ボクシングレヴュー

「TM」はタイトルマッチ、階級名につく「S」はスーパー、「L」はライトの略です。

WBC世界バンタム級TM 長谷川穂積vsウィラポン・ナコンルアンプロモーション

2006年03月25日 | 国内試合(世界タイトル)
「もう一度ウィラポンに勝つまでは真の王者とは思えない」と
以前から語っていた長谷川が、雪辱に燃えるウィラポンをこれ以上
ないというほどの形で返り討ちにし、2度目の防衛に成功した。

試合前、まず気になったのはウィラポンの仕上がり具合だったが、
ウィラポンは実に見事な体を作ってきた。37歳とは思えない、
まるで弛みのない肉体だ。それを見て一瞬不安がよぎるが、
長谷川も体つきの良さでは負けていない。両者とも、少なくとも
現時点で出来うる準備は万全に整えてきたことが分かる。


試合は、予想を超えて一方的なものとなった。長谷川のスピードに
ウィラポンはついて来れない。時折ウィラポンの右ストレートが
顔面やボディを捉えるが、長谷川は全く動じることがない。

2ラウンド終了時、コーナーに帰るウィラポンの表情には、まるで
既に試合の後半であるかのような疲労の色が浮かんでいた。
もちろん、実際にそれほど疲れていたわけはない。恐らく、1年振りに
味わった長谷川のスピードに「これはしんどい試合になりそうだ」と
直感したのであろう。ウィラポンに「老い」を見た瞬間だった。

この序盤戦、最も僕の目を奪った長谷川のパンチは、アッパーである。
長谷川といえば左ストレートや右フックのイメージがあり、アッパーを
打つシーンというのは今まであまり印象にない。これは今回の再戦に向け、
長谷川陣営が密かに練習していたパンチらしいが、まるで長年頼りに
してきた武器であるかのように、自在にウィラポンの顎を跳ね上げていた。

これだけ多彩なパンチがあらゆる角度から、しかも高速で次々と
飛んでくるのだからたまらない。左フックをよけてホッとしたのも
束の間、すぐにアッパーやらボディブローやらを打たれるのだ。
特に第6ラウンドに見せた長谷川の連打は、これぞ鬼神の攻めと
いうものではないだろうか、と感じたほどだ。無慈悲で容赦のない、
鋭いパンチの雨あられ。手数に比してクリーンヒットはそれほど
多くはなかったが、並の選手なら恐怖を感じてもおかしくない。

しかし次のラウンド、ウィラポンは前に出てきた。さすがは誇り高き
タイの英雄である。長谷川もこれを真っ向から迎えうち、リング中央での
接近戦が延々と続くラウンドになった。長谷川も決して打ち負けては
いないのだが、ウィラポンの執念、闘志が若き王者を追い込んだような
印象を与えた。

続く第8ラウンドは一転して足を使い、ジャブを多用する長谷川。
なおも前進を続ける挑戦者を上手くさばいているようにも見えるし、
その突進に気圧されて下がっているようにも見える。ここでも決して
一方的に打ち込まれる場面はなかった長谷川だが、6ラウンドまでが
あまりに圧倒的だったため、ウィラポン優勢に見えたのは皮肉だ。
ただ、この7、8ラウンドは、少なくとも気迫の面ではウィラポンが
長谷川を上回っていたように見えたのも確かだ。

そして、少し不穏な空気も漂い出した中で迎えた第9ラウンド。
それだけにこのフィニッシュシーンは鮮烈だった。開始直後、
ウィラポンの右に合わせた見事なカウンター。物凄い音がした。
ウィラポンが前のめりに崩れ落ちる。即座に「終わった」と
思わせるほどの決定的な一打だ。必死に立ち上がろうとするが
足が言うことを聞かずよろめくウィラポンを見て、レフェリーは
カウント途中で試合をストップ。長谷川のTKO勝ちが告げられた。

まさかこのような形で、ウィラポンがマットに沈もうとは・・・。
わずか4戦目でWBAのバンタム級王者となったウィラポンは、
その初防衛戦でガーナのナナ・コナドゥにKO負けして王座を失った。
しかしそれ以降の10年間、彼は一度も倒れたことがないのだ。そんな
ウィラポンのダウンシーンは、衝撃としか言いようのない光景だった。


解説者の浜田剛史氏(元WBC世界スーパー・ライト級王者)が
最後に何気なく言った「この右に合わせましたね」という言葉は
印象的だった。「この右」とは、長谷川を含めたサウスポーの
挑戦者たちを散々苦しめてきた、ウィラポンの最も得意なパンチの
一つである、ジャブのように伸ばす速い右ストレートのことである。
その右にカウンターを合わせたのだ。それはまさに「ウィラポン
越え」そして「新旧交代」を表す象徴的なシーンだった。
それにしても、これほどまでに完璧な、絵に描いたように美しい
カウンターを世界戦で見ることは非常に稀である。

冷静になって考えてみると、7,8ラウンドの「ピンチ」も、
長谷川にとっては想定内だったのではないかと思える。少なくとも
ここ数年のウィラポンは「待ち」のボクサーであり、自分から
攻めて出るということはあまりなかった。そんなウィラポンが
ひたすら前に出てくるということは、つまりそれだけ劣勢を
感じており、前に出なければならないという状況に追い込まれて
いたということだ。

そしてそれらのラウンドで手応えを感じ、更に攻勢を仕掛けようと
考えたのだろう。あの第9ラウンドのウィラポンの前進は、14度も
王座を守ってきた男のものとは思えないほど不用意だった。それだけ
疲弊し、判断力が鈍っていたことの証明だと思う。

ウィラポンの調子は、決して悪くなかった。しかしそれはあくまで
「37歳のウィラポン」が作りうる中での最高のコンディションであり、
全盛期の動きが戻るはずもない。上り調子の長谷川との差は、もはや
埋めようがないほど開いていた。だからと言って、「全盛期のウィラポン
なら長谷川に負けなかった」という空想話にはあまり意味がない。
「長谷川穂積がついにウィラポンを越えた」この事実こそが、この日の
最も重要な出来事だったのである。


しかしまあ、長谷川穂積は何とも「やっかいな」ボクサーになったものだ。
フットワークも防御勘も良く、スタミナも豊富。右にも左にも一発で倒す
決定力がある上に、連打の回転も速い。おまけに強心臓。その長谷川に
今日のようなコンディションで来られたら、ウィラポンでなくとも
攻略するのは相当に難しいだろう。