1345話)私のこどものころ 共同井戸

 共同井戸 私が中学生のころでしょうか。それまでは各家に井戸があったのですけど、小域の上水道が設けられることになったのです。衛生問題を考えた上からの一律の決定だったんでしょうね。私たちの村落では、大人たちが何度も何度も寄り合いをもち、近所の家の井戸を拡張し、その水をつかうことになりました。 専門の業者もはいったと思いますけど、村の人たちが作業員になったと思います。深さもずいぶん深くし、採取でき . . . 本文を読む
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1344話)水

 水 実家では長く井戸をつかっていました。直径80cmくらい、深さは5~6mあったでしょうか。底に1mくらい水がたまっていました。私が幼いころは釣瓶で水を汲んでいました。10Lくらい水がはいるブリキ製のバケツを滑車を通したシュロ縄で釣りおろして、水をいれ、それを引き上げるわけですね。釣瓶をじょうずに落として、水をいれるのにはコツがいりました。汲みあげるにも力がいったのです。その縄も自分の家でなっ . . . 本文を読む
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1343話)私のこどものころ 鯨

くじら 動物性蛋白質としては、鯨にはずいぶん助けられているはずです。でも、その肉についての記憶が抜け落ちています。あるのは鯨の皮。1㎜弱くらいの黒い表皮があり、その下に数センチの白い皮下脂肪がある。塩漬けのかなり大きなブロックを買ってきて、保存していました。 小さく薄く切って、味噌汁の実にしていました。お椀のなかに3~4切れが入っていて、表面に脂がわずかに浮いています。それが好物だったんですね . . . 本文を読む
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1342話)私のこどものころ 卵

 卵 私がこどものころ、鶏を何羽か飼っていました。私のおばあちゃんの担当。最初は放し飼いです。エサもやってましたけど、敷地内のあちこちをつっつき回していろんなものを食べていました。猫が襲わないよう、おばあちゃんが猫を雛のそばにつれていき、猫の頭をたたいていました。そうやってしつけるのだそう。たたかれる猫はかわいそう。 卵を好き勝手に生みます。なにかの物陰から20個ほどがまとまってみつかったこと . . . 本文を読む
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1341話)私のこどものころ 肉

 肉 家畜とペットのちがいはなんでしょう? ペットには名前をつけますが、家畜にはそれをしません。農家では犬や猫もそれぞれ重要な役割があり、ペットとはいえませんけど、名前がついていました。兄が猟犬として飼ったイングリッシュセッターはジョン、私が拾ってきた雑種はチビで、猫はミケ、マダなどと毛色にもとづく名がついていました。 馬、牛、山羊、鶏などもいましたが、名はありません。小さいころ、私は山羊の担 . . . 本文を読む
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1340話)私のこどものころ くちなわ(ヘビ)

 くちなわ(ヘビ) 前回の投稿について、大西敏一さんから昆虫は食べなかったか、というコメントがありました。食べたのは、カミキリムシとアシナガバチの幼虫で、前者はあぶって食べると、とても香ばしくておいしいのです。栄養があるといって、親たちが食べさせました。後者はこどもたちが遊びで、生のまま飲み込むのです。 ほかになにか変わったものを食べたか考えたところ、くちなわがあります。ヘビ。一帯にいたヘビは . . . 本文を読む
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1339話)私のこどものころ 雑魚汁

 雑魚汁 川や池にいる魚もいろんなものを食べました。冬になると池の水を抜いて、コイやフナをつかまえることは以前に書きました。毎年、ため池の水面権が入札にかけられ、落札した人がコイの稚魚を買ってきて放すんですね。フナは自然繁殖。冬になるとそれが大きく育っています。 実家のまえに池があり、一年中濁っているので濁り池と呼ばれてましたけど、そこに水草が茂りすぎたのです。太陽光が水中に入らず、水温が上が . . . 本文を読む
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1338話)私のこどものころ ヨボリ

