スキップと出会ってから7年半。あっという間でした
。
初めて会ったのは、競走馬の牧場に行ったときのこと。
仕事用に馬との写真をとりたかったのです。
無関心な馬、荒々しい馬がいる中で、スキップは私に興味津々でした。
首を伸ばして、なんとかひっつこうとしたり、
私が行くところ行くところ付いてきたり。
手を出すと、ぺろぺろ舐めて。ワンコみたいで本当に可愛かった
。
使用したのはこちら。協力してくれて感謝しました。
↓
スキップは私が初めて触れ合った馬です。
その感触が忘れられず、すぐに近所で乗馬を習い始めました。
それから1年後、スキップはどうしているかな?と牧場に電話をすると、
「引退して明日、他の2頭と福島へ行く」と言われました。
乗馬になれればいいけれど、と。
じゃあ、なれなければ・・・。
「ちょっと待ってください
」
この私の一言が、スキップの生涯を変えてしまいました。
期日をもらい、あちこちの乗馬クラブや牧場を当たって引き取り先を探しました。
でも、なかなか見つからなかった。
そりゃそうですよね。見てもいない馬を引き取ってなんてくれませんよね
。
仕方なく、期日にお別れをしに行きました
。
ところが、そこで奇跡がおこったんです
。
「待たせておいて引き取れないってどういうことだ!」と
初め怒っていた馬主さんの息子が、そんなに好きならば、と、
私が会える範囲の乗馬クラブに連れて行くと約束してくれたのです。
終いには「あなたは忘れかけていた馬への愛情を思い出させてくれた」と感謝までされました。
そして、去勢してもらい、あるクラブへ行き、馬場馬としてデビューしました。
私はそのクラブの会員じゃないので、遠慮をしながら、月に1~2回、
会いに行って、大会に出るときは、応援しに行きました。
彼の伸長速歩は、審査員をうならすと評判でした
。
2年経ったころ、びっこを引いたり、落馬者が出たり、と
クラブで使えなくなってしまいました。
そして、私が会いにいったとき、すでに放出されていたのです。
もらい先は山梨の乗馬関係の人としか教えてもらえず・・・。
あの時も毎日毎日泣いていました
。あの悲しみは今でも忘れられません。
そして探しに行こう!と思った矢先、また奇跡がおこりました
。
このブログにコメントが入ったのです。
「うちのクラブに最近来た馬が、モテコさんのスキップにそっくりです」と。
翌日、急いでそのクラブへ行くと、いました。
馬房の隅っこに、不安げに立っているスキップが。
私が呼ぶと近づいてきて、顔を出してきました。
私はもう二度と離れたくないと思い、早速、このクラブの会員になりました。
といっても、自分のクラブの提携先だったので、入会金も不要。助かりましたね。
前と違って堂々と会えるから、週に1~2回は通いました。
スキップに追っかけがいる!とあっという間に有名になりましたが、
その分、みなさんが色々、スキップの様子を教えてくれて。
私はスキップに乗ることはできなかったけど(上級者用で
)、
手入れをさせてもらえました。それだけでも十分幸せな時間
。
とにかく会って、触れ合えることがどんなに嬉しかったか。
当時の私はスキップに乗ることに、あまり興味がなかったんです。
台風の日はスキップの馬房に雨よけをつけにいったり、
馬着を買ってあげたり、蹄の薬を塗ったり、
ちょっとでも様子が変ならすぐに先生に来てもらったり、
できることは何でもしました。
他の人もそうだったらしいけれど、
なんか、手をかけたくなる馬なんですよね。
そして、私も乗ってよいと言われたころ、蹄の病気(蟻洞)が悪化しました。
さすがに乗りたくないので、乗らず。
レッスンにもあまり出られなく、
何ヶ月もお休みして、いよいよ放出のときが来ました。
このクラブで2年たったころでした。
初めから何かあったら引き取ると言っていたので、
すんなりと引き取らせてもらい、やっと自分の馬になったのです
。
出会ってから5年目のことでした。
行き先は、彼の第2のふるさと茨城(生まれは北海道なので)、
私と出会った牧場がすぐ目の前に広がるクラブです。
ブログを通じて知り合ったMちゃんが開いたクラブ。
