たけじいの気まぐれブログ

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「中学生日記より」その6(再)

2021年01月23日 09時06分45秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。
「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記のことだが まさか 数十年後になって ブログで第三者の目に晒されるとは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その6「焼山登山」


昭和31年7月28日(土)、天気 晴、

1限目 理科 昆虫採集
2限目 音楽 アロハオエ、山登りの歌
3限目 第4回生徒会 (1)1学期の反省(クラブ活動・各部)、(2)夏休みの件

焼山登山
1、午後2時半 学校集合、午後3時 学校前よりバスで出発、

中学生時代、全校生徒で(と言っても 1学年1クラスの小さな中学校、欠席者もいたはずなので 50~60人程度だったと思われるが)、学校登山をしたこと自体は覚えていたが、当時は カメラを持っていなかった時代、写真等1枚も無くて、日記を見つける前は その記憶はすっかり喪失していた。拙いメモのような日記から なんとなく 当時の記憶の欠片が炙り出されてくる。
夏休み直前の7月28日、29日に 「焼山登山」をしたことが書かれている。


昭和31年7月28日(土)

湯川内(ゆのこうち)までバスで
午後4時40分頃、湯川内分教場へ入る
午後8時半頃まで寝て(仮眠して)
午後8時半に 広場に集合、出発

登山口に近い学校の校舎に入り、仮眠したような記憶は有ったが 分教場?、地元出身の教頭が話を付けて、借用させてもらったのかも知れない。 
子供のこと、眠れと言われても 昼間 眠れる分けは無し、不眠のまま、午後8時半には 登山開始したようだ。
北陸の山村の子供達、当時、登山靴等持っている家等無かったはずで 何を履いて行ったのだろうか。長靴?、地下足袋?、ズック?。速乾性のポリエステル製の衣類等知る由もない時代、せいぜい木綿の長袖シャツ?、毛糸のセーター?等 着たのかなあ。ヘッドライト等見たことも無かった時代、昔の大型で重い懐中電気?、持っていたのだろうか。登山用の雨具、ザック等普及していなかった時代、農作業用の雨合羽?、持参したのだろうか。どんないでたちで 学校登山したのだろうかと想像するとおかしくもなる。


昭和31年7月29日(日)

12時10分(午前0時10分)、池ノ平付近を歩き続けていた

随分 時間を掛けて登っている。登山等生まれて初めてする子供達、参加した5~6名の教師達も登山不慣れ、多分 地元の案内人もいたはずだが 危険な夜行登山、落伍者が出ないように頻繁に休憩しながら 慎重に、ゆっくりと 登ったのだろう。


昭和31年7月29日(日)

午前5時半、頂上到着
ご来光にちょっと遅れた。
天気が良かったので 白馬、駒が岳、妙高、火打等 方方が良く見えた。

ひ弱だったM男、おそらく 遅れ、遅れで、ヨレヨレになって 登頂したのではないかと思うが とにかく写真が1枚も無く、その様子や展望風景等 思い出そうとしても思い出せない。
ただ 登山途中だったか、山頂でだったか、記憶曖昧だが、「職業家庭」担当のずんぐりむっくり、髭面のI先生が 突然、「みんな こんな歌知ってるか」等と調子っぱずれ、超スローなテンポで歌を披露。当時、井の中の蛙だったM男達のこと、初めて聞く歌だったが、随分後年になって ダークダックス等の歌で それが「雪山讃歌」で有ることが分かり 超音痴なI先生の印象が忘れられないものになっている。今でも 「雪山讃歌」を聴く度に I先生の顔が思い浮かんでくるから困ったものだ。

2017年2月5日の記事 I先生と「雪山讃歌」  こちら


昭和31年7月28日(日)

頂上にて約1時間半~2時間休み、
午前7時頃 頂上出発(下山)

