川村という女性の僧侶が、本日の講師。
45歳くらいだろうか。
元アナウンサーということだが、
見た記憶はない方だった。
川村みょうけいというお名前。
今は京都のお寺の僧侶。
はじめに、話をするにあたって
答えをもって聞かないでください。
インターネットで日替わり法話というのを
やっている。
悩んでいる人からのメールもたくさん来る。
その多く人が、
自分で答えを持ってしまって、悩んでいる。
(確かにそのとおりだろうと思う)
私自身のことを何といいますか?
自分と書きます。みずから分ける。
(みずから判断、決め付ける。につながる。)
善、勝、健、苦 が○でいいこと。
悪、負、病、老 が×で悪いこと。
と、常に○がいいこととは限らない。
仏教は、これについて教えてくれる。
・・・
日に照らされて、心地よい感じ。
でも、影の部分もあって、物事が
成り立っている。おかげ様は、
そういうところから生まれた言葉。
親鸞は、煩悩は捨てられないと言った。
それに関連して、慢について。
相手より上だと思うと、傲慢になり、
相手より下だと、卑下慢になる。
自分の慢を下げていくと、自虐的、うつ
などの問題を引き起こす。
・・・
(ここまでの話の内容だと、通常の法話レベルの
話・・・というか解説的な話。
一人の自分の前のほうに座っていた
おばあさん。興味がなくなったのか、
開始25分ほどで退席。)
道元:仏道をする中で自我から離れるべき。
親鸞:自我から離れることができない。
・・・
(興味が持てなかった「教え」的な
話は、筆記する気力がなかった。
今日は、午前中少し運動して疲れていた
というのもある。ここまでは
いつもの文化講座らしくない話が
多かった。)
悩みメール。
母と同居の娘さんから。
新興宗教に入信。信仰すれば神になれる。
その後、母がぼけてきた。介護が必要。
兄夫婦は、近くに住んでいる。兄と相談した。
兄は拒否。娘がめんどうを見ることに。
めんどうを見ていったが、神になれると
信仰していたが、・・・手に負えなくなった。
・・・
(神になれるのだったら自我はなくなる。
結局、自我はなくならない。)
京都のお寺に10年前に嫁いだ。
前住職(義父)は、わがまま。
ぶつかり合って、出て行ってくれと
言われたこともある。
かつて、この前住職から悩みメール。
うちの息子(僧侶)、結婚していないという
内容。それが縁で、この京都のお寺に
嫁いだのに、なぜ出て行ってくれと言われ
なければならないの。
・・・
「十分」ということが言えない世の中
・・・・。
(このあたりはブータンの国民を
見習うとよい。十分足りている
という思いが強い。
)
・・・
(残り45分くらいに差し掛かって、
身の上話的な話。
より興味が持てそうな話になってきた。)
九州生まれ。
バナナを輸入している地区に生まれた。
バナナのたたきうりという言葉。
商品にならない売れ残りのバナナを
売るために、路上での販売方法から
生まれた言葉。
バナナのたたき売りの学校もあった。
そんな地区にお寺の娘として生まれた。
高校2年生のとき、激変することが起きた。
住職でもある父が他界。
お寺の跡継ぎの問題が出てきた。
兄まだ10代。
回りの同級生は夢も希望もあるが、
夢がない。自分は僧侶になりたくない。
引きこもりに。
そうこうしているうち、ご門徒が
ゼロになってしまった。
しぶしぶ母に頼まれた。
僧侶になってくれ。
大学進学を、そのつもりもなく準備していた。
茶道、花道などを学ぶ池坊(いけのぼう)
短期大学を選んだ。(僧侶の大学ではない)
大学で勉強を続けようと思ったが、
先生から、
川村、おまえいつもニコニコしているけど、
過去にそんなに嫌なことでもあったのか?
川村、しゃばに出てぼろぼろに
なってこい。…いやな印象の
先生になってしまった。
大学卒業後、アナウンサーに。
最初は子供のキャラクターショーのMCや、
プロレスラーへのインタビュー。
しゃばに出て、親鸞の教えを体得して
こいというのが 、
先生の意図だったのかもしれない。
そのうち、アナウンサーも止め、
九州の実家のお寺に戻った。
兄はまだ引きこもり。
お寺は相変わらず暇だった。
近くに3000軒も門徒を
持っている住職が、忙しい合間をぬって
自分のお寺にお茶しに寄っていた。
街の喫茶店だと面がわれているし、
休憩しずらい。その点、
このお寺は人がこないし・・・。
忙しい僧侶から、忙しい自分と
トレードするとしたらどうしたい?
とも言われた。
比較するから苦しい。
あなたは、あなたになればいい。
と言われた。
ひきこもりの兄と話をしに、
兄の部屋に入った。
ゲームざんまいと思いきや、
A4サイズの紙がたくさん、重なっていた。
小説を書いていた。
「その後のウサギとカメ」…
以前、松竹芸能に所属していたことがあった。
その関係もあり、あるプロデューサーから、
ドキュメンタリーを撮りたいのだが
困った家はないか?と聞かれた。
…なら、自分のお寺。
テレビが入った。
門徒がゼロになったというのも流れた。
テレビ番組の放映が終わったら、
白髪混じりの人たちが、お寺の
入り口に並んでいた。
かつての門徒の人たちだった。
門徒の数がゼロになったんだって?