 ヨボリ  ネコがさかなについて書くと、一回では終われません。父親はよくヨボウにいっていました。ワクチンではありません。どうも夜ボリのようで、暗くなってからカーバイトランプをもって、海に行くんです。そして、いろんなものをつかまえる。  いちばん目当てにしたのはタコで、川で捕まえたモクズガニを竹竿の先につけ、それで海岸の岩のきわをさぐると、カニを狙ってタコが出てくる。それをカギにひっかけてつかま . . . 本文を読む
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1337話)私のこどものころ さかな

 さかな 最初に書いたように、日本海に近かったので、いつも魚を食べていました。この歳になってもネコです。行商のおばさんがしょいこ(背負子)を背負って、魚を売りにきます。数キロ離れた小さな町までいけば、魚屋さんがありました。上等な魚ではなく、たいていはイワシ、サバなどの大衆魚。 その影響でしょう、いまでもイワシがいちばんすき。それもカタクチやヒラゴといった脂が乗るまえの小さなイワシ。先日も4キロ . . . 本文を読む
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1336話)私のこどものころ どぶろく

 どぶろく 私の育った村には高見という名字が何軒もありましたので、ふつうは屋号で呼びあいました。私の家はショーチヤです。「ショーチヤのお兄ちゃんはいい子だけど、弟はわるい」というふう。焼酎屋です。数代前まで村内の焼酎をつくっていたそう。残骸の真鍮製の蒸留器が物置に残っていました。 わが家は代々、酒とのたたかいの歴史だったようです。父親が呑んべで、学校にいけなかったので、自分は呑まないで、こども . . . 本文を読む
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1335話)私のこどものころ トマトケチャップ

 トマトケチャップ 私がまだ小学生のころ、実家の一帯でトマト栽培がブームになりました。いまふつうに生食するトマトではなく、直径5㎝×長さ7cmくらいの細長い果実で、ケチャップトマトと呼んでいました。どこかの企業の契約栽培のようなかたちで広がったのかもしれません。 どこの村でもこのトマト栽培に取り組みました。メダケというのかな、直径1~2㎝の笹竹が、川の土手、道路わき、ちょっとでもすき間かあれば . . . 本文を読む
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1334話)私のこどものころ 芋飴

 芋飴 しょっぱいものの次は甘味です。さすがに砂糖までは自分ちでつくっていませんでした。そのかわりが芋飴です。原料はサツマイモ。直径1m以上もある鉄の大鍋があって、それで芋を煮ます。 それに先立って麦を発芽させます。麦芽ですね。どんな種類の麦だったか記憶にないんですけど、とにかく麦です。その酵素をつかってサツマイモの澱粉を糖に換えるわけです。それを先ほどの鉄鍋でぐつぐつと煮詰めます。 どろっと . . . 本文を読む
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1333話)私のこどものころ 味噌

結婚することになって、初めて現つれあいが私の実家に行って、食べ物で驚いたことが2つあるといいました。1つはお茶が甘かったこと。これについては機会を改めます。もう1つが味噌汁の味がちがったこと。 そのころはまだ麦味噌だったのです。そのときの味噌が自家製だったかどうか判然としませんけど、私が家にいるころはたいてい自分ちで作っていました。 養蚕場と呼んでいる別棟の板敷きにムシロをしいて、そのうえに蒸 . . . 本文を読む
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1332話)私のこどものころ 塩

 塩 ほんとに久しぶりに『中国生活誌~黄土高原の衣食住』(大修館書店、1984年)を読みました。羅漾明さんと竹内実さんの対談で、羅漾明さんが大同の西隣り、現在の朔州市朔城区の出身なのです。子どものころの風俗習慣が克明に語られていて、大同での活動ではほんとに助けられました。 それをみていて、そうだ、自分でも自分の子どものころのことを書いてみたい、と思い立ったのです。いつまで、つづくことか。 私 . . . 本文を読む
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1267話)一時は全滅かと思ったんですけど

1262話で発芽して本葉が1.5枚ほどになったブロッコリー苗の胚軸を切断して、挿し芽する育苗方法について書きました。8月5日のことです。 だいたい1週間から10日で発根するので、それまでは日陰においたものを、だんだんと日照にならしていきます。これまでの経験だと、90%以上が活着したのです。 ところが今年はこれまで経験したことのない酷暑です。(私のばあいは国外にいることが多かったので発言権はない . . . 本文を読む
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