午前12時頃 笹倉温泉に到着
午後3時頃まで休む。風呂に1回入った。

3時に バスで出発し 学校へ。

とにかく 写真が1枚も無く 思い出そうと思っても無理。
覚えているのは 「焼山登山をした」・・だけで、

「へー!、そうだったかな?」である。


昭和31年7月30日(月) 天気 晴、起床 6時、

1限目 保体(保健体育)
2限目 国語
3限目 社会
(1限目、2限目、3限目 授業をせず)登山のよもやま話、焼山の歴史

1,ここが痛いだけだった。(足の部分)
2、明日、登山経費 150円を持ってくること。
  (明日)第1学期 終業式、掃除、
3、登山で使った金、ガム 20円、キャラメル 20円、

学校登山の翌日、多分、参加した生徒も教師も 登山の興奮や疲労が有り 授業は取り止めにし、その余韻を楽しんで雑談で終始したようだ。なんとも のんびりした時代だった。
ひ弱だったM男のこと、「ここが痛いだけだった」等と強がりを書いているが 腿、脹脛、足の脛、足指・・・、相当参っていたんだろうなと思う。登山経費150円?って なんだろう。キャラメル1箱 20円だったようだ。そんな時代だったか。


焼山(やけやま)
新潟県糸魚川市と妙高市にある頸城山塊(くびきさんかい)の標高2,400mの活火山。妙高山、火打山と共に「頸城三山(くびきさんざん)」と呼ばれ、日本山岳会による「日本三百名山」の一つにも選定されている。
約3000年前に活動が始まった比較的若い火山で、火山活動が活発、爆発、噴火が観測される度、再三 入山規制、入山禁止、規制解除、禁止解除を繰り返している山で、現在も尚 気象庁が24時間体制で観測を行っている常時観測火山の一つになっている。


 


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4 コメント

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Unknown (ミミ3103)
2021-01-23 22:42:41
こんばんは☔

M男少年の時代も中学時代は地元の山岳登山があったのですね
夜間登山とは中学生にとっては過酷だったのでは?
以前私も書いた記憶がありますけど私も中学2年の秋に地元立山登山がありました。
台風の去った後だったようで雨の中の登山でした。私の場合は集合写真もしっかり残っており、山に強い憧れを抱き始めた頃でもあり記憶はハッキリ残っています
今も地元中学生の課外授業の一環として続けて行われているのかな?と思っています。

焼山は長野の焼岳と同じ活火山・・・
いつ噴火しても不思議ではないとか・・・
そうなる前に訪れてみたい山です・・・
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中学校1年生 (tango)
2021-01-24 08:57:03
私はマンモス学校で一クラス45人
18クラスありました
試験は100番目まで成績がローカに葉ってありましたよ・・・
とても勉強・スポーツ(テニス)
両党で頑張りました
懐かしい思い出がめくります
田舎生活が(?)想像できませんよ?
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ミミ3103さん、おはようございます、 (takezii)
2021-01-24 08:59:07
当地 「大雪?注意報」が出ていましたが、昨日夕方、一時的に霙が降ったものの、今の所、平地に雪景色は無し・・です(不謹慎ながら、ちょっと期待していたんですが)。
今考えると よくもまあ、知識も経験も無い子供を 危険な夜行登山に連れていったものだと思いますね。生徒も、教師も、親も 平気だった時代、その1回だけでしたが 貴重な思い出になっています。それで 山が好き・・なった等はなく むしろ コリゴリだったのではないかと思いますが、後年になり 山歩きが趣味になった原点だったのかも知れません。
コメントいただき有難うございます。
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tangoさん、おはようございます、 (takezii)
2021-01-24 09:15:39
当時でも 都会の子供達は 激しい競争が有ったのでしょうね。私の育った山村は 1学年1クラス、しかも小学校中学校併設、つまり 9年間、ほとんど不動の同級生だったんです。まるで競争意識等なく、とにかくのーんびり。勉強より遊びが主。高校進学してからが「さあ、大変」でした。子供が育っていく過程、千差万別ですが これからの子供達、それぞれ、いい人生を歩んでもらいたいものですね。
コメントいただき有難うございます。
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