ボクシングレヴュー

「TM」はタイトルマッチ、階級名につく「S」はスーパー、「L」はライトの略です。

輪島功一という「生き様」

2001年02月28日 | その他
先日、輪島功一さん(以下敬称略)のビデオを買った。

輪島は1971年、世界ジュニア・ミドル(現在はスーパー・ウェルターと
呼ばれる)級のチャンピオンになった。今もそうだが、日本人のボクサーと
言えば軽量級が多く、ウェルター以上のクラスの選手層は極めて薄い。
そして逆にこの辺りのクラスは、世界的にはとても層が厚く、強豪揃いだ。
そんな中でチャンピオンになるだけでも凄い事なのに、輪島はその王座を
実に6度も連続防衛し、さらにその後2度も王座に返り咲いている。

7度目の防衛戦でオスカー・アルバラードにKO負けした時点で、輪島31歳。
恐らくほとんどの人が引退するものと思っただろうし、仮にここで引退しても
輪島の功績は後々までボクシングファンに称えられたことだろう。
しかし輪島がボクシングファンのみならず、多くの日本人の心に残るヒーローと
なったのは、むしろその後のことのように僕には思える。

2度の返り咲きを果たしたが、その王座はいずれも防衛できずに終わっている。
また試合内容も、全盛期とは比べるべくもない。本来トリッキーでスピーディーな
動きが持ち味だった輪島だが、この頃にはひたすら前進して距離を詰め、
愚直にパンチを振り回し続ける不器用なスタイルになってしまっていた。
そんな輪島を、なぜ人々は支持し続けたのか。

「ボクシングは結果が全て」とよく言われる。確かに輪島も、返り咲きという
結果を出したからこそ支持されたという部分はあるだろう。しかし最も大事
なのは、観衆の心を揺さぶるような試合をするかどうかという点だ。
負けてなお人々に感動を与えられるボクサーは少ない。しかしそういうボクサー
こそが、カリスマとなり熱狂的な支持を得ることができるのだ。

無残にKO負けしながらも、痛んだ体を引きずりながら果敢に「挑む」。
そんな姿をファンに見せるのは、もしかしたらボクサーとしては恥ずべきこと
なのかもしれない。しかしそれは言い方を変えれば、「ボクサーという枠を
越える」ということでもある(良い意味でも、悪い意味でも・・・)。

ボクサーとしていい記録を残す。それだけでは、ボクシングファンからの
評価しか得られない。そうではない、普通の人たちにまで名前を知られ、
感動を与えられるのは、ボクサーの枠を越えた者だけなのだ。
30代の輪島に、同世代の人たちが共感し、声援を送る。彼らが見ていたのは
「ボクサー輪島」ではなく、「人間・輪島」の生き様だったのではないだろうか。

結果は大事だ。しかし結果が「全て」ではない、と僕は思う。


東洋太平洋Sフェザー級TM タイガー・アリvs杉田竜平

2001年02月25日 | 国内試合(日本・東洋タイトル)
2月25日(日)、ボクシングファン歴3年にしてようやく、初めて「生」で
試合を観戦した。名古屋国際会議場で行われた、東洋太平洋スーパー・
フェザー級タイトルマッチ、タイガー・アリ対杉田竜平戦だ。

貧乏&ケチな僕に何故そんなことができたかと言うと、ある方のご好意により
超格安でチケットを手に入れたからだ。しかも前から5列目という素晴らしさ。

本当は友人と2人で行く予定だったのだが、彼がなんと出発30分前に
ケガをしてしまうという不運に見舞われたため、結局一人で出かけた。
そういったアクシデントのせいもあり少し遅れて入場したため、既に
前座の試合が始まっていた。

