田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

精神科女医のつぶやき/産経 もはや「鳩」の耳に念仏

2015年03月26日 | 宗教その他
 産経から2ちゃんねるへの転載記事だ。書きたいのは精神科女医のことでも「鳩」でもなく「他人の意見を聞かない人」のことである。※ 青字の部分を精神科女医が書いていました。

 他人の意見を聞かないのは、自分のプライドを守るためであることが多い。自分のほうが上なんだということを相手に見せつけるため、つまり自分自身の優位性を誇示するために、他人の意見を聞かないわけである。
そうそう、まさにそうです。このとおりです。

 こんな人が二人、三人、複数人いたら、サル山のサル状態になる。身方に引き入れるために餌を見せたり、食い気の無いサルには牙を見せる。身に迫った問題そっちのけに、走り、吼え、赤い尻を見せびらかすのだ。サル山のサルの話しだが、他人の意見を聞かない人達にもあてはまる。さらに精神科女医は続ける。

 こうした勘違いに拍車をかけるのが、自分は特別だから他人の意見に耳を傾ける必要なんかないという特権意識であり、同族会社のワンマン社長とか、個人病院の御曹司だ。と言っているが、それだけじゃない。羞恥心が失われた高齢者の中には、ただただ誇れるものは過去の栄誉とばかりに、勤続年数やら、退職時の役職、さすがに軍人階級を言う者はいないが、何かの段位を言い始める。「それらとアンタの脳みそとは無関係」と諭してあげたいが、他人の意見を聞かないことは明白だし、言ったものなら噛み付きに来る。さらに精神科女医は続ける。

 厄介なことに、自分にやましい点があるとうすうす感じていながら、それを認めたくないとか、認めるわけにはいかないという状況に置かれていると、自己正当化せざるを得ず、一層意固地になる。そのような人達は認めるわけにはいかず、少しだけ認めて怒らせないように小細工する。あっちもこっちも怒らせないようにする。奴らはそれを『根回し』と勘違いしている。こんな人になるのなら、人里離れたけわしい山の孤高のサルになりたいとオイラは思うのだ。


地下鉄サリン事件から20年 天宮処凛さんの場合

2015年03月25日 | 宗教その他
 天宮処凛(かりん)さん(1975生)が語っていました。彼女と私の娘は同年齢。地下鉄サリン事件は二十歳だった。娘は大学生、天宮さんは不安定なフリーター生活、娘は成人式に着たスーツが派手だったそうで、友人から「お水?」って聞かれたことを、まんざらでもないと言っていた。高価な晴れ着をまとうより、バイトで稼いだお金で、自分好みな派手なスーツを着ることで、子供から大人になったのだろう。反面、天宮さんは物質主義の世の中で傷ついていたそうだ。
 
 雨宮さんは言う。「自分がばかにされていると多くの人が感じる社会では、個人の暴発が起きやすい。オウム的なものやテロを減らすには、社会そのものの信頼を取り戻すしかない」今、貧困や労働の問題を積極的に社会へ訴えるプレカリアート運動に精力を往き、日本社会の在り方を問い続けている。

 プレカリアートとは、失業者やニートも含め、フリーター、派遣、請負などの不安定雇用層全体を指す言葉で、彼らを中心に運動が大きな広がりをみせている。90年代中盤ぐらいから、若者の雇用は厳しく、何かおかしいと感じていても、その原因が社会的に明らかにされることは無く、フリーターは周りからのバッシングに晒されるのは今も同じ。
 
 雨宮さんには、オーム真理教は日本が捨ててきた精神的なもの取り戻す宗教に見えたそうだ。雨宮さんは右翼思想に『脳みそを丸投げ』して楽になり、オームに身を投じた若者と、このことに関して共感でしたそうだ。
 
 宗教と距離をおいている私達、成人した娘や息子は決して楽な道を歩いているのではない。今まで何世代も繰り返してきた、育児や教育、進学にまつわる費用や恋愛、結婚、親の介護、必ず訪れる親の死などを受け止めてきたのだ。悩んで立ち止まっていられなかったのが現実だろう。走り続けなければならなかったが、決して考えていなかったのではない。オーム真理教やエホバの証人とはまったく無関係な人達も充分悩み、考えていると思う今日この頃である。

右京さんのように「小さなことが気になる」私の癖デス

2015年03月24日 | PC、趣味
 小さなことが気になります。先日プリンタを購入しました。壊れたプリンタは、1万数千円で十中八九修理できるのですが、そろそろ限界のヘッドの寿命を考えました。それならば、追い金1万の2万2千円で、買い貯めインクが使える新品後継機を買うことにした私です。さらにお金を払ってまで修理などとは毛頭考えませんが、①なぜあのような故障が起きたか②私で修理はできないものか・・・・気になり始めました。どうせ廃棄するなら、壊れて元々、自分で修理できないものかと気になるのです。
 
