ボクシングレヴュー

「TM」はタイトルマッチ、階級名につく「S」はスーパー、「L」はライトの略です。

WBC世界Sフライ級TM 徳山昌守vs柳光和博

2002年03月23日 | 国内試合(世界タイトル)
徳山昌守、右ストレート一発で9ラウンドKO勝ち、4度目の防衛に成功。
普通こういう結果なら、興奮も手伝ってどんどん文章が書けそうなものだが、
あまりに一方的な内容だったため、何を書いていいか分からず悩んでしまった。

試合は挑戦者の柳光がほとんど何も出来ず、9ラウンド、やっと攻め込んだ
ところできれいに徳山の右をもらってダウン。そのまま終わってしまった。
KOという結果は確かに聞こえはいいのだが、その9ラウンド以外は極めて
平坦な展開だった。徳山のテクニックや右ストレートの切れ味を堪能するには
いい試合だったが。要するに徳山のワンマンショーだったのだ。

坂本博之戦で畑山隆則が言ったように、名勝負というのは相手の頑張りが
あってこそ成り立つものだ。ワンマンショーでは名勝負には成り得ない。

とにかくボクシング関連の掲示板でも、敗者の柳光を非難する書き込みが
目立った。「伝説に残る試合をする」「ギリギリでやっている所を見て欲しい」
などと散々デカいことを言っていた彼に対する反発から来るものだろう。
確かに柳光には、試合前から右肩を痛めていて得意の右フックがほとんど
打てなかった、という不運があった。しかしプロの世界に言い訳はきかない。

それでもなお、僕は柳光を責める気になれない。いかにボクシングファンとは
言え、僕は所詮ただの傍観者に過ぎないのだ。お金を払って会場に足を運んだ
わけでもなく、留守録しておいたビデオを見ただけだ。

最後のダウンも、あれぐらいのダメージならまだ立ち上がって戦えたはず、と
「根性なし」とまで呼ばれてしまった柳光だが、あれはそれまでのダメージの
蓄積もあっただろうし、そもそも9ラウンドまで一方的にやられていたのだから、
あれ以上続けることに意味があったとも思えない。

ついでに個人的なことを言うなら、僕は徳山選手のファンだ。どんな形であれ
誰が相手であれ、防衛して笑顔を見せる徳山選手が見れただけで一応満足する。
実際、お互いに決定打の少なかった前回のペニャロサ戦より、今回の柳光戦の
方がビデオを見返す回数は圧倒的に多い。あくまで徳山サイドに立ってみれば、
見所満載の実に気持ちのいい試合ではあった。

まあとにもかくにも、世界タイトル4度防衛というのはすごいことだ。日本の
ジム所属選手としては、川島郭志(最終的には6度防衛)以来6年振りの快挙
なのである。最初の世界挑戦はノーテレビだった。世界チャンピオンになっても、
せいぜい「在日」ということで取り上げられる程度だった。それが今や
横浜アリーナである。昔から見ていたわけではないが、実に感慨深いものがある。
実力で勝ち取ってきた成果だ。これからもっともっとビッグになって欲しい。


徳山、4度目の防衛戦

2002年03月20日 | その他
いよいよ今週の土曜(3/23)、WBCスーパー・フライ級タイトルマッチが
行われる。王者・徳山昌守の4度目の防衛戦。挑戦者は元日本&東洋太平洋王者、
世界ランク5位の柳光(りゅうこう)和博だ。

徳山がオーソドックス、柳光がサウスポーという違いはあるが、お互い
テクニシャンで、最近になって攻撃力もつけてきたという点は共通している。
それにしても、この試合の展開は予想しづらい。対戦する当の本人達ですら
「よく分からない」と言っているほどだ。

徳山は相手の出方によって戦い方を変えるボクサーである。だから相手に分かり
やすい特徴がある時は何となく予想も出来るが、今回の柳光もまた、相手の
持ち味を封じる老獪なタイプなのだ。どう出てくるか分からない。

アウトボクサー同士なので、序盤はジャブとフットワークを主体とした主導権争い
になりそうだ。そしてフェイントの掛け合いから、徐々に強いパンチを狙って
いく。こういった展開が続き、お互いディフェンスも良いため決定打を打ち込む
機会はそれほど訪れないような気がする。

奇しくも両者とも「KOで決まる」と予言しているが、実際にはそうならない
可能性の方が高い。つまりは一見地味な展開ながら、非常に緊張感のある技術戦に
なるのではないだろうか。

この試合、なぜか徳山の楽勝を予想する人が多いのだが、僕は必ずしもそうは
言い切れない、と思う。例えば一発いいパンチが入った時の詰めの鋭さは、
連打が出来るぶん柳光の方が上のような気もするし、29歳にして世界初挑戦の
柳光にしてみれば、このチャンスを逃したら次がない、という気持ちでなりふり
構わず勝ちに来るだろうからだ。

