「創氏改名」の知られざる実態とは・・・
李朝朝鮮時代、白丁やなど下層民には姓がない人がたくさんいましたが、日韓併合後に日本は戸籍を作り、朝鮮半島の人々に姓を与えました。
当初、朝鮮総督府は日本風に名乗ることを禁じました。
しかし、日本名を名乗って日本人のふりをするほうが得だと考える朝鮮人が多くいました。
得に満州や中国に行った朝鮮人の多くは日本人に成りすましました。
そのため、総督府が禁止しても、日本名を名乗る朝鮮人が増えてしまい、最終的には許可するようになっています。
日本では、男女が結婚したら同じ姓になります。
ところが、当時の朝鮮は結婚しても女性の姓は変わりませんでした。
そこで日韓併合後に日本の戸籍制度に合わせる形で、朝鮮でも結婚を機に姓が変わるようになりました。
つまり日本のように「家」として名前を付けたのです。
これが「創氏改名」の「創氏」の部分ですが、なぜか韓国はこれを、「日本人に名前を奪われた」と主張する理由の一つにしています。
それで、後半の「改名」についてですが、家としての名前を届けるときに、総督府は朝鮮人に好きな名前を名乗らせたのです。
するとなんと八割の人が日本名を届けたのです。
これは朝鮮人の自由意志です。
日本名への強制ではなかった証拠に、届出をしなかった人は、戸主の名前(朝鮮名)が自動的に家の名前になりました。
一方、戦後の日本ですが、在日コリアンは朝鮮名だと差別を受けるということで、勝手に日本名を名乗っていました。
やがてそれが特権となり、彼らはその特権を最大限に活用してきたのです。
このように、日韓の間で抱えている問題の多くは、日本人の善意がきっかけとなってこじれたものが多いようです。