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「四時軒」と坂本龍馬【熊本の話題】

2016-04-24 | 横井小楠
 「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人みた。それは横井小楠と西郷南洲だ。」と述べたのは勝海舟。その横井小楠の旧居「四時軒」を坂本龍馬は3度訪問している。
 1864(元治元)年に2度。1865(慶応元) 年に1度。

 1863(文久3)年、長州藩は関門海峡を通過する外国船への攻撃を行った(下関事件)。翌1864年2月、幕府は勝海舟を長崎に派遣する。船で大分に入り、阿蘇を経由して熊本に入った勝海舟は、同行した坂本龍馬を横井小楠の元に遣わす。小楠はその返書として海舟に「海軍問答」を贈り、海軍建設に関する諸提案をした

 横井小楠は、1862(文久2)年、新設の幕府の政事総裁職に就任した松平春嶽(福井藩主)に、顧問として迎られ、幕政改革に多くの提言をおこなった。しかし、その年の12月に士道忘却事件が起こり、熊本藩より士籍を剥奪される処分を受ける。その後は、城下2里の沼山津に移りその住まいが「四時軒」である。

 長崎の帰りの4月、龍馬は再び四時軒を訪問。長崎での見聞を大いに語ったものと思われる。この時小楠のおい左平太らを神戸海軍操練所塾生として引き受けている。

 3回目の訪問は1865(慶応元)年、薩摩からの帰りであった。この年龍馬は長崎で亀山社中を結成し、薩長同盟を推進していたと思われる。この足で龍馬は大宰府にいて長州に護れらていた公家三条実美らと会談している。薩長同盟が成ったのは翌年1866(慶応2)年のことになる。
 この訪問の時、話が人物論に及んだ。小楠が龍馬に、「俺はどうだ」と尋ねると、龍馬は、「先生は二階に座ってきれいな女どもに酌でもさせて、西郷や大久保がする芝居を見物なさるがようござる。大久保どもが行き詰まったら、ちょいと指図してやって下さるとよございましょう」と答えた。

 龍馬は、「四時軒」を最初に訪問する前年1863(文久3)年、勝海舟の遣いで神戸海軍操錬所の資金援助を依頼するために越前福井藩を訪れる。福井に到着後、当時福井に滞在していた横井小楠を訪ね、小楠が三岡八郎(由利公正)を紹介している。そして、3人で酒を酌み交わし、おおいに天下国家を語らった。

 横井小楠は1863(文久2)年、春嶽の顧問として幕政に参加し幕政改革の方針を、「国是七条」として建議した。
 1.大将軍上洛して列世の無礼を謝せ。
 1.諸侯の参勤を止めて述職となせ。
 1.諸侯の室家を帰せ。
 1.外様・譜代にかぎらず賢をえらびて政官となせ。
 1.大いに言路をひらき天下とともに公共の政をなせ。
 1.海軍をおこし兵威を強くせよ。
 1.相対交易をやめ官交易となせ。

 坂本龍馬が1867(慶応3)年、長崎より京都への船中で新しい国の体制に就いて後藤象二郎に意見を述べたのが、「船中八策」である。
 1.天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出ずべきこと。
 1.上下議政局を設け、議員を置き、万機を参賛せしめ、万機よろしく公論に決すべき事。
 1.有材の公卿・諸侯および天下の人材を顧問に備え、官爵を賜ひ、よろしく従来有名無実の官を除くべき事。
 1.外国の交際広く公議をとり、新たに至当の規約を立つべき事。
 1.古来の律令を折衷し、新たに無窮の大典を選定すべき事。
 1.海軍よろしく拡張すべき事。
 1.御親兵を置き帝都を守衛せしむべき事。
 1.金銀物価よろしく外国と平均の法を設くべき事。

 龍馬は、新政府に参加すべき人々として、三条実美、岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、後藤象二郎ら討幕の中心にいた人たちと共に、それぞれ藩より処分を受け幽閉生活を送っていた横井小楠、由利公生(三岡八郎)をあげた。1867(慶応3)年、大政奉還後の新政府はに議定、総裁、参与の三職を置き、参与に横井小楠、由利公生も招く。

 由利公生は、資金作りに太政官札を発行することとした。太政官札を通用させるには新政府の信用が必要である。そのためには、新政府の方針を広く世間に示すことだと主張、自ら草案を作り示したのが,1868(慶応4)年の五箇条の御誓文の草案である。
 1.庶民志を遂げ人心をして倦まさらしむるを欲す。
 1.士民心を一つにし盛んに経綸を行ふを要す。
 1.知識を世界に求め広く皇基を振起すへし。
 1.貢士期限を以って賢才に譲るべし。
 1.万機公論に決し私に論ずるなかれ。


 1867(慶応3)年、坂本龍馬は京都の近江屋で暗殺される。
 1869(明治2)年、横井小楠は京都御所近くで暗殺される。

 「四時軒」の横には「横井小楠記念館」が併設され、小楠に関する資料のほか、勝海舟や吉田松陰、西郷隆盛などの、小楠にゆかりのある人々の書も展示されているが、震災後の四時軒の復興、横井小楠記念館開館時期はまだまだ先と思われる。

 横井小楠に関してはこちらも参照してください。



(四時軒と小楠記念館の入口:2013.5.13撮影)


(四時軒:2013.5.13撮影)


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