「中学生日記より」その3 「アイスボンボン10円」
昭和30年8月9日(火)、晴、
起床 5時30分、就床 9時5分、
「大掃除(家の中の)」
今もそうかも知れないが 当時 北陸の山村では お盆は 正月と同様、特別なものだった。
お盆中を、のんびり過すため 農作業に区切りをつけたり 家屋敷の隅から隅まで 草取り掃除をし 家の中も大掃除をして 迎える習慣が有った。
夏休み中の子供達も手伝うのが当たり前の時代、M男も その日は 朝早い時間から 座敷の床の間や仏壇周り、茶の間等を中心に 箒と雑巾で 大掃除をしたんだと思う。
昭和30年8月10日(水)、晴のち曇、
起床 5時30分、
1、「(隣り町の海岸に) 水泳に行ったが 波が高くて (余り泳げなかったが)、1時間くらい泳いできた。(のぶゆき君に会った)」
2、「買った物、水中めがね 25円、アイスボンボン 10円、原稿用紙 20円」
3、「今日 始めて(初めて) 赤ふんどしをして泳いでみた」
「帰宅 15時半」
多分 近所の従兄弟で同級生のTとつるんで 汽車で 隣り町まで出掛けたんだと思う。名目は 「原稿用紙を買ってくる」・・・だったのではないかと思われる。夏休みの宿題で 読書感想文とか何かを書いて提出しなければいけないようなこと 有ったような気がする。
親から いくらかのお金をもらい お盆の前でもあり ウキウキしていたのかも知れない。
当時 学校にも 周辺地域にも プール等という物は全く無く 子供達が 「泳ぐ」と言っても 近くの川で 「水浴びする」か 隣り町の日本海の海岸で 「浮かんで遊ぶ」位しか無かった。その日は Tと申し合わせ ふんどしを持参、日本海に入ったようだ。
波打ち際から 2~3mで ガクッと深くなる海岸、潮の流れも速く 危険な海で 帰宅後 バレて 二人だけで海に行ったことを怒られたような気もする。何しろ田舎、海水パンツ等という物も 普及しておらず 中学生は 6尺ふんどしだったが その頃 何故か 赤ふんどしが 流行っていて M男も買ってもらっていて 初めて締めてみたようだ。
町の文房具店で 原稿用紙を 買い(20円)、ついでに アイスボンボンを買ったと書いてある(10円)。
ネットから拝借、
井の中の蛙、山村の子供のたわいない話である。
昭和30年8月11日(木)、曇、
起床 5時半、
1、「正君の家へ しょうじ君がきた」
2、「磯野さんから すいかをもらった。夜 食いきれなかった」
起床時間を見ると だいたい5時台になっている。当時の子供は 早寝早起きだったことが 分る。
近所の従兄弟で同級生のTの家に やはり従兄弟のSがきたとある。多分 本家であるTの家の墓参りのため 家族でやってきたに違いない。車社会以前の時代、汽車やバスで やって来る時代だった。
近所の大農家磯野さんから すいかをもらったとある。
当時、M男が暮していた村落集落には 八百屋等は全く無く、野菜類は 各家々、自給自足、
すいかやかぼちゃ等も 買って食べるものではないと思っていた位だった。
お盆ということで すいかのお裾分けに あづかったようだ。
昭和30年8月12日(金)、晴、
起床 5時30分、
1、「うどんをひいた。(昼前)」、
2.「農協の演芸を見に行った(学校)」、
うどんも 各家々で 作って 食べていた時代だった。多分 手伝わされたのだろう。
当時の山村の暮らしには 娯楽は極めて少なく、時々 学校の体育館で催される 映写会や旅回り演劇団の公演を観に行ったりする位だったが その日 お盆で農事を休んでいる村民が ぞろぞろと 農協主催のなにかの演芸会を観に 学校に参集したようだ。、
M男も 父母か祖母かと連れ立って 行ったようだ。体育館では 御座を敷いて わいわいがやがや。
そんな情景が 思い浮かんでしまう。
私はtakezii様よりずっと弟分ですが、思い出を共有する部分もあります。
一度、母に連れられて山村の知り合いの家に行った時、学校のプールで遊びました。
その時に黒褌(局所だけ覆う)をさせられて、恥ずかしく感じました。
当時、公民館での8ミリ映写会や、校庭での野外映画鑑賞会などもありました。
褌・・・、都市部育ちの子供には 恥ずかしかったでしょうね。井の中の蛙、世間を知らない山村の子供には、それが当たり前だと思っていて 恥ずかしさ等 無かったように思います。
結局 プールという物には入る機会が無くて 50歳になって 市の水泳教室に参加し、生まれて初めて入り ドキドキ 感動したものです。初歩の初歩、バタアシ、ケノビからスタート、泳ぎを習って 今に至っているという具合なんです。。
映写会等を楽しみにしていた時代、
隔世の感有りですね。
コメントいただき有難うございます。
その土手を 自転車に乗った アイス売りおじさんが『チリーン チリーン』と鳴らして・・・確か 1本10円だったような
九州様が仰られる「黒褌」 当地では「ねこふん」と言っており 男子はそれが当たり前でした。当時中学生だった兄が 履いて泳いでいる写真が残っています。
隣り町の海辺は、砂浜もほとんど無し、玉砂利の波打ち際から直ぐ ストーンと背が立たなくなる浜で とても海水浴場等といえる場所ではなかったのですが 学校では夏、「臨海教育」等と言って よくもそんな危険な海に連れていったものだと 今では思ってしまいます。波と戯れるだけなんですが。
アイス10円、褌・・イロイロ思い出させてしまいましたね。
コメントいただき有難うございます。