ボクシングレヴュー

「TM」はタイトルマッチ、階級名につく「S」はスーパー、「L」はライトの略です。

日本タイトルマッチが見たい

2002年10月26日 | その他
僕の住んでいる愛知県では、日本タイトルマッチはほとんど放送されない。
一般的にも、日本チャンピオンの名前は全く知られていないのが現状だ。
だからこのレヴューも、どうしても世界戦が話題の中心になってしまうが、
日本タイトルマッチのあの独特の空気も、僕は大好きだ。

いわゆる「一見さん」も多く訪れる世界戦とは違い、会場に来る人の
ほとんどは選手の身内や友人、後援者たちだ。それだけに非常に切実な、
熱い思いのこもった声援を送っている。選手と応援者の距離も近く、
何やらアットホームな雰囲気がある。

若い選手が日本タイトルを獲った時には、これから世界へ打って出ようと
いう者だけが持つ、眩いばかりのフレッシュさを感じてワクワクする。
近年では西岡利晃や仲宣明、新井田豊などの日本タイトル奪取は、
まさに衝撃的な「新星誕生」の瞬間だった。

また、決して若くもない地味な選手が、長い下積みの末にようやく
日本タイトルを掴んだ、というシーンにも深い感動と味わいがある。
鈴木誠、中野吉郎、本望信人・・・。セレス小林のように、そんな地味な
選手が世界を獲ったりすれば、これはさらに感動的だ。

日本タイトルマッチには不思議なことに、雑誌や新聞で結果を見るだけでは
分からない「熱」がある。極端に言えば、日本タイトルマッチに凡戦はない。
例え試合がダルファイトに終始しても、10ラウンドの長さなら充分我慢
できるし、どういうわけか日本タイトルマッチでは、お互いの人間性や
人生が露骨に表れる。観客の感情に触れる要素が非常に多いのだ。
だからこそ、もっとテレビで日本タイトルマッチを放送して欲しいと思う。

例えば日本スーパー・バンタム級タイトルマッチ、瀬川設男と渡辺純一の
一戦。クリンチやレスリングまがいの行為の連発で、お世辞にも
「いい試合」とは言えない内容だったが、その不恰好さ故に、余計に
両選手の「ベルトに賭ける想い」というものが強烈に伝わってきた。

ところで名古屋もそうなのだが、地方の有力選手はあまり日本タイトルを
狙わない。効率よく世界ランクを手に入れるために、東洋王座に挑戦する
ことが多いのだ。仕方ない部分もあるが、これは少々残念なことだ。
出来れば、国内のいい選手同士の対戦をもっと見てみたい。そのための
日本タイトルマッチ、でもあると思うのだが・・・。



WBA世界ミドル級TM ウィリアム・ジョッピーvs保住直孝

2002年10月10日 | 国内試合(世界タイトル)
保住はよく頑張った。現時点での持てる力を、全てとまでは言わないが
存分に発揮した。スピードの差に翻弄されながらも、時折接近戦に持ち込んで
ボディを叩き、思惑通り「一発当たれば・・・」という展開を期待させた。
決して後ろに退かず、TKOで敗れたものの最後まで倒れなかった。
完敗ではあるが、保住自身が責められるような内容ではなかったと思う。

結局「ミドル級の壁」はあまりにも高かったということを思い知らされた。
ジョッピーは確かに現在のトップボクサーだが、ミドル級史上、決して
超一流の選手とまでは呼べない。しかしそのジョッピーに完敗したのだ。
ただ、それは戦う前から分かっていたことだ。むしろ保住は、予想以上の
健闘をしたとさえ言える。

というわけで試合は残念な結果に終わったが、それ以上に残念だったことが
ある。それはこの試合を放送したテレビ朝日の目に余るレベルの低さだ。

そもそも試合前から、おかしな演出が目立った。保住を紹介する特別番組を
作ってくれたのは有難いが、「KOマシーン保住」だの、「やられたら
やり返す」だの、どうも宣伝文句がプロレス風なのだ。

あるいは他の番組でジョッピーを「ミドル級史上最強王者」と紹介したり、
保住とは縁もゆかりもないはずの竹原慎二氏を引き合いに出し、「竹原の
敵討ち」と言ってみたり。確かに竹原氏は日本人唯一のミドル級世界王者
であり、ジョッピーに敗れて王座を失ったのも事実だ。しかし保住と竹原は
別に同じジムだったわけでもないし、仲が良かったわけでもない。

まあそこまでは、世界戦を盛り上げるための演出と思えばそれほど目くじらを
立てるべきでもないだろう、と思っていた。しかし、問題は試合の後だ。

ゲストにプロレスラーが来ていた。それは別にいいのだが、試合後、勝者
ジョッピーになぜか花束が渡され、それを渡したのもプロレスラーだった。
この時点で何かおかしいな、と思ったのだが、案の定リング上のレスラーと
解説席のレスラー(近々この両者は対戦するらしい)が険悪なムードとなり、
何と解説席の方が、リングの男に向かってボトルに入った水をぶちまけたのだ。

要するに両者の対戦の前景気をあおるための宣伝行為なのだが、テレビ朝日
側の、あまりに低い知性と非常識に呆れ驚いた。これはボクシングの、公式な
世界選手権なのである。大げさに言えば、世界中のボクシングファンが注目
しているのだ。それを、あまりに利己的な宣伝の場へと貶めてしまった。
これまた大げさに言えば、日本は全世界に恥をさらしたということになる。

