過去を水に流す発想のない韓国
もし日本の首相が、韓国の国民の前で、地べたに額ずいて謝罪したとしたら、次には間違いなく天皇陛下に対して土下座の謝罪を要求するでしょう。
では、それで解決となるかと言ったら、決してそうはなりません。
なぜなら、韓国には過去を水に流すという考えがないからです。
韓国に今も根強くあるのは、先祖に深刻な危害を加えた者を、子孫は決して許してはならない、どこまでも恨み続け、その罪をどこまでも問い続けていかなくてはならない。
それが人間なのだという、韓国特有な儒教的倫理観です。
この倫理観は当然、慰安婦問題でもいくらかでもお金を出しましょうということになれば、「いやお金の問題ではない」という言い方をすることになります。
ですから、いくら払えばいいですかと聞いても、金額を提示しようとしません。
どんな形で払えばいいですかと聞いても、そちらで考えるべきでしょう、と言うばかりです。
それではどういう形で謝罪すればいいかとなると、誠意ある態度を見せて欲しいと、韓国側が言うのはそれだけです。
これまで、「日本には一切責任を負うことはしない」と公言した韓国大統領は二人います。盧泰愚(在任1988年2月~1993年2月)と金大中(在任1998年2月~2003年2月)です。
しかし、いずれも2,3年で、その公言を反故にしています。
儒教的な倫理観が国民心情を侵しています。
ですから、公言を貫き通すことが出来なくなるんです。
貫き通そうとすれば、政権は間違いなく崩壊するからです。
きっぱりと誠意を込めて謝罪すれば、相手はそれを受け入れて、過去のいきさつを水に流してくれる。
日本人はみなそう思うでしょう。
これで終わりにしてくれると思う。
韓国側も、それで終わりにすると何度か言ってきたわけです。
きちんと謝罪してくれればすべて終わりにすると言う。
そこで謝罪すると、それでは誠意が見えない、謝罪になっていないと言います。
そうなると、地面に跪き、地べたに頭をこすりつけて謝罪すればいいのか、ということになってきます。
そこにある韓国側の願望は、「日本を韓国に従わせ、永遠に韓国に奉仕する国にしたい」ということなんです。韓国が千年の恨みを晴らすとはそういうことなんです。