 昔々、MJ-5000Cなるエプソンプリンタを私のクラスの専用機にしていました。インクも箱買いしてあり、思う存分使うことができました。そんなMJ-5000Cでしたが、顧客の社長室にも同型機がありました。社の引越しの際、不用になったとのことで、タダで頂けました。とても使いやすいプリンタでした。欠点はヘッドのインク詰まりでしたが、ネットで修理方法が公開されていましたので、ヘッドを外して水洗いしました。この作業が以外と楽しい思いです。
 
 そんなわけで、故障したPX-1001の紙の排出を調べてみます。ネット情報は皆無、メーカーに質問してみます。 
---------------------------------------------------------------
EPSON御中
当方A3インクジェットプリンターを継続使用してきました。
使用製品名 MJ-1050V2 MJ-5000C PM-2200C PX-1001
使用経過  MJ-1050V2は途中ヘッド交換修理 廃棄
      MJ-5000C,PM-2200Cは修理対応期限超えまで使用、廃棄
      PX-1001は修理対応期限内に故障(質問する機です)
PX-1001の故障のあらまし
本来の仕事とは別にポスター印刷を試みたが、1枚目しか印刷せず2枚目以降は紙を排出し続けて割付印刷ができなかった。その直後には1枚印刷はでき、業務に差し障りはなかった。数日後、上記が原因か解らぬが、1枚印刷においても排出するようになり、プリンタとして使えなくなった。修理基本料金、ヘッドの耐久度を考え、修理せずPX-1004を購入した。

質問
1-「印刷を開始」クリックで「紙の排出」がなぜ起こるのですか?。
2-そちらへ送ることなく、私自身で修理できぬか?。壊れること覚悟の上。
           以上です。回答よろしくお願いします。
---------------------------------------------------------------
送りました。回答がありましたら公開します。あるかなぁ・・。

朝刊記事;医療の限界を知ろう

2015年03月23日 | 日記


 病院嫌いな私ですが、近頃はそこそこ気にしています。気にする理由は、『健康で死のう』と思うようになったからです。
 
 若い頃肥満体であった母は「太って血圧の高い私は長生きはできない」と口癖でした。そんな母でしたが、変形性膝関節症の持病はあったものの、ホームドクターの言う「心臓病」や「高血圧」を起因とする病が死因にならず、私と妻や施設の方々からは、まさに老衰に見えました。健康的な臨終でした。
 
 もう一つの理由ですが、ぶっちゃけ医療費は高いからです。病院へは出来る限り行かなくても良いようにしています。その一つが1年間続けたウエートコントロールと血圧管理です。毎食のカロリー計算を続けた結果、おかげさまで60kg(適正体重59.895kg BMI指数22)を維持でき、ほぼ一日のカロリー摂取1700kcalが目分量で分かるようになりました。三度の食事を大切にするようになり、間食は無し、おやつはバナナ1本です。
 
 今後の一年の目標、運動療法(お金を使わず)で2kgの減量を掲げました。できるだけ楽しく達成したいと考えています。
 
 食事アプリを作り直します。数値を入れ、集計グラフ化までを自動化できないか思考中です。単品カロリー数も概略で示しタブレット、スマホで処理できるようにします。・・・ってな考えです。

什の掟

2015年03月22日 | 日記
 八重の桜で有名になった『什の掟』に想うこと



一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです・・・・・・・・・・・
とあります。会津若松市の『あいづっこ宣言』ではさすがに「戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ」は省かれ、「ならぬことはならぬものです」が『やってはならぬ やらねばならぬ ならぬことはならぬものです』となり、解説には「わるい誘惑に負けない強い心を持ちましょう。やらなくてはならないことは、しっかりとやりましょう。自分勝手な行動はやめ、社会生活のルールをまもりましょう」とあります。

 高校時代の倫理社会において「明らかに法が間違っている場合にどのように行動するか」を議論しました。男子クラスだった私達の意見の総意は『悪法であっても存在するならば守らねばならぬ。ただし改正の為に全力を注がねばならぬ』でした。私達は躾けられていたと思います。悪法もまた法なり、ソクラテスの言葉でした。
 
 今になり考えると、校長、教頭先生の言うことは一理ありました。なかなか反論できない理屈でした。おそらく先生方は「年長者の言ふことに背いてはなりませぬ」を忠実に守られていたと思うのです。年長者が言うことが悪法であってはならないと。