ボクシングレヴュー

「TM」はタイトルマッチ、階級名につく「S」はスーパー、「L」はライトの略です。

石井広三の引退によせて

2004年04月13日 | その他
名古屋のボクシング界を盛り上げた選手の一人、石井広三が、先日引退を
表明した。元東洋太平洋スーパー・バンタム級チャンピオン、世界ランクは
最高3位。3度の世界挑戦ではいずれもTKOで敗れたが、常にKOを狙いに
行くその強気の戦い振りは、ファンを熱くさせたものだ。

約8年のプロ生活で、戦績は35戦31勝(21KO)4敗。ボクサーとしては
長持ちした方だと言えるが、彼の全盛期はあまりに短かった。キャリア後半は、
相手との戦い以前に自らの体の不調との戦いを余儀なくされた。


石井を初めて見たのは、韓国の李勇勲に判定勝ちして世界ランク入りを果たした
試合だったが、その時はそれほど印象に残らなかった。それからしばらくして、
石井は東洋太平洋の王座決定戦に出場するのだが、久しぶりに見た石井には、
周囲を圧倒するような強烈なオーラが漂っていた。僕は思わず息を飲んだ。
そして、試合はまさに電光石火、わずか1ラウンドで終わってしまった。
石井の圧倒的な強打を見せ付けられ、この男は間違いなく世界を獲ると思った。

そしてそのままの勢いで臨んだ世界初挑戦。最終回にTKOで敗れたものの、
王者ネストール・ガルサをダウン寸前にまで追い詰める場面もあり、その年の
年間最高試合にも選ばれた。この敗戦で石井の株はむしろ急上昇し、知名度も
上がっていった。「次やれば勝てる」多くの人がそう思ったはずだ。

しかしその試合では強打、精神的な図太さといった長所と同時に、石井の弱点も
暴露された。ディフェンスの甘さ、そして攻撃の単調さである。ただ、その時は
僕も「まだ若いんだし、これから色んな技術を覚えればいいさ」と楽観視して
いたし、むしろこれからもっともっと強くなるであろう石井の姿を想像し、いつか
必ず世界チャンピオンになれる、と信じて疑わなかった。


しかしこの後の石井からは、ついにガルサ戦を越える「強さ」を感じることはなかった。
技術的な進歩も見られなかったし、何よりあの相手を威圧するオーラが消えていた。

2度目の世界戦となったWBA暫定王座決定戦では、既にロートルと見られていた
ヨベル・オルテガに11ラウンドTKO負け。実はこの試合の前、石井は腰を痛めていた。
疲労骨折だった。言うまでもなく、腰は全ての運動の起点となる場所だ。その腰の骨が
折れていて、どうやって勝てると言うのだ。「腰さえ治れば・・・」僕はまだ、石井の
復活を信じていた。しかしそれはしょせん、見果てぬ夢だった。

3度目の世界戦、そして結果的にラストファイトとなったオスカル・ラリオス戦。
リングに上がった石井を見て、我が目を疑った。体に全く張りがなく、戦いに挑む
ボクサーの肉体には到底見えないのだ。戦う前から、もう勝敗は明らかだった。
結果は2ラウンドTKO負け。惨敗としか言いようがない。石井の姿よりも、
怒りすら感じさせる観客の表情の方が印象的だった。


その後、石井にとって最後のチャンスと言えた日本タイトル挑戦をヘルニアにより
キャンセル、そして今回の引退発表となった。石井は恐らく、相当長い間腰の痛みと
戦ってきたのだろう。体とともに、もう心も折れてしまったようだった。

今はただ、お疲れ様と言う他ない。ほんの束の間ではあったが、夢を見せてくれて
ありがとう、と。そしてこの若者が、ボクシングに青春を捧げたことを後悔しないで
生きていって欲しい、と願うばかりだ。