名前も知らない4回戦の、しかもフライ級なのに、初めて生で見る
プロボクサー同士の打ち合いは凄い迫力。思わず「死んじゃうよ・・・」と
心の中で叫んでいた。

会場の雰囲気に慣れた頃には、10回戦の、僕もテレビで見たことがある
選手たちの試合が始まった。リング上だけではない。客席にも、現役選手や
引退した元選手などが数多くいて、僕はもうドキドキしてしまった。

例えば大塚陽介や長嶋健吾といったホープたちが、普通に僕の席の近くに
座っていたり、休憩の時にロビーに行けば、先ごろ引退したばかりの
元世界ランカー、安部悟さんがいたり。極めつけは、元世界チャンピオンの4人。
杉田のジムの会長である畑中清詞さん、テレビ解説の渡嘉敷勝男さんに
薬師寺保栄さん、さらに来賓席には飯田覚士さん。

ところで肝心の試合のほうだが、セミファイナルには東洋太平洋フライ級
チャンピオン、中野博選手がノンタイトル戦で登場。見事なKO勝ちを収めたが、
KOされたタイの選手は5分ほどリング上に大の字になったまま起き上がれず、
勝った中野選手より、そっちのほうが心配で気になってしまった。

そしてメインの試合、惜しくも杉田は判定で敗れタイトル奪取ならなかったが
とても白熱した打撃戦で、場内も凄い歓声に包まれていた。あっという間の
12ラウンドだった。

ちなみにメインの次に場内が沸いたのは、スーパー・フェザー級10回戦、
中村金造と中村徳人の同姓対決。日本ランキング3位の金造選手に対し、
ノーランカーの徳人選手が臆することなく真っ向から打ち合い、10ラウンドが
終わった瞬間に大きな拍手が2人に降り注いだ。

全ての試合が終わり、しばらくボーッと立ち尽くしていると、何と僕の
すぐ横に飯田さんが立っていた。何とか一緒に写真を撮りたかったが、
緊張して声を掛けることすらできなかった。
その他にも試合後には、世界ランカーの浅井勇登選手や緑ジムの松尾会長も
至近距離で見かけたが、またも声は掛けられず。

そうして更に立ち尽くしていると、背後から突然フィリピン人の団体が
歩いてきた。その中に、今さっき杉田選手との試合を終えたばかりの
タイガー・アリ選手がいるではないか。何となく話し掛けやすそうな空気
だったので、思い切って英語で「写真とっていいですか?」と聞いてみたら、
チャンピオンは英語がよく分からないらしく、隣にいた奥さんらしき人が
代わって「OK」と言ってくれた。

生まれて初めてのボクシング観戦で、生まれて初めて撮ったボクサーとの
2ショットが、フィリピン人のチャンピオンだったなんて、何か僕らしい
なあ、と帰りの道を歩きながら可笑しくなってしまったのであった。


WBA世界ライト級TM 畑山隆則vsリック吉村

2001年02月17日 | 国内試合(世界タイトル)
試合直後は、煮え切らない思いだった。「リックの勝ちでは?」
という考えも頭をよぎっていた。しかし一晩考えて、やはり引き分け防衛
は妥当だった、という結論に達した。

試合前。チャンピオン・畑山は、「世界と日本のレベルの違いを教えて
やりますよ」と語っていた。僕はそれを、技術的なレベルの違いのことだと
思っていたのだが、実際にはそういう意味ではなかったのだ。

テクニックの面では両者に差はない。むしろリックの方が上かもしれない。
そんなことは畑山も当然分かっていた。本来彼は技術的にそれほど色んな
事の出来る選手ではない。彼の言う違いとは、「経験」である。

数字だけ見れば、キャリア13年で44戦のリックと、7年で27戦の
畑山、経験でもリックが上のような気もするが、リックのキャリアは
あくまで日本タイトル(22度防衛)のレベル。対する畑山は、世界の舞台で
何度となく闘ってきた。ここに大きな違いがあった。

