ボクシングレヴュー

「TM」はタイトルマッチ、階級名につく「S」はスーパー、「L」はライトの略です。

WBA世界Sフライ級TM アレクサンデル・ムニョスvs小島英次

2002年07月31日 | 国内試合(世界タイトル)
ボクサーにとってキャリアというのがどれだけ重要なのか。
あるいは、どういう条件があればキャリアがなくても勝てるのか。
今回の試合ではそのことを考えさせられた。

例えば、一発当たれば全てが終わってしまうような強打を持った
選手なら、運が良ければ1ラウンドで勝負を決めてしまうかもしれない。
その場合、キャリアというものは全く関係なくなる。つまり、
飛びぬけた才能を持った人間だけは、例外的にキャリア不足を補えるのだ。

小島にはそうした強打はなく、むしろテクニックで勝負するタイプだ。
小島が落ち着いて本来の力を発揮していれば、試合はもう少し長引き、
ともすれば王者を苦しめることができたかもしれない。彼はそれだけの
ポテンシャルを持ったボクサーだと思う。

しかし小島は初回から浮き足立っていたようだ。戦前は、持ち味である
足を活かし、ムニョスの強打をかわして後半勝負、と語っていたが、
逆に小島がムニョスを追う展開となり、結果としてカウンターを浴びて
しまった。小島とすれば、最も避けたいパターンだったはずなのだが・・・。

これは、先日世界戦を戦った長嶋健吾にも言えることだ。長嶋のスタイルを
考えれば、例えどんなに実力差があったとしても2回でKOされるなどと
いうことは有り得ないはずだ。これも本来の自分を見失い、打ち気に
はやった結果なのだと思う。戦績だけ取れば立派なものだが、長嶋には
世界レベルの舞台での経験が全くなかったのだ。

キャリアを積むことにより、大舞台でも冷静さを保てる。また、ピンチに
陥った際にも対処ができる。これは仕事をしている人なら誰でも思い当たる
ことがあるだろう。一度失敗をしておけば、次に同じミスをした時にも
対処法が分かる。やるべき事がしっかり体に染み込んでいれば、多少
忙しくなっても体が勝手に動いてくれる。

ただ、小島には決してここで終わって欲しくない。わずか5戦目で
東洋太平洋王座に就き、世界挑戦経験者を2人も破っているのだ。
優秀なボクサーであることは間違いない。キャリアを重ね、いつか悲願を
達成してほしい。


WBA世界ミニマム級TM 星野敬太郎vsノエル・アランブレット

2002年07月29日 | 国内試合(世界タイトル)
星野敬太郎が、またしても微妙な判定で王座を失い、引退を表明した。
あのチャナ・ポー・パオイン戦と全く同じ状況だ。

見方によっては星野の勝ち、あるいはドローでもおかしくなかった
かもしれない。少なくとも、6ポイント差で負けはないだろう。
そう憤った人も多かったはずだ。しかし、各ラウンドごとに必ず優劣を
つけなければならないラウンドマスト制が採用されている現在の
採点基準では、挑戦者の元王者ノエル・アランブレットの手数が、
「あえて採点するなら」多くのラウンドで印象点を稼いでいても
不思議はない。勝敗はどうあれ、一つ確かなのは、星野は前回の
ガンボア小泉との再戦のような、スカッとしたファイトを見せられ
なかったということだ。

あの試合があまりに素晴らしかったために、我々はますます星野に
「鉄壁のテクニシャン」というイメージを持ってしまった。
しかし、好戦的なスタイルのガンボアは相性的に非常に星野と
噛み合う選手であり、アランブレットやチャナのような星野と同タイプの
選手、つまりテクニシャンと対すると、お互いがお互いの持ち味を
殺し合っての凡戦に終始してしまう。それも無理からぬことだ。
テクニシャン同士の対戦なら、そのテクニックで相手を上回らなければ
ならない。残念ながら星野にはそれが出来なかった。

