は伝馬宿ともいい、旅館に泊まる客が乗ってきた馬を預かるところだろう。人力屋も健在だ。
 農業を営む家が14軒、漁師が4軒ある。大工が6軒あるのはいささか多いが、それだけ需要があったのだろう。
 公共施設としては、八王子警察署吉野分署、郵便局、役場、検疫所、学習舎がある。「大房旅館、後郵便局役場」という表示があるので江戸末期から明治、大正までの移り変わりを1枚の地図におさめたものかもしれない。
 それにしても多種多彩な職業が並んでいる。鍛冶屋、馬商、床屋、仕立屋、按摩業、呉服屋、荒物商、半物師、髪結、機屋、筏師、浴場、下駄屋、絹買商、紺屋、ランプ屋・・。あげればきりがない。読んでいると、さまざまな人たちが街道を往来し、あちらこちらで人情劇が発生する場面が目に浮かぶ。人情時代劇の脚本が書けそうだ。

 この30年でずいぶん変わった。郵便局のとなりに小さな商店があり、米と雑貨を販売していた。30年前に「米を2合ください」といったら「10キロ買ってよ」といわれたその店はいまはない。肉や野菜を販売していたレジつきの商店もいまはなく、狭かった道路がここ数年で急速に広くなった。本陣あとの蔵は健在で、藤屋旅館は郷土資料館として残っている。