確かにリックは老獪なクリンチワークで、畑山の最大の持ち味である
接近戦を見事に封じて見せた。効果的なパンチも幾つかヒットさせた。
しかし今回のリックはチャンピオンではない。挑戦者なのだ。
それはスタイル云々の問題ではない。ベルトを獲るには、もっともっと
アグレッシブに行かなくてはいけないのだ。

具体的に言えば、拮抗した勝負では、終盤、すなわち11、12ラウンドを
明確に取らなければ挑戦者は勝てない。リックにはそれが出来なかった。
ジャッジの採点なんてあくまで主観的なものだから、ある人がリック優勢
とつけたラウンドも、他の人には畑山優勢、と映るかもしれない。
そして終盤、リックが取るべきポイントは、逆に畑山が奪っていった。

最近の例では、星野敬太郎が世界を獲った試合を思い出して欲しい。
本来「受け」のボクシングを得意とする星野が、危険を覚悟でガンガン
前へ出て行った。そして最も大事なのは、終盤をきっちり押さえたことだ。
僕は星野が大差で勝ったと思っていたが、意外にも判定は小差だった。
12ラウンドを取っていなければ、負けていたかもしれないのだ。

畑山自身、崔龍洙に初めて挑んだ世界戦で、11、12ラウンドを
落としたばっかりにドローで涙を飲んだ苦い経験がある。その他にも
崔との再戦、ソウル・デュラン戦など、彼は薄氷を踏む思いで「世界」と
戦ってきたのである。世界レベルで圧勝できるほど、彼は強いボクサーでは
ない。彼の強みは、その事、つまり自分の弱さを充分知っていることだ。

だから畑山は、常に挑戦者のように前へ出る。ゴングが鳴ると同時に、
十字を切ってリングの中央に駆け出して行く。数々の苦い経験が、
本能的に彼を12ラウンド休みなしで前進させ続ける。そう、苦い経験。

日本・東洋レベルでは無敵だった彼が、世界ではベルトを獲ったり
獲られたり、涙を飲んだりギリギリで踏みとどまったり、その度に
持ち上げられたりボロカス言われたり、随分プライドを傷つけられてきた。
そんな事を繰り返してここまでキャリアを重ねてきたのだ。

加えて言えば、老獪さでも畑山は負けていなかった。リックのホールドや
バッティングに対する、露骨なまでの反則のアピール。実際にはそれほど
ひどいものではなかったし、反則と言うなら畑山もローブロー気味のパンチや、
クリンチ際に放つ後頭部へのパンチなどを打っていたのだが、あの露骨な
アピールが効を奏してか、レフェリーには見逃されていた。

リックはよく守ったが、挑戦者として、攻めのアピールが足りなかった。
片や畑山は終始攻め続けたが、効果的なヒットを上げることはできなかった。
姿勢やスタイルは違うが、両者攻めきれなかったという点を考えると、
やはり引き分けは妥当だと思う。

繰り返すが、両者に実力的な差はなかった。ただ一点、リックの不運が
明暗を分けた。それは、あまりに長く日本タイトルを守り続けてきて
しまった、という不運である。国内で自分の強さを見せ付け続けてきた
リックと、世界で自分の弱さを見せ付けられ続けてきた畑山。

そう言えば坂本戦の前、畑山はこう言っていた。「彼(坂本)はパンチがある、
僕はパンチがない。彼はアゴが強い、僕は弱い。だから勝てるんです」
モハメド・アリの言葉もある。「あまりに勝ちつづけたボクサーは弱い」

確かに試合自体は、かみ合わせの悪い、煮え切らない内容だった。
坂本戦のインパクトが強かったので、今回の試合には落胆したのも事実だ。
しかしそこには、両者のボクサー人生の綾が複雑に交錯していた。
その意味では、大いに考える所のあった名勝負、だったのかもしれない。

だからこそ、坂本戦の時にも書かなかったこんな長い文章を書いて
しまったのだろうし・・・。まあ名勝負は言い過ぎだとしても、だ。