しかし世界レベルのテクニシャンを相手にほぼ互角の勝負をしたのだから、
やはり星野が日本屈指のテクニシャンであることは間違いない。
一度は世界を諦めた選手が、ニ度も世界王座に到達することが出来た。
充分すぎるほどの実績と言っていいだろう。しかし、やはり引退は惜しい。
派手なパンチが交錯する肉弾戦ではなく、駆け引きや防御など技術で戦う
ことの面白さを、もっともっと我々に知らしめてほしかった。


ボクシング人気向上のために

2002年07月09日 | その他
昨今「ボクシングの人気向上を!」という声がファンの間でよく聞かれる。
しかし、どうすれば人気が回復するのか、僕には明確なアイディアがない。

「人気がない」という表現は、比較の対象が曖昧だ。K-1と比べて?
20年前のボクシング界と比べて? そもそも、人気って何だろう?
まあ確かに選手の名前も一般にそれほど知られているとは言えないし、
スポーツ紙やテレビのニュースでの扱いも小さい。
                
今の時代、「世界戦だから全国放送は当然」という姿勢は奢りでしかないと
思う。テレビ局にとっては所詮「ソフト」の一つに過ぎないのだ。
バラエティ番組と同じで、スタートは深夜から。そして人気の向上に伴って
ゴールデンタイムに進出、というのが正しいあり方の例だと思う。

ボクシングは色々な意味で不確定要因の多いソフトだ。仮にある世界王者の
ファンになったとしても、その試合が見られるのはせいぜい年3回、しかも
いつ行われるのかもはっきりしない。そして内容だって素人好みの「壮絶な
打撃戦」ばかりではなく、技術戦や凡戦だってあり得るし、せっかく2時間枠を
取っても1分で試合が終わる場合もある。あまりにリスクが大きすぎるのだ。

そもそもボクシングという競技自体、かなり好き嫌いが分かれるスポーツだと
思う。殴り合いや流血戦を毛嫌いする人もいるだろうし、だからと言って
おとなしい試合ばかりでもファンは増えない。

世界王座を3度も防衛すれば、立派なチャンピオンと言える。しかし3度では、
ようやく世間に名前を知られるようになった、という程度なのが実情だ。
もっと長く防衛するか、よほどインパクトの強い試合をしないと、すぐに
忘れ去られてしまう。構造上、安定した人気を得るのが非常に難しいスポーツ
なのだ。

つまり、世界王者になってから名を売っていたのでは遅い、ということになる。
その前から積極的にメディアに出て、「近い将来僕は世界チャンピオンになり
ますよ、覚えといてね」とアピールすることが必要だと思う。

ゴールデンタイムは言わば浮動票の時間帯だ。ただボクシングの能力が高い、
というだけでは人気を集めることは難しい。言い方は悪いが、下世話な共感を
呼ぶ話題作りも必要だろう。幼い頃に両親が離婚したとか、大怪我を克服した
とか、昔はすごい不良で親に迷惑をかけたが今はボクシング一筋、とか。

要するに幅広い人気を獲得するには、あえて泥を被るように、そういった
下らない策略に自らを巻き込まなければならないのだ。それをするもしないも
選手の自由だし、逆にそういったことを避けて人気者になろうというのは虫が
良すぎる話だ。

だから僕は、ボクシング界の現状は決して悪くないと思っている。畑山隆則の
ように、さかんにテレビに出て自分をアピールしたり、話題性のある試合を
上手に作り上げたりすれば、それなりの知名度が手に入るし、そういうことが
苦手な選手は、それなりの知名度しか得られない。ごく真っ当な理屈だ。

辰吉丈一郎のようなカリスマ性を持った選手が出てくるのは、ごくまれだ。
言ってみればそれは例外のようなものだ。カリスマを待つばかりではいけない。
やはり人気を得るためには、宣伝を上手にすることが大切だと思う。

それから、いつまでもテレビ局に頼っていてはいけないとも思う。これからは
恐らく日本でも、自分の見たい番組に直接お金を払うスタイルが主流になる
だろう。そうなれば、最も大事になるのは根強くボクシングを支持してくれる
ファン層である。「いい試合を組む」という基本的なことも決しておろそかに
してはならないのだ。


何だか全くまとまりのない文章になってしまった。