ボクシングレヴュー

「TM」はタイトルマッチ、階級名につく「S」はスーパー、「L」はライトの略です。

WBC世界フライ級TM ポンサクレック・シンワンチャーvs浅井勇登

2001年07月15日 | 国内試合(世界タイトル)
3度ダウンを奪われた末、5RTKO負け。これが今日の結果だ。
確かに完敗、いや惨敗とさえ言えるかもしれない。
チャンピオンは強すぎた。そして何より、浅井が悪すぎた。

戦前、王者ポンサクレックの事をデータ上でしか知らなかった僕は、
攻撃重視の速攻型、というだけで、ガードは多分甘いだろう、スタミナも
後半には切れるだろう、と安易に予想していた。だから前半の攻撃を
浅井が耐え凌ぎつつボディを中心に攻めれば、後半にKOする可能性も
あると考えたのだが・・・。

チャンピオンは強かった。前日の一回目の計量では体重オーバーしたという
話もあり調整不足も予想されたが、リングに上がった時の肌のハリは良く、
試合が始まっても全くその影響は感じられなかった。もっとラフな選手かと
思っていたが、ガードは非常に固く、パンチも実に多彩で的確だ。

それに対して、浅井は初の世界戦の空気と、目の前の相手の強さに終始
呑まれていた。パンチにいつものキレがない。あるいは大振りして
バランスを崩したり。本来はもっとシャープな攻撃の出来る選手なのだが、
今日はとにかく硬い。何をしたらいいのか、迷っている観すらあった。

確かに浅井のガードの甘さは以前から指摘されてはいたが、それでも
これほど前半から打たれるとは思っていなかった。もちろんチャンピオンの
パンチが鋭いせいもあるだろうが、恐らくゴングが鳴った時点で、浅井の頭は
真っ白になってしまったのだろう。見えているはずのパンチがよけられなかった。

それでも4R、2度のダウンを奪われた後、本能が目覚めたのか
いつもの浅井らしい攻撃が少しだけ見られたのだが、時すでに遅し。
あまりに不用意にもらいすぎたパンチで、ダメージが蓄積されていた。

続く5Rにもダウンを喫し、気丈にも立ち上がったもののチャンピオンの
猛攻にさらされ、すかさずレフェリーが試合を止めた。結局、浅井は全く何も
出来ずに終わってしまった。これほどまでに一方的な展開になろうとは・・・。
チャンピオンの強さは予想以上、そして浅井の不調も全くの予想外だった。

浅井は敗れた。相手との戦いに、そしてそれ以前に自分の心の弱さに。
だからこそ、ここで終わってはいけないと思う。このまま終わったら、
きっと一生自分を責め続けることになるだろう。必ず再起して欲しい。
そして、今度こそ完全燃焼して欲しい。


浅井勇登、世界に挑む

2001年07月12日 | その他
いよいよ来週の日曜(7/15)、浅井勇登(はやと)がWBC世界フライ級
王者、タイのポンサクレック・シンワンチャーに挑む。

この浅井という選手、全国的には日本タイトルに2度挑戦して2度敗れて
いるだけに決して評価が高いとは言えないようだが、名古屋では随分前から
その素質の高さが注目され、世界チャンピオン候補と言われ続けてきた。
と同時に、精神面でのモロさを指摘され続けてもいたのだが・・・。

雑誌の記事などを読むと、かつての浅井はどうも、頭に血が上りやすい
性分だったようだ。スパーリングでもパンチをもらうとついカッとなり、
攻撃がラフになったり。ボクシングでは冷静さを失った方が負け、とは
よく聞かれる言葉である。

あるいは2度目の日本タイトル挑戦となったセレス小林(現WBAスーパー・
フライ級王者)戦では、ダウンを奪ってもなお余裕を見せず攻めて来る王者に、
精神的に呑まれてしまったことを後に告白している。

早くから「世界」を期待されたホープが、こともあろうに日本タイトル
「ごとき」で2度もつまづいた。本人の絶望感は相当なものだっただろう。
事実、セレス戦後に浅井は、引退すら真剣に考えたという。

しかし僕は、この挫折こそが浅井を「本物のボクサー」にしたのだと思う。
失意のドン底からそれでも復活を決意した浅井は、再起2戦目で何と
世界ランカーと対戦、いきなり序盤にいいパンチをヒットされピンチに陥る。
今までの浅井なら、ここで勝負を投げてしまっていたかもしれない。
だが浅井はこのピンチを凌ぎ切って徐々にペースをつかみ、後半にダウンを
奪って見事に判定勝ちを収めたのだ。そしてその勝利によって世界ランク入りを
決め、今回のチャンスをつかんだわけだ。

