たけじいの気まぐれブログ

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あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな

2023年12月19日 05時58分07秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その43

あはれとも いふべき人は 思ほえで
身のいたづらに なりぬべきかな


出典
拾遺集(巻十伍)

歌番号
45

作者
謙徳公

歌意
冷たくなったあなたへの恋の悲しさで沈んでいる私を
ああ、可愛そうだ、あわれだと言ってくれる人は、
あなたの他に誰も思い浮かばないので、
私は、きっと、このまま、むなしく死んでしまうだろうなあ。

注釈
「あはれともいふべき」の「あはれ」は、
「ああ、かわいそうに」と訳す感動詞。
「べき」は、「はずの」と訳す当然の助動詞、
または、「そうな」と訳す推量の助動詞。
「思ほえで」の「思ほえ」は、「思ほゆ」の未然形。
自然に思いつくという自発の意味を持つ。
「身のいたづらに」の「身」は、作者自身のことで、
「いたづらに」は、「むなしく」「無駄に」と訳す。
「なりぬべきかな」の「なりぬべき」は、
「きっと、◯◯してしまうだろう」の意。
「かな」は、詠嘆。
「身のいたづらに なりぬべきかな」は、
恋に悩んで死ぬことを意味する時に使われる表現。

「拾遺集」には、
「恋の相手が冷たくなって逢ってくれないので」という
詞書(ことばがき)がついている。
男性の歌としては弱々しく、女々しく感じられる歌だが、
平安時代の男性としては、
恋する人をあくまでも恋い慕うことが真実であり、
このような心情は当然のものであったらしい。
死を思うほど、せつなくやるせない恋の嘆きを表現した作品である。


謙徳公(けんとくこう)

藤原伊尹(ふじわらのこれただ)の諡号(おくりな)
(「諡号」とは、死後、その徳を讃えて送られる呼び名のこと)
摂政太政大臣にまでなり、「一条摂政」とも呼ばれた。
和歌所の別当となり、「梨壷の五人」の主宰者としても知られている。
家集に「一条摂政御集」が有る。
右大臣藤原師輔(ふじわらのもろすけ)の子。
貞信公藤原忠平(ふじわらのただひら)の孫。
藤原義孝(ふじわらのよしたか)の父。
妹の安子(あんし)は、第63代天皇冷泉天皇の母。
娘の懐子(かいし)は、第65代天皇花山天皇の母。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


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2 コメント

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Unknown (1948219suisen)
2023-12-19 13:19:57
昔の人も、恋心は今の人と全くかわらなかったということのよくわかる歌ですね。こういう歌は、年取ってからのほうがより味わい深く思えるものだと思います。なんて偉そうに失礼いたしました。m(__)m
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紅葉さん、こんばんは、 (takezii)
2023-12-19 16:56:54
子供の頃、正月になると、家族で百人一首カルタ取りをしていたものですから、懐かしがっているんです。もちろん、歌意も作者も分からずの、ただの遊びでしたので、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか」と、いちいち、目から鱗・・・になってところなんです。
コメントいただき有難うございます。
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