また、徳山の「サウスポーは嫌い」という発言も気になる。確かに今まで3度の
防衛中、2人のサウスポーを下してはいるが、その2人(名護明彦、ジェリー・
ペニャロサ)は、共に攻撃力が売りのタイプ。柳光のようなテクニシャンの
サウスポーは、やはり徳山にとってやりづらい相手だろう。

ここまで書いてきても、なお予想は難しい。テクニシャン同士らしくクリーンな
ファイトになるのか、あるいは逆にリズムがつかめず、血みどろの乱戦になる
のか。もちろんKO決着もないとは言えない。お互いKO率は低いが、徳山には
一発で試合を終わらせる右ストレート、柳光には右フックと連打がある。

まぁ結局は、当日を待つしかない。そして月並みだが、とにかくいい試合を
期待したい。両者の戦力には、巷で言われているほど差はないと僕は思っている。
と言うことは、何度も言うようにテクニシャン同士の一戦ではあるが、もしか
したらテクニックではなく「精神力」の勝負になるかもしれない。



リック吉村、37歳の引退

2002年03月10日 | その他
昨日行われた世界戦(小林vsムニョス)の前座カードは、非常に豪華だった。
日本ライト級タイトルマッチでは30歳の嶋田雄大が3度目の正直で悲願の
王座に就き、日本フェザー級タイトルマッチでは王者の州鎌栄一が、
負傷判定ながらハードパンチャーの奥田春彦を下して防衛に成功した。

そしてもう一つ、最も注目を集めたのが東洋太平洋スーパー・ライト級
タイトルマッチ、佐竹政一とリック吉村の対戦だ。

王者の佐竹はここまで5度の防衛に成功、最近メキメキと評価を上げている
サウスポーのテクニシャンだ。対するリックは言わずもがな、あの畑山隆則の
WBA世界ライト級タイトルに挑戦し、終始優勢に進めながらも無念の
ドローに泣いた男だ。日本ライト級タイトルを22度も防衛し、日本記録を
作ったことでも知られている。 

試合自体は戦前の予想通り、息詰まるテクニカルな攻防の応酬に終始した。
畑山戦以来ほぼ一年振りのリング、しかも37歳という高齢のリックだったが、
それほど衰えは感じられない。しかし王者佐竹の出来はそれ以上だった。

絵に描いたようなヒット・アンド・アウェイと、高速のショートカウンターが
冴えまくる。不器用なファイター相手なら分かるが、リックは抜群の技巧派だ。
そのリックに対して、スピードとパンチの正確さで完全に上回って見せたのだ。
サウスポーのテクニシャン、というのはもしかしたらリックにとって最悪の
相手だったのかもしれない。成す術もなく大差の判定負けを喫してしまった。


若い選手なら、まだやり直しも利く。しかしリックは37歳。日本ボクシング
コミッション(JBC)が定める「定年」は、37歳の誕生日までなのだ。
この試合に勝って王座を獲っていれば例外的に現役続行も認められたし、
また米国軍人のリックなら日本のジムを辞め、アメリカで再起することも
出来たのだが、彼は引退を決意した。日本スーパー・ライト級王座に一度、
ライト級王座にも二度就いた、15年近いプロ生活が終わった。

通常、日本タイトルを5度も防衛すれば「世界」の声がかかることが多い。
しかしリックは米国軍人。なかなか日本のスポンサーが付かず、ボクサーに
とって貴重な時間を日本タイトルの防衛にひたすら費やした。
そしてやっと畑山に挑戦するチャンスを掴み、「リックはもう年だから」と
いう周囲の予想を裏切る大善戦を見せた。しかし判定は非情にも引き分け。
「リックが勝っていた」という声も多かったが、結果は結果だ。

こういったことから、リック吉村に「悲運のボクサー」というレッテルを
貼りたがる者もいるが、僕はむしろ、彼は幸運な方だったと思う。
もしリックが層の厚いアメリカでデビューしていたら、国内王者にも
なれなかったかもしれない。だが彼は赴任先の日本でボクシングを始め、
日本王者として防衛を重ねることで世界ランクを上昇させていった。
そしてもし畑山が再起せず、ライト級の世界チャンピオンになっていな
かったら、リックは世界挑戦も出来ずに引退していたに違いない。

リック吉村は日本タイトル22度防衛という金字塔を打ち立て、その洗練
されたテクニックと紳士的な人柄で、日本のボクシングファンの尊敬を集めた。
さらに、全てのボクサーが夢見る世界タイトルの舞台にまで上った。
それは何よりリック自身が、「諦めなければ夢は叶う」という信念を
貫き通した結果でもあったのだが。