申し訳ない。また、戻ってきていいかな。
今、兄はお坊さんの学校へ行き、
お寺を継いでいる。
…
自分の思い通りに、なることが
幸せではないですよ。
…
後記:
前半は、教えについての話とか
仏教につながる言葉の解説が
多く、普通の法話だよねと
思ったが、後半は面白くなった。
ところどころ、
生きるヒントになる部分も
かいまみれて、
まあ、意義のある講座だった。
45歳くらいだろうか。
元アナウンサーということだが、
見た記憶はない方だった。
川村みょうけいというお名前。
今は京都のお寺の僧侶。
はじめに、話をするにあたって
答えをもって聞かないでください。
インターネットで日替わり法話というのを
やっている。
悩んでいる人からのメールもたくさん来る。
その多く人が、
自分で答えを持ってしまって、悩んでいる。
(確かにそのとおりだろうと思う)
私自身のことを何といいますか?
自分と書きます。みずから分ける。
(みずから判断、決め付ける。につながる。)
善、勝、健、苦 が○でいいこと。
悪、負、病、老 が×で悪いこと。
と、常に○がいいこととは限らない。
仏教は、これについて教えてくれる。
・・・
日に照らされて、心地よい感じ。
でも、影の部分もあって、物事が
成り立っている。おかげ様は、
そういうところから生まれた言葉。
親鸞は、煩悩は捨てられないと言った。
それに関連して、慢について。
相手より上だと思うと、傲慢になり、
相手より下だと、卑下慢になる。
自分の慢を下げていくと、自虐的、うつ
などの問題を引き起こす。
・・・
(ここまでの話の内容だと、通常の法話レベルの
話・・・というか解説的な話。
一人の自分の前のほうに座っていた
おばあさん。興味がなくなったのか、
開始25分ほどで退席。)
道元:仏道をする中で自我から離れるべき。
親鸞:自我から離れることができない。
・・・
(興味が持てなかった「教え」的な
話は、筆記する気力がなかった。
今日は、午前中少し運動して疲れていた
というのもある。ここまでは
いつもの文化講座らしくない話が
多かった。)
悩みメール。
母と同居の娘さんから。
新興宗教に入信。信仰すれば神になれる。
その後、母がぼけてきた。介護が必要。
兄夫婦は、近くに住んでいる。兄と相談した。
兄は拒否。娘がめんどうを見ることに。
めんどうを見ていったが、神になれると
信仰していたが、・・・手に負えなくなった。
・・・
(神になれるのだったら自我はなくなる。
結局、自我はなくならない。)
京都のお寺に10年前に嫁いだ。
前住職(義父)は、わがまま。
ぶつかり合って、出て行ってくれと
言われたこともある。
かつて、この前住職から悩みメール。
うちの息子(僧侶)、結婚していないという
内容。それが縁で、この京都のお寺に
嫁いだのに、なぜ出て行ってくれと言われ
なければならないの。
・・・
「十分」ということが言えない世の中
・・・・。
(このあたりはブータンの国民を
見習うとよい。十分足りている
という思いが強い。
)
・・・
(残り45分くらいに差し掛かって、
身の上話的な話。
より興味が持てそうな話になってきた。)
九州生まれ。
バナナを輸入している地区に生まれた。
バナナのたたきうりという言葉。
商品にならない売れ残りのバナナを
売るために、路上での販売方法から
生まれた言葉。
バナナのたたき売りの学校もあった。
そんな地区にお寺の娘として生まれた。
高校2年生のとき、激変することが起きた。
住職でもある父が他界。
お寺の跡継ぎの問題が出てきた。
兄まだ10代。
回りの同級生は夢も希望もあるが、
夢がない。自分は僧侶になりたくない。
引きこもりに。
そうこうしているうち、ご門徒が
ゼロになってしまった。
しぶしぶ母に頼まれた。
僧侶になってくれ。
大学進学を、そのつもりもなく準備していた。
茶道、花道などを学ぶ池坊(いけのぼう)
短期大学を選んだ。(僧侶の大学ではない)
大学で勉強を続けようと思ったが、
先生から、
川村、おまえいつもニコニコしているけど、
過去にそんなに嫌なことでもあったのか?
川村、しゃばに出てぼろぼろに
なってこい。…いやな印象の
先生になってしまった。
大学卒業後、アナウンサーに。
最初は子供のキャラクターショーのMCや、
プロレスラーへのインタビュー。
しゃばに出て、親鸞の教えを体得して
こいというのが 、
先生の意図だったのかもしれない。
そのうち、アナウンサーも止め、
九州の実家のお寺に戻った。
兄はまだ引きこもり。
お寺は相変わらず暇だった。
近くに3000軒も門徒を
持っている住職が、忙しい合間をぬって
自分のお寺にお茶しに寄っていた。
街の喫茶店だと面がわれているし、
休憩しずらい。その点、
このお寺は人がこないし・・・。
忙しい僧侶から、忙しい自分と
トレードするとしたらどうしたい?
とも言われた。
比較するから苦しい。
あなたは、あなたになればいい。
と言われた。
ひきこもりの兄と話をしに、
兄の部屋に入った。
ゲームざんまいと思いきや、
A4サイズの紙がたくさん、重なっていた。
小説を書いていた。
「その後のウサギとカメ」…
以前、松竹芸能に所属していたことがあった。
その関係もあり、あるプロデューサーから、
ドキュメンタリーを撮りたいのだが
困った家はないか?と聞かれた。
…なら、自分のお寺。
テレビが入った。
門徒がゼロになったというのも流れた。
テレビ番組の放映が終わったら、
白髪混じりの人たちが、お寺の
入り口に並んでいた。
かつての門徒の人たちだった。
門徒の数がゼロになったんだって?
申し訳ない。また、戻ってきていいかな。
今、兄はお坊さんの学校へ行き、
お寺を継いでいる。
…
自分の思い通りに、なることが
幸せではないですよ。
…
後記:
前半は、教えについての話とか
仏教につながる言葉の解説が
多く、普通の法話だよねと
思ったが、後半は面白くなった。
ところどころ、
生きるヒントになる部分も
かいまみれて、
まあ、意義のある講座だった。