29歳の築地生まれの僧侶。
今日がはじめての法話らしい。
最初、僧侶の名前の解説。
う~ん、あまり感心がないので聞き流した。
・・・・
住んでいる場所は、築地本願寺のすぐそば。
今回のお取次ぎ(法話)をするにあたり、
法話をする人は、本願寺内の宿泊施設に
泊まれるということで、あえて、その場所に
泊まることにした。
そしたら、ゆうれいを見た。
(聞くとそのものを見たという訳ではなく
赤ちゃんの声がしたり、ねこの声がしたという
のだが、ねこって赤ちゃんのような鳴き声を
することもあり、間違えなのではと思った。)
知人に聞くと、どうも、その部屋は出るらしい。
気になり、夜も眠れず、結局、自宅のほうに
帰って寝た。
明日、親鸞上人の誕生日ということで
それに関連したことで・・・。
親鸞上人は9才で、天台宗のもとで得度。
その後20年間比叡山で修行。
自分でさとりをめざした。
しかし、かなわず。
その後、何かの縁で法然上人と出会う。
京都の八坂神社近辺の場所だった。
少し余談・・・
父の僧侶が、どうやらこの堂内でいた様子。
その父と龍谷大学時代に、
京都の八坂神社の前の通りにあるバーで
飲んだこともある。
バーのお店の名前は、釈尊。
父と親戚のお店。
そのお店の娘さんが、福井まいという歌手。
(自分の記憶では生で見たことがある)
親鸞上人は、幼いとき、法然上人と近くに
住んでいたことがあり、見たことが
あったかもしれないが、その後何十年か立ち、
出会った。
大学の頃、ストリートダンス、ヒップホップ、
ブレイクダンスをしていた。
(ちょっと、ブレイクダンスのいっぺんをみせて
もらった。)
父は開教師。ロサンゼルスでも教えていた。
その縁もあって、一年間アメリカ留学
してみようと考えた。
英語は事前に勉強したつもりだが、
現地のしゃべっている英語はスピードが
早く、難しかった。
友人を作るのも難しかった。
日本に帰ろうかと思った。
そんな中、日系の柴田さんという女性が
気にかけてくれた。その女性も僧侶、
一回り年齢が上。
カリフォルニアには、真宗のお寺が60箇所くらい。
もともとは、、山口県などの地域から移民したのが
ベースになっている。
柴田さんが、よく気にかけてくれるので
自分のことが好きなんですか?と聞いたことが
あった。
→好きではありません。でも、あなたを見ていて
ほおっておけないのですよ。
柴田さんは、英語しかしゃべれず、日系社会の中で
は、少し孤立した悩みがあったかもしれない。
それと同じような思いを、孤立した自分に
写したのかもしれない。
無量寿(むりょうじゅ)、無量光(むりょうこう)
~いつでもどこでもどなたにも
大悲心(だいひしん)~
~あなたの苦しみは、私の苦しみ。阿弥陀様の心。
(阿弥陀様の心のいっぺんが柴田さんの心に
見られた)
時間がなくなり、用意されていたレジメは
途中で終了。
なかなか、話すことも準備してまとまっているし、
なかなかいい法話だった。
今日がはじめての法話らしい。
最初、僧侶の名前の解説。
う~ん、あまり感心がないので聞き流した。
・・・・
住んでいる場所は、築地本願寺のすぐそば。
今回のお取次ぎ(法話)をするにあたり、
法話をする人は、本願寺内の宿泊施設に
泊まれるということで、あえて、その場所に
泊まることにした。
そしたら、ゆうれいを見た。
(聞くとそのものを見たという訳ではなく
赤ちゃんの声がしたり、ねこの声がしたという
のだが、ねこって赤ちゃんのような鳴き声を
することもあり、間違えなのではと思った。)
知人に聞くと、どうも、その部屋は出るらしい。
気になり、夜も眠れず、結局、自宅のほうに
帰って寝た。
明日、親鸞上人の誕生日ということで
それに関連したことで・・・。
親鸞上人は9才で、天台宗のもとで得度。
その後20年間比叡山で修行。
自分でさとりをめざした。
しかし、かなわず。
その後、何かの縁で法然上人と出会う。
京都の八坂神社近辺の場所だった。
少し余談・・・
父の僧侶が、どうやらこの堂内でいた様子。
その父と龍谷大学時代に、
京都の八坂神社の前の通りにあるバーで
飲んだこともある。
バーのお店の名前は、釈尊。
父と親戚のお店。
そのお店の娘さんが、福井まいという歌手。
(自分の記憶では生で見たことがある)
親鸞上人は、幼いとき、法然上人と近くに
住んでいたことがあり、見たことが
あったかもしれないが、その後何十年か立ち、
出会った。
大学の頃、ストリートダンス、ヒップホップ、
ブレイクダンスをしていた。
(ちょっと、ブレイクダンスのいっぺんをみせて
もらった。)
父は開教師。ロサンゼルスでも教えていた。
その縁もあって、一年間アメリカ留学
してみようと考えた。
英語は事前に勉強したつもりだが、
現地のしゃべっている英語はスピードが
早く、難しかった。
友人を作るのも難しかった。
日本に帰ろうかと思った。
そんな中、日系の柴田さんという女性が
気にかけてくれた。その女性も僧侶、
一回り年齢が上。
カリフォルニアには、真宗のお寺が60箇所くらい。
もともとは、、山口県などの地域から移民したのが
ベースになっている。
柴田さんが、よく気にかけてくれるので
自分のことが好きなんですか?と聞いたことが
あった。
→好きではありません。でも、あなたを見ていて
ほおっておけないのですよ。
柴田さんは、英語しかしゃべれず、日系社会の中で
は、少し孤立した悩みがあったかもしれない。
それと同じような思いを、孤立した自分に
写したのかもしれない。
無量寿(むりょうじゅ)、無量光(むりょうこう)
~いつでもどこでもどなたにも
大悲心(だいひしん)~
~あなたの苦しみは、私の苦しみ。阿弥陀様の心。
(阿弥陀様の心のいっぺんが柴田さんの心に
見られた)
時間がなくなり、用意されていたレジメは
途中で終了。
なかなか、話すことも準備してまとまっているし、
なかなかいい法話だった。