京城駅
日本は美しい朝鮮半島の至る所に醜い鉄道網を敷きまくりました。
併合前はわずか100キロしかなかった鉄道を総延長距離6000キロにまで増やしたのです。
想像してください。
朝鮮半島ののどかな自然に囲まれた田園風景をぶち壊すように、無粋な鉄のかたまりである機関車がもうもうと煙を吐きながら、けたたましく騒音をたてて走る様を。
これによって美しい朝鮮半島は醜い線路によって鞭で打たれた傷のようにずたずたにされました。
それを見た多くの朝鮮人たちが怒りに震えたとしても仕方がなかったと思います。
また驚くのは、国鉄が朝鮮半島に走らせた鉄道は「広軌」でした。
朝鮮人からしてみれば、日本国内で走らせていなかった広軌鉄道を敷き詰めたということは、「日本は朝鮮半島で鉄道実験をした!」と受取られてもしかたがないでしょう。
日本は、よりよい技術を導入したのだからと言って、開き直ることはできません。
ちなみに国鉄が広軌を採用したのは、1964年の東海道新幹線が初めてです。
また朝鮮において、電化による鉄道(電車)を走らせたのは、1938年ですが、北海道で初めて電車が走ったのは、その30年後の1968年です。
いかに日本が最新技術を朝鮮半島で前もって実験していたのかがうかがえます。
1925年に完成した京城駅の駅舎は、その規模は別にして当時の東京駅よりもはるかに豪華でした。
日本よりも朝鮮半島に最新技術を勝手に導入して、鉄道を敷いてしまったことは朝鮮の人々にとっては迷惑だったかも知れません。