これも偶然でしたね。
スキップにとって馴染みの場所だと思い、ここに預けようと決めました。
移動の夜、あの競走馬時代の馬主さんの息子が
馬運車を出して迎えにきてくれました。
引退してからこんなに付き合いのある馬はいないって
。
スキップは、帰ってきたと思ったのでしょう。
翌朝ずっと自分がいた牧場をみて鳴いていたそうです。
そして私が会いに行くと、これまた大きな声で鳴いて、
飛び跳ねて飛び跳ねて。
蹄が痛いのも忘れ、嬉しさのあまり大興奮していまいした。
今でもその姿が忘れられません
。
それから蹄の治療をしてもらい(完治に1年半かかりました)、
毎日ゴロゴロお昼寝をして幸せそうでした。
移動して2ヵ月後、装蹄士さんから軽い運動をしてよいと言われ、運動再開。
馬主なので私が乗らないとなりません。
緊張しました。なにせ何かあると走る、跳ねるというイメージがあったので。
エアベストも購入したくらいです。
そもそも、一度も乗ったことのない馬を買ったこと自体、考えられませんよね
。
でも、スキップは下手っぴの私が騎乗しても、危ない馬なんてことは全然なかった。
こんな私でも、一応、自分の主だと思ってくれていたのかな。
乗るたびにスキップの優しさを感じました。
また前のクラブにもスキップを好きな方が何人かいて、会いに来てくれました
。
他にも亡くなってから多くの方からメールをいただきましたが、
一番心に残った馬だと、みなさんおっしゃってくれて。
そういえば、上級者の方はスキップからいろいろ教わるといって、
「スキップ大先生」と呼んでいましたね。
それを考えると、間違いなく私が乗るような馬ではなかったですね…。
この春、地震のあと4週間行かれず、その後も3週間行かれないことがありました。
私の姿をみると、いつも以上に大きくいなないて、ひっつこうとして。
いま思うと、ただの甘えではなく、何か訴えていたのかもしれません。
ストレスもあったんでしょうね。
冬毛がなかなか抜けず、抜けても変な感じで。
すでに、少し体にも異変があったのかもしれません。
私に会ったことで、スキップは福島に行かず、馬生は大きく変わってしまいました。
福島に行ってたほうが良かった、ということにならないように、
必ず幸せにする、何でもする、その責任が私にはある、といつも思っていました。
だから8月に調子が悪くなってから、私はスキップを抱きしめて、何度も謝りました。
こんな辛い思いをさせてごめんね、と。
なかなか会いに来れないときもあってごめんね、と。
亡くなる前日、痩せこけて傷だらけの体で横になりながら、
私の手からニンジンやリンゴ、乾草を食べ、お水やポカリを飲みました。
顔や首を撫でてるうちにお昼寝して、その顔が笑っているようでした。
そして、永遠に眠った時の顔も、優しい表情をしていました。
スキップと私のことを知る友人たちは、運命
だと言っていました。
出会うべくして出会ってしまったんだと。
何があっても離れられない、そんな関係だって。
私もそう信じていました。
スキップがおじいさんになるまでずっと一緒だと。
でも、最後に奇跡が起きませんでした。
望んでいたよりずっと早くお別れが来てしまったのです。
私を見つけるといなないてくれた可愛いスキップ。
引き手がなくても、ちゃんとついてきてくれて、
話しかければ私の表情を見て耳を傾けて、理解しようとしてくれて。
舌を出すのが癖で、人の手を舐めるのも大好きでした。
独占欲も強かったけれど、そこも可愛かった。
ほんと一緒にいると馬であることを忘れてしまいそうでした。
もう、スキップとの間に流れる、あのゆったりした空気が味わえないのは苦しいです。
競走馬時代の馬主さんに訃報を伝えたら残念がっていましたが、
スキップにかわってありがとう、と言われました。
私は大したこともしてあげられず、こんな死なせ方をして、
ずっと悔やんで悲しんでいましたが、少しだけ救われた気がしました。
出会って7年半、私の馬になってからたったの2年半。
スキップには、たくさん感謝しています。
そして、これまでスキップを可愛がってくれた方々に感謝しています。