たけじいの気まぐれブログ

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めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな

2024年01月04日 21時05分59秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その1

めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲がくれにし 夜半の月かな

出典
新古今集(巻十六)

歌番号
57

作者
紫式部

歌意
たまたまめぐり逢って、見たのが月であったかどうかも分からない内に
雲に隠れてしまった、真夜中の月であることよ。
久し振りに、昔親しかった人と偶然めぐり逢ったが、
慌ただしく帰ってしまわれたあなたは、
まるで雲に隠れた夜半の月のようですねえ。

注釈
「めぐりあひて」は、「長い間逢わなかった人に偶然出会う」の意。
「めぐりあひ」と「雲がくれ」とは、縁語。
「見しやそれとも」は、「見たのが、それ(月)であったかどうかも」と訳す。
「わかぬ」の「わか」は、見分けるの意の動詞「分く」の未然形。
「夜半の月かな」の「夜半」は、夜中、真夜中のこと。
「かな」は、詠嘆の終助詞。

「新古今集」の詞書には、
偶然に出会った幼友達なのに、月が西山に沈まない内に、
月と競い合うように慌ただしく帰ってしまったのを、
辛く思って詠んだと記されている。
幼友達とは、女性であり、懐かしさいっぱいだったが、
あまりにも突然のことで直ぐには思い出せず、
あとに一人残され、心残りであることを比喩的に表現している。


紫式部(むらさきしきぶ)



「源氏物語」の作者。
藤原為時(ふじわらのためとき)の娘。
22歳の頃、藤原宣孝(ふじわらののぶたか)と結婚し、
賢子(かたこ)を生んだが、結婚後直ぐ夫と死別。
「式部」の呼び名は、
夫為時の官名が「式部丞」だったことからきており、
初めは、「藤式部」と呼ばれていた。
後に、源氏物型の主人公「紫の上」に因んで
「紫式部」と呼ばれるようになった。
中宮彰子(しょうし)に仕え、
その宮仕えの体験を、「紫式部日記」に書いている。
家集に「紫式部集」も有る。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


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