彼の不運は、世界戦で引き分けたにもかかわらず、その後のライト級王者が
コロコロと入れ替わったため(畑山-ロルシ-バルビ-ドーリン)、再戦の
機会を失ってしまったこと。そして本来なら上がるべき世界ランクが、
試合をしていないという理由で大幅に下げられてしまったことだ。


しかしそれでも僕は、引退するリックが自分のボクシングキャリアを嘆き、
恨んでいるとは思えない。今はまだ無念さを残しているかもしれないが、
彼は日本ボクシング史に素晴らしい記録を残し、また彼を愛した多くの
日本人の記憶にも残るはずだ。

リック吉村は日本のボクサーにボクシングの神髄を、そしてファンには
夢を諦めないこと、そしてボクシングは国境を越える、ということを教えた
「Teacher」でもあったのだ。

現在は転勤でアメリカに戻り、日本人の妻と一人娘と共に暮らすリック。
願わくばこれからもボクシングに関わり、そのテクニックを若い選手に
伝えていって欲しいと思う。


WBA世界Sフライ級TM セレス小林vsアレクサンデル・ムニョス

2002年03月09日 | 国内試合(世界タイトル)
自分の好きな選手が負けるのを見るのは、いつだって辛い。
しかし文章を書くためには、やはりテープを巻き戻さなければならない。
まぁ誰に頼まれたわけでもないのだが、それでも書かずにはいられない。

セレス小林が、ベネズエラからの挑戦者アレクサンデル・ムニョスに
5度のダウンを奪われ8ラウンドTKO負け、2度目の防衛に失敗した。

こうして結果だけ見ると、ここまで21戦全勝全KOの挑戦者が噂通りの
強さを見せつけ、またKOの数を増やす圧勝で王座に就いた、という
イメージを持たれそうだが、そう書くにはどうも違和感を拭えない。

それはまずムニョスに戦績ほどの凄さが感じられなかったこと、そして
何より、小林の見事な試合振りと、最後まで尽きなかった闘志のせいだ。


確かにムニョスのパンチは強かった。体全体がムチのようにしなり、体重が
乗っているからだろう。身体能力の高さを感じた。ああいうパンチが打てる
日本人はいないだろう。しかしディフェンスは甘く、パンチはラフでスタミナも
ない。つまり穴だらけの選手だった。言い換えればその穴を攻撃力で埋め、
力で無理矢理押し切ったに過ぎない。

小林がガード主体のディフェンスだったのも幸いした。あの破壊力なら、ガードの
上からでも効くだろう。もしスウェーなどの「当てさせない」ディフェンスが
出来る選手、例えばWBC同級王者の徳山昌守なら、ムニョスのパンチをかわし
続け、ジャブで翻弄して判定勝ちするのではないだろうか。

小林があれほど倒されたのは、ムニョスにとって相性の良い相手だったから
だろう。先に挙げたディフェンススタイルの相性。また、緻密に試合を組み立てる
小林に対し、ひたすらラフな壊し屋ムニョス。ムニョスは予想されていたほど
「天才」でも「怪物」でもなく、王座は恐らく短命に終わるだろう。


この試合をムニョスのワンマンショーにさせなかった、小林の頑張りも特筆すべき
だろう。ムニョスのハードパンチで何度も倒されながら、最後まで諦めず立ち
上がって攻め続けた。あんなに立ち上がれる選手はそうそういないだろう。

また決して一方的にやられたわけではなく、小林もボディを中心にムニョスに
ダメージを与えていた。ピンチの際に大振りになってしまったことは悔やまれ
るが、あと一発か二発いいパンチが入っていたら、ムニョスが倒れていたという
場面さえあった。小林は最後まで小林らしかった。本来の緻密な攻めを捨てて
玉砕戦法に出たにもかかわらず、僕にはなぜかそう思えた。

それは小林の最大の魅力である「最後まで勝負を投げない」という点を改めて
見せつけられたからだろう。あの危険な打ち合いも、相手のラフな戦法に
「このままでは潰される」と判断した小林が取った起死回生の手段だったはずだ。
結局それは成功せず打ち倒されたわけだが、小林本人も「勝負に行って倒された
のだから仕方ない」と試合後に話している。その点については悔いはないようだ。


今回はムニョスのパンチ力と身体能力に敗れたような形だが、戦略面では決して
負けてはいなかったと思う。あともう一つ二つの上積みが出来れば、勝てない
相手ではない。29歳という年齢のこともあり、そう簡単にはいかないかも
しれないが、出来ればまた世界の舞台で小林のボクシングを見てみたい。