地域歴史研究家の記事が新聞に掲載されていた。自宅で行われたお葬式に参列したのはいつ頃だったろう。ずいぶん昔のように思う。
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やがて葬式は冷暖房が整った葬儀場で行うようになり、地域の人々が葬式の運営に関わることは減少していった。さらに近年では、ごく身内のみが参列する家族葬が多くなり、葬式後に、町内に知らせる程度となってきたのである。
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母と同居のために広めの公営団地に転居した頃、そこでの生活15年ほどの間、数回お葬式を経験した。最初のお葬式は入居2年目の年末、大晦日の葬儀を団地集会場でおこなった。大晦日は友引でもあったが、三が日をご遺体と過ごすことができぬらしく、大晦日の友引の葬儀だった。あれこれ言う人もいたが、高齢なお婆さん、天寿のめでたい葬式で済ませた。町内の役員のみならず、年末休暇の住民率先して手伝った。
最初の葬儀から2年後に二度目のお葬式、町内でお手伝いをしようとしたのだが、平日であったからか、会社を休めないと言う人が多く、専業主婦や私のような自営業者が手伝うことになった。サラリーマンの町内役員は昼間の葬儀を手伝えず、役員の奥様の実家から、お父さんが手伝いに参加された。故人と奥様のお父さんとの付き合いはあるはずもなく、町内の結びつきが弱くなったと同時に、お葬式の手伝いが一つの業務となってしまったのを感じた。この頃から、民間斎場のお葬式も増えたが、受付等は町内会の仕事とされ、葬儀屋の手伝いをした。
近頃の葬式は斎場でおこなわれる。遺族から手伝いを求められことも少なく、町内の手伝いも少なくなった。また、死亡の連絡も遺族の許可を得てから掲示することになった。これは独居老人の葬儀を、子達が住む所で執り行うほうが何かと都合が良いのであろう。
私は家族葬で母を送った。死亡の連絡を町内会にすると共に、家族葬で執り行うこと、手伝いの不要、弔問の不要などを直接的、間接的に伝えなければならなかった。時として葬儀場へ会葬される人があるやもしれぬので、葬儀会場を伏せておいた。全てを終えた後、町内会に連絡をした。
近頃、団地において近所付き合いが希薄になったと言われているが、正直を言えば、団地の付き合いは濃厚になりがちであり、とんだ煮え湯を飲まされた経験を少なからず持つので、近からず、遠からず、が良いと思うようになった。
上階の高齢ご夫婦、二人の娘さんの嫁ぎ先が遠方、ご主人が入退院を繰り返していらっしゃる。不安なのだろう、先日妻を訪問された。私も顔を出し、「いつでも手伝いますよ。声をかけてください」と言っておいた。夜な夜な上階の足音で安心しているオイラなのだ。
最期に書くが、母は団地内の人との付き合いはなかったので、書いたような家族葬儀とした。私の場合は『直葬』が良い。無神論者の無宗教(なんちゃって神道)だから、妻と子で火葬場で骨にし、墓に納めてくれれば大満足である。今からこのように考えているのだ。