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京都旅行記~その6

2009年05月26日 03時00分00秒 | 旅行記
醍醐寺のあとは・・・
私が今回の京都旅行記の眼目の一つに据えていた場所へ。

それは・・・
養源院。




養源院には伏見城の血天井があります。

以下、簡単に解説すると・・・
1600年。
戦乱を起こさないと・・・あくまで豊臣家の大老職でしかなく天下を取れない家康はしきりに大大名たちを挑発。

家康の思惑通りに、その挑発にいとも簡単に乗ったのが石田光成と上杉景勝。
上杉討伐(会津征討)に向かった家康不在の伏見城を石田光成が襲い落城するのは明らか・・・その死を約束済みの守将には家康幼少期・今川家の人質時代を共に過ごした鳥居元忠が。

家康としては、伏見城が大軍で囲まれたからと言って白旗を上げる人間では石田光成に徳川軍の武威を見せられない。
で。
絶対に降伏することなく、最後まで頑強に抵抗するであろう鳥居元忠を死城の城将に命じる。
・・・城兵1800とともに戦い抜き、最後に廊下で切腹した鳥居元忠(鈴木重朝との一騎打ちの末に討ち取られたともいうらしい)と家臣300余名の流れ出した血と脂が染み付いてしまいその廊下の床板はどんなに洗っても血が落ちなかったらしい・・・
切腹したのは・・・折しも関ヶ原の戦い前。
家康が京に凱旋し、死体を収容するまでに相当な日数がかかり、元忠たちの死体は放置されていたため血が染み付いてしまった・・・ようです。

その伏見城の血がついた廊下は、伏見城の天井に張り替えられたらしいのですが、伏見城を廃城にする際に、血天井を京の各地のお寺に移し供養した・・・一つが養源院の血天井です。
その養源院の血天井は・・・城将鳥居元忠と側近たちの切腹した血が染み付いているものです。


当然ですが、血天井は撮影が禁止されているので・・・写真はありません。
鳥居元忠や側近たちの血の痕はお寺の方が解説してくださいました。

ハッキリと人の形になっていたのが印象的でした・・・合掌。