チャンピオンのポンサクレックは、あのセレス小林と引き分けてタイトルを守った
マルコム・ツニャカオを、何と1RKOで下してベルトを奪った男である。
セレスに完敗した浅井と、セレスと引き分けた男に圧勝したポンサクレック。
その戦歴から考えれば、悲観的な予想がなされるのも仕方ないだろう。

しかし逆に言えば、今回が初防衛戦でもあるポンサレックには世界戦の経験が
まだ1ラウンドしかなく、試されていない部分も多々あるということだ。
また、現在のWBCフライ級はコロコロと王者が入れ替わり、本当に強いのは
誰なのか分からない状況になっている。浅井にも勝機は充分あるのだ。

今の浅井はセレスと戦った頃の浅井とは違う、と僕は思う。
元々持っていた素質に加え、挫折から這い上がることで精神的な強さを、
そして自らの拳で逆境をはね返したことで自信を、彼は身につけたはずだ。

ぜひとも、最大の舞台で最高の結果を出して、日本全国のボクシングファンを
あっと言わせて欲しい。2年前、先輩の戸高秀樹がそうしたように・・・。



「勇気」ということ

2001年07月04日 | その他
今から200年前、ボクサーがグローブをつけず素手で殴り合っていた時代。
ダニエル・メンドサという選手が、相手と真正面から打ち合わず、自分の
パンチを当てては離れるという戦法を見せた時、人々は彼を「卑怯者」と呼んだ。
しかし現在ではそれは、「アウトボクシング」という立派なファイトスタイル
として認められている。

「勇気」とは何だろうか。「何も恐れないこと」、そうかもしれない。
少し付け加えさせてもらうなら、僕はそれを「何者をも恐れず、己の信ずる
やり方を貫き通す強い精神力」と定義したい。

日本のボクシング界では未だに、戦争中の「特攻精神」が賛美される傾向にある。
力の差がありすぎる相手と闘った時、真正面からぶつかって玉砕すれば、
とりあえず「根性は見せた」と慰めてもらえる。しかし、それは本当に「勇気」
と呼べるものなのだろうか。

戦地においては、生き延びるために生き恥をさらすことも勇気なのではないか、
と想像することがある。愛する家族が祖国で待っている。それに、仮に戦争に
敗れた場合、戦後の復興に身を捧げることこそ「お国のため」なのではないか。

昨年の6月、WBC世界バンタム級王者、ウィラポンに挑んだ西岡利晃。
12ラウンドほとんど足を使って逃げていたように見えた彼に対して、
批判の声が多く上がった。確かに彼は、強い王者に対し何も出来なかった。
本人も試合中、どうにも埋められない力の差を感じていたに違いない。
そこで、KO負けを覚悟で打ち合いを挑んでいれば、彼に対する批判も
それほどなかったかもしれない。「勇敢に散った挑戦者」として。

しかし西岡はそれをしなかった。あえて恥をさらしてまで、12ラウンド
リングに立ち続ける道を選んだのだ。もちろん試合後の批判も覚悟した上で。
今日は勝てないが、次は勝ちたい。だからこそ、一分一秒でも長くリングに
立って、ウィラポンの強さの秘密を知りたい。同時に生き恥をさらすことで
自分の不甲斐なさを自分自身に刻み付け、「次」へのモチベーションにしたい。
そして次があるなら、ダメージは少ない方がいいに決まっている。

先日畑山隆則からベルトを奪って王座に返り咲いた、ジュリアン・ロルシー。
彼の試合ぶりにも僕は、「勇気」を感じた。ロープに詰まってガードを固めて、
あんなの挑戦者のボクシングではない、と言う人もいたが、あれは強打の畑山に
確実に勝つために、彼の陣営が考えに考えた戦術である。むしろあの一見消極的な
スタイルを、王者への声援ばかりの敵地で最後まで冷静さを失わずに遂行できた
ロルシーの強い精神力に、僕は拍手を贈りたい。

あのナジーム・ハメドに初めて黒星を与えた、マルコ・アントニオ・バレラ
もそうだ。あのディフェンシブなスタイルは、対ハメド用に相当前から準備して
いた作戦である。それをラスベガスという大舞台で、「打ち合いたい」という
ボクサーの本能を抑えながら実行することは、並大抵の精神力では出来ない。

恐らくボクサーにとっては、打ち合うよりも、打ち合うことを我慢することの
方が難しいだろう。しかし勝負というのは大抵、冷静さを失った方が負けるのだ。
結局ホリフィールドとの2戦に一度も勝てなかった、タイソンのように・・・。

