1337話)私のこどものころ さかな

 さかな

最初に書いたように、日本海に近かったので、いつも魚を食べていました。この歳になってもネコです。行商のおばさんがしょいこ(背負子)を背負って、魚を売りにきます。数キロ離れた小さな町までいけば、魚屋さんがありました。上等な魚ではなく、たいていはイワシ、サバなどの大衆魚。

その影響でしょう、いまでもイワシがいちばんすき。それもカタクチやヒラゴといった脂が乗るまえの小さなイワシ。先日も4キロ離れた魚屋にさがしにいったんですけど、ありません。しかたなく鯛のアラを買って、毎朝、少しずつ食べています。鯛も切り身に興味はなく、すきなのはアラだけ。

魚はやっぱり鮮度ですね。父親はよく「つくる、やく、にる、すてる」といっていました。煮るのは捨てる前だというわけです。その信念はゆるがず、さかなの缶詰にはけっして手をだしませんでした。

子どもが釣ったり、突いたりしてくる魚もよく食べました。方言でモズといっていたのはアイナメ(アブラメ)、ボッカはカサゴ(ガシラ)、クロアイ(メジナ)などです。ナギッチョてのもありましたが、あれはなんでしょう?

夏になると父親が友人たちと漁船を借りて、アカチコ釣りにでかけました。キジハタ(アコウ)ですね。あれはおいしかった!たくさん釣ってきて、食べきれないので、炙ったものを干して保存食にしていました。

おもしろいのは、そういう海の魚は日常の魚で、川や池の淡水魚がハレの魚だったことです。灌漑用のため池を冬に干し、コイやフナ、そしてウナギなどをつかまえて、どこかに活かしておき、村祭りのときなどに親戚中が集まって食べていました。もちろんそのときにどぶろくがでます。

でも、みんながくるまで移動するようになり、しかも酔っぱらい運転に厳しくなると、その習慣もなくなったようです。
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