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有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし

2021年11月16日 10時26分50秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからである。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみようと思っているところだ。

(ネットから拝借画像)


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その4

有明の つれなく見えし 別れより
暁ばかり 憂きものはなし

出典 
古今集(巻十三)

歌番号 
30

作者
壬生忠岑

歌意
明け方の月が、夜の明けるのに対して無関心で冷たく空に残っているように、
あの女性がいかにも無情に見えたあの明け方の別れの時から、
私にとって、暁ほどつらいものは無い。

こちらが恋い慕っているのに相手の女性が冷淡でつれなく、
冷たい態度で別れた時、ちょうど有明の月がしらじらと空に浮かんでいた。
有明の月と女性の顔とがダブり、
暁の空を恨めしい気持ちで眺めている男の切ない心情が歌われている。

注釈
「有明の」・・夜明けの空に残っている月のこと。
「有明の月」は、「つれなく見えるもの」として、多くの歌で詠まれている。
「つれなくみえし」・・冷たく無情に見えた。
有明けの月の無情さと、女性の無情さとを、掛けている。
「暁ばかり」・・夜明けほど。「暁」は、夜明け直前の、まだ暗い時間帯。
「憂きものはなし」・・「憂き」は、つらい、切ない、くるしい、にくいの意。


壬生忠岑(みぶのただみね)
平安朝前期の代表的歌人。「古今集」の撰者の一人。三十六歌仙の一人。
身分は、六位で、低かった。生没未詳。
やはり三十六歌仙の一人、壬生忠見(みぶのただみ)の父。


川柳

有明のつれなく見ゆる売れ残り

他の女性が座敷等で騒いでいるのに、ただ一人、夜を明かし、
有明けの月を、恨めしい気持ちで眺める、
客に呼ばれなかった遊里の女性のことを詠んだ句。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


 


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