「玉砕」とはすなわち、圧倒的な力の差を前に、自分の弱さを見るのに耐えら
れなくなった人間のすることである。それは勇気とは呼べない。
勇気のある人間はそんな時、それでも諦めずにわずかな勝機を信じて闘い続ける
か、次に力をつけて雪辱するために今回は五体満足な内に退くか、そのどちらか
の方法を選択するはずである。

誰に何を言われても、最後に勝てばいい。そしてその勝敗というのは、
実は戦った本人の心の中でしか決められないものなのだ。


WBA世界ライト級TM 畑山隆則vsジュリアン・ロルシー

2001年07月01日 | 国内試合(世界タイトル)
初めは、文句なく畑山の勝ちだと思った。常に前に出続けていたから。
しかし僕はその時、ボクシングの採点において大事なことを忘れていた。
「前に出る」イコール「攻勢」ではないのだ。例え下がりながらでも、
的確にパンチを当てた数ではロルシーの方が上だったのだ。

そしてもう一つ忘れていたことがある。ロルシーははっきりと、
「ボクシングはスポーツである」と考える選手であったことだ。
戦前から、僕を含めた日本のファンのほとんど、そして恐らく
畑山自身も、激しい打ち合いになることを信じて疑わなかった。

これは考えて見れば不思議なことだ。原因はある。まずはロルシーの
いかにも「殴り屋」然とした、短躯でガッチリとした風貌。そして
初めにタイトルを獲った、JB・メンディ戦での豪快なKOシーン。

しかし実際のロルシーは、アマチュア歴も長く、バルセロナ五輪の
フランス代表にも選ばれたほど技術レベルの高い選手である。
今回の試合でも、その「巧さ」をいかんなく発揮していた。

何しろ試合運びが上手い。強打をちらつかせておいて細かいパンチを
当てたり、コーナーに誘い込んでカウンター、あるいは打ち終わりを
狙ったり、とにかくパンチを当てる術を心得ている。終盤のクリンチも、
自分のスタミナとそれまでのポイント差を計算した上で、今あえて
打ち合う危険を冒すことはない、と判断したためのものだろう。
サッカーなどでも、リードしていたら終了間際にはとにかくボールを
相手に渡さないように「流す」ことがある。これは立派な「戦術」だ。

対する畑山。確かに終始前に出続けたが、逆に言えば「前に出ることしか
できなかった」ということだろう。打ち合いを挑むしかなかったのである。
それでもかつてのチェ・ヨンスー戦のように、ハイテンポの乱打戦に巻き込む
ことができれば畑山にも勝機はあった。しかしいかんせん手数が少なかった。
もちろん、それをさせなかったロルシーの巧さもあったのだろうが。

前回のリック吉村戦も同じような展開だったのに、リックは引き分け、
ロルシーは勝ち、という採点はおかしいじゃないか、と言う人もいた。
しかし明らかに違うのは、リックは畑山に距離を詰められた時には
クリンチするしか術がなかったのに対し、ロルシーはガードを固めながらも
機を見て打ち返していた。アウトボクシングしかできないリックが勝つには、
常に離れて戦うことが必須条件だが、リックは畑山の接近を許してしまった。

また、軽打の数で上回ったリックに対し、畑山は力強いパンチで挽回した。
しかしロルシーのパンチは、畑山と比べても決して見劣りがしなかった。
「質」において同等なら、あとは「量」で競うしかないのは当然だろう。
そしてその「量」においても、ロルシーは畑山を上回った。

ひたすら前に出て打ち合いを挑む畑山。ボクシングは「スポーツ」であり
「ゲーム」だと考えるロルシー。それは日本とヨーロッパとの、ボクシング
に対する考え方の違いと言ってもいいのかもしれない。
どちらがいいとか悪いとか言うのではない。畑山は打ち合いに巻き込めず、
ロルシーはゲームに徹することに成功した。それがこの試合の全てだ。

試合後の畑山のコメント。「完敗。レベルが違いすぎて、無力感さえ感じた」
「後半、挽回する気力がなかった」。実は畑山、これが初の判定負けである。
当然ショックも大きいであろう。要は全く通用しなかった、と言っているのだ。
ただ技術の差を見せつけられた。燃え尽きることができなかった。
なぜなら、本人の意に反して、畑山は「ゲーム」の枠内で戦わされたからだ。

畑山は、「どつき合い」の末にぶっ倒されての負け、あるいはぶっ倒しての
勝ちを「幕引き」として想像していたことだろう。「負けたら引退」を公言
していた畑山だが、今回の試合で本当に終わりにするのかどうか、本人も今、
少なからず悩んでいるところだと思う。もしかしたら既に、あの坂本戦で
燃え尽きてしまっていたのかもしれないが・・・。