確かにテレビ局にとって視聴率は大事なものだろう。しかし、目先の利益に
とらわれるのにも程がある。この演出をよしとした人間は、すでに頭が
おかしくなっているとしか思えない。即刻退社し、旅にでも出て正常な感覚を
取り戻すべきだ。

ボクシングには多くの団体や階級があり、ファンでない限り完璧に覚えるのは
かなり難しいだろう。しかもテレビで放送される試合数も少ないわけで、よく
マニアがやり玉に上げるアナウンサーの言い間違いやレベルの低さも、それを
思えば責めるのは可哀相な面もある。

しかし、こうまで程度の低いボクシング中継は初めてだ。さすがに今回
ばかりはひど過ぎる。これなら、放送しない方がマシだったのではないか
とさえ思える。プロレスファンだって恥ずかしい思いをしたのではないか。

WBA世界Sバンタム級TM 佐藤修vsサリム・メジクンヌ

2002年10月09日 | 国内試合(世界タイトル)
佐藤修が初防衛に失敗した。WBA世界スーパー・バンタム級の新王者と
なったサリム・メジクンヌはフランス人。アマチュア歴も長く、佐藤の単調な
攻めを見切り、よく練られた戦略と安定感のある技巧で終始試合を支配した。
結果は大差の判定勝ち。佐藤はほとんど何も出来ずに敗れてしまった。

この結果を受けてサイト上では、これは佐藤個人だけではなく、「日本
ボクシング界の敗北だ」と言う者もいた。とにかく前へ出る攻撃重視の
ジャパニーズスタイルでは、試合をゲームととらえ、冷静に技術を駆使して
ポイントを拾っていくヨーロピアンスタイルには勝てない、ということだ。
そう考えると、この敗戦の意味は大きい。

今でこそ「ボクシング大国」と言えばアメリカだが、そもそもボクシング
発祥の地はヨーロッパである。それだけ技術や戦術にも厚みがあり、また
観客の間にも、高度な技術戦を楽しむ土壌が育っている。アマチュアの
キャリアも、当然日本とは比較にならないほど豊富だ。

ひるがえって日本ではどうだろう。やはり未だに激しい打撃戦を好み、
派手なKO劇を期待する。もちろんそれはそれでいいのだが、防御などの
技術面、そして周到な戦略や駆け引きなどの面で見応えのある選手が少ない。
川島・星野・徳山など、たまにそういう選手が現れて素晴らしい技巧を
披露しても、テレビの視聴率は芳しくない。

かつてドイツに、ヘンリー・マスケ(元IBF世界ライト・ヘビー級王者)
という選手がいた。ディフェンス重視の地味なスタイルだったが、その高い
技術が人気を呼び、テレビの視聴率も80パーセントを超えていたという。
ドイツと同じく、他の分野では日本も「技術立国」などと言われているが、
ことボクシングになると、技巧派が正当に評価されないのは不思議だ。

ファンがファイターばかり求めるからファイターが増えるのか、指導者が
ファイターばかり育てるからファイターしか評価できないのか、それは
分からないが、そろそろ日本でも、しっかりとした技術を教える指導者と、
技術戦を喜ぶファンが増えていかなければならないと思う。そうでないと、
欧米との格差はますます開き、いずれ日本には世界チャンピオンがいなく
なくなってしまうのではないか。

アジア人が多数を占める軽量級ならまだいい。しかし欧米の選手の多い
中・重量級においては、やはり未だに「世界の壁」は厚いままだ。
積み重ねてきた歴史の差は否定しようがない。しかし、日本人の優れた
頭脳を駆使して研究を重ねれば、欧米の選手に勝つことも決して不可能では
ないと思う。

そう言えば、イタリアの技巧派を駆け引きと変則的な攻撃で破って世界王者に
なった日本人が大昔にいた。輪島功一である。輪島は体格的に決して恵まれて
いたとは言えないが、そのハンデを克服するため、工夫に工夫を重ねて戦略を
練り、勝利を得た。勝ちたいという必死の思いが、あの変則を生んだのだ。

しかし、そういった戦い方は「心あるボクシングファン」から邪道呼ばわり
され、輪島が日本人の心をつかんだのは既にキャリア晩年、つまり倒されても
倒されても立ち上がり、無様に敗れて限界を囁かれながらもなお王座を何度も
奪回したその姿だった。それはそれでもちろん素晴らしいが、輪島の「全盛期」
のボクシングは果たして正当に評価されていたのだろうか。

誤解のないように言っておくが、僕はファイターを否定しているわけでは
ないし、派手なKO劇や「魂と魂のぶつかり合い」に胸が躍るのも事実だ。
例えば明日のジョッピーと保住の試合(WBA世界ミドル級戦)でも、技術や
経験で大きく後れを取る保住には、やはり「奇跡の一発」を期待するしかない。

しかし、しっかりとした技術がなければそれはただの粗暴な殴り合いに
なってしまうし、そんなものは見たくない。また、素人なりに技術面にも
注意を払わなければ、一生懸命修練を積んできた選手たちに失礼であろう。

日本人が技術で欧米人に勝つようになるには、突発的な天才の出現という
例外を除けば、まだまだ先のことになるだろう。しかしいずれはそれは
実現できるはずだ。そのためには、指導者も選手もファンも、もっともっと
多くの「完敗」を経験し、それを糧